常備軍
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この、プロの兵士からなるスペイン軍事力の中核には、他国が対抗するのが難しかった[23]
サハラ以南のアフリカ

サハラ砂漠南縁のサヴァンナ(サヘル地帯)では、軍事に専従する戦士を中核とした軍隊を持つ、軍事的に強力な国家が現れることがあった[24]:32。ソンガイはそのうちのひとつである[24]:32。史料『スーダーンの歴史(英語版)』が伝えるところによれば、アスキヤ・ムハンマド(在位:1493年?1529年)が王権を受け継いだころのソンガイは、その同盟国や征服した国から徴募した兵と、近衛騎兵(常備軍)を持っていた[24]:32。

『スーダーンの歴史』の著者サァディー(フランス語版)によると、スンニ・アリ(在位:1464年?1492年)の頃は「誰もが戦士」であったが、アスキヤ・ムハンマドは「文民と戦士を区別した」という[24]:32。1506年にソンガイは南方のボルグ(英語版)に攻め入るが、多数の近衛騎兵を失った[24]:32。このときムハンマドの弟が「あなたはソンガイを滅亡させた」と言うとムハンマドは「彼らがいる限りソンガイに平和は訪れなかった」と答えた[24]:32。Thornton (1999) によれば、近衛騎兵の指揮官には王の親族が配され、強い王には固い忠誠を持つものの、その軍事力で王を廃してしまう場合もあり、アスキヤ・ムハンマドはこうした近衛騎兵に対して醒めた目で見ていた可能性がある[24]:32。
イングランドとイギリス

オリバー・クロムウェルの登場以前、イングランドは常備軍を欠いており、代わりに地方の役人たちによって組織された民兵、貴族によって動員された私兵、およびヨーロッパ大陸から傭った傭兵などに頼っていた。これは、イングランド内戦でクロムウェルが5万人のニューモデル軍を組織し、変化した。このプロ兵士の集団は、訓練を受けていない民兵よりも効果的であることが証明され、彼が国を支配することを可能にした。軍は1660年のイングランド王政復古のあとで議会によって解散された。クロムウェルのモデルは当初、軍のさまざまな兵站的および政治的問題のために失敗と見なされていた[25]

1661年の民兵法(The King's Sole Right over the Militia Act 1661)は、地方当局が国王の承認なしに民兵を編成することを禁止した。これは地方の役人が彼ら自身の戦闘部隊を編成するインセンティブを弱めた。チャールズ2世はその後、通常の予算から支出された122,000ポンドの費用で、歩兵と騎兵の4個連隊を組織して近衛と呼んだ。これが恒久的なイギリス軍の基礎となった。1685年までに、それは野戦部隊の連隊で7,500名の兵力に成長し、1,400名が駐屯地に恒久的に駐屯した。1685年のモンマスの反乱ジェームズ2世に部隊の規模を2万人に増やす口実を与え、1688年には37,000名がいた。1689年、ウィリアム3世は軍を74,000名に拡大し、1694年には94,000名に拡大した。王個人の指揮下にある大兵力の存在によって、王が力を持ちすぎることを警戒した議会は、1697年に基幹人員を7,000名に減らした。

スコットランドとアイルランドは理論的には別々の軍事資産を持っていたが、事実上はイギリス軍として合併していた。

権利の章典によって、公式に、常備軍に対する国王の権限も、議会の同意なくしては行使できないようになった[26] [27]

アダム・スミスは、その最も影響を与えた著作である国富論で、常備軍は社会の近代化の兆候であると述べている[28]
アメリカ

アメリカのイギリスの13植民地では、文民統制下にない常備軍に対する強い不信感があった[29] [30]。アメリカ合衆国の憲法(第1条第8項)は、連邦予算を2年に制限し、大統領ではなく議会に財政的管理を委ねている。ただし、大統領は、最高司令官として、軍隊が召集された場合には軍隊の指揮権を保持する。フィラデルフィア憲法制定会議に結集した人々が抱いていた常備軍に対する不信感は、上院が高位の士官の任命と昇進を承認するという憲法上の要件に反映されている[31]。1787年の憲法制定会議では、エルブリッジ・ゲリーは大規模な常備軍に対する批判を行っている:「内での平穏は約束されるが、外での冒険を企てる危険な誘惑ともなる」[注釈 2] [32]

米英戦争中に起きた1814年のブラーデンスバーグの戦いでは、メリーランド民兵とバージニア民兵がイギリス軍に完全に敗北した。ジェームズ・マディソン大統領は、次のような言葉を残している。「この日、目撃した光景なしには、私は民兵と正規軍との間にこれほど大きな違いがあったとは信じられなかっただろう」[33]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ コンパニー・ドルドナンスとも[19]
^ 原文は「A standing army is like a standing member. It's an excellent assurance of domestic tranquility, but a dangerous temptation to foreign adventure.」(ウィキクオートより)で、この場合のstanding memberとは体の器官生理反応の遠回しな表現である。

出典^ “Standing army 。Definition of Standing army at Dictionary.com” (英語). 2021年4月20日閲覧。 “First recorded in 1595?1605”
^ “First standing army” (英語). Guinness World Records. 2021年1月7日閲覧。
^ Bang, Peter Fibiger; Scheidel, Walter (2013-01-31) (英語). The Oxford Handbook of the State in the Ancient Near East and Mediterranean. OUP USA. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-0-19-518831-8. https://books.google.com/books?id=GCj09AmtvvwC&pg=PA115&dq=&hl=en&sa=X&ved=2ahUKEwiimeH05ojuAhXmFVkFHT6HBJIQ6AEwAHoECAQQAg#v=onepage&q&f=false 
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