帝国図書館
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久留正道:1897(明治30)年4月に帝国図書館新築設計委員に任命され、技師として真水英夫を招く。

真水英夫:帝国図書館の設計原案を作成したが、着工から2年後の1902(明治35)年7月に辞任。

岡田時太郎:真水の後任であったが、日露戦争勃発のため職を辞して満州へ渡り、軍の倉庫建設などに従事。

蔵書

1872年設置の書籍館は旧幕府昌平坂学問所和学講談所蕃書調所などの所蔵していた貴重な古典籍を蔵書の基礎としていたが、博覧会事務局から文部省への再移管時に蔵書は内務省管轄下の博物館事務局に残されたため、東京書籍館は文部省から改めて譲渡された省の所蔵図書約1万冊をもって発足した。文部省所蔵の図書は洋書が中心であったので、文部省は各府県に命じて旧藩校の蔵書を集めさせ、その良書3183部43630冊を選んで東京書籍館に収めたが、これらがのちの帝国図書館の蔵書の基礎となった。一方、太政官博覧会事務局に残された旧幕府系の蔵書は内務省所管の浅草文庫を経て内閣文庫(現・国立公文書館内)、帝室博物館(現・東京国立博物館)などに移って現在に至っている。

東京書籍館時代以来、この図書館は日本の法定納本図書館でもあった。すなわち、出版条例出版法により義務付けられた納本制度に基づき、発行の3日前までに内務省に納本された出版物2部は、1部が検閲事務に用いられて内務省に保存され、もう1部が改めて帝国図書館に交付されてその蔵書となった。帝国図書館は公布された出版物を3種類に区分し、学術的に価値が高いとみなされた資料を甲部として閲覧に供した。残る出版物のうち閲覧の必要無しとみなされた資料を乙部として保存のみ行い、保存の必要が認められなかったチラシや日記帳などの出版物は丙部として1年の保存の後廃棄していた。また、1937年以降は発禁図書も交付を受けて保存していた。

その他、購入や国際交換によって入手した洋書や東京府から寄託された江戸町奉行所文書、国内の蒐書家から寄贈された特殊コレクション類を多く所蔵していた。1906年の新館移転時の蔵書は約47万冊、1949年の国立国会図書館との統合時点での蔵書は約107万冊であった。

国立国会図書館支部上野図書館となった後も、107万冊の歴史ある蔵書は上野図書館で所蔵、公開されていたが、1961年になって永田町で新築された国立国会図書館の中央館(東京本館)に統合され、帝国図書館が残した遺産は国立国会図書館へと受け継がれて現在に至っている。
参考事務

レファレンスサービスは上野図書館の頃から係員により提供された。稲村[14]は国立国会図書館に併合された時期に参考事務に携わった館員の述懐として、1964年(昭和39年[18])、1967年(昭和42年[19])の2資料を紹介した。
庁舎明治建設部分。左・閲覧室、右・書庫

帝国図書館の庁舎は移転を経て上野公園の東京音楽学校(現・東京芸術大学)敷地内に用地が確保され、1908年に第一期工事が完成した。設計は久留正道らによるもので[20]鉄骨補強の煉瓦造り、規模は地下1階地上4階建てである。現存し、東京都選定歴史的建造物に指定されている。

当初計画では、広大な中庭を内側に取り込んだロの字型の広大な建造物で、全体が完成すれば東洋一の規模を誇る大図書館となる予定であった。しかし、日露戦争直後の当時の財政状況から計画通りの完成は見送られ、当初計画の4分の1が完成したのみで終わった。和風要素を入れる案もあったが実行されていない。昭和増築部分

明治の庁舎は1923年の関東大震災を、蔵書の一部が焼失、破損する被害を受けたものの乗り切る。ただし建物の疲弊は著しく[15]1927年増築工事に着工、構造を鉄筋コンクリートに改修した。第二期工事は1929年に竣工し、左(北側)部分の一部が完成、依然として当初計画の3分の1にも満たないものの[21]、現在まで見られる姿が完成する。

現存庁舎は、当初計画のロの字のうちの正面にあたる東側の閲覧室部分と南側の書庫の一部にあたる。閲覧室部分は3階に目録室と一般閲覧室があり、男性の一般閲覧者はここで図書を閲覧した。2階は女子閲覧室と登録した研究者のみに開放される特別閲覧室にあてられ、1階には貴賓室や館長室、職員のための作業室があった。しかし、大正期には早くも手狭となり、敷地内に木造館舎を建てて事務室など一部を移さねばならなかった。第二期工事で追加された左側(北側)は事務室・ホールなどである。

2000年から2002年に段階的に行われた国際子ども図書館開館にあたり大規模な改修が行われ、地下部分が免震層に改められた。建物は建築遺産として極力保全が図られ、空調などの機械動線と廊下・エレベーター・階段などの閲覧者動線を兼ねたガラス張りのラウンジ棟が背面部分を覆うように加えられた。これにより、歴史的建造物の部分はほとんど保全され、明治の雰囲気を色濃く残す正面東側から見た外観や内装はほとんど残されたまま、現在の建築基準に適合した近代的な図書館に生まれ変わった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 江戸時代の資料[3]を閲覧する幸田成友の写真[4]が伝わる。
^ 当時、同じ湯島聖堂の敷地にあった東京師範学校附属小学校(旧東京高等師範学校附属、現・筑波大学附属小学校)に通学していた幸田成友幸田露伴の弟)は同館を利用し、その様子を書き残している.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}小学の上級の頃から東京図書館へ出入した。これは現在上野公園内にある帝国図書館の前身で、御茶の水の旧聖堂(大成殿)を文庫に充て、バラック式の仮閲覧室が設けられてあつた—[9]

出典^ a b c d 国立国会図書館 2003, p. 1
^ 行村 建、小野 浩之、明石 周平、今井 貴文、村上 寛「蔵書の宝庫 国立国会図書館関西館」『電気学会誌』第125巻第9号、2005年、553-556頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 1340-5551、NAID 130000082198。


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