横森正彦の学術論文では「帝政(帝国主義)対共和制(理想的政治思想)」という語句で考察されており[21][注 3]、金静美の学術書では「帝国主義者(imperialist)は、天皇主義者であり、皇帝支持者であり、帝政主義者である」とされている[14]。植村邦彦の学術論文によれば、"Imperialism"を権力分析の用語として用いた著名な例はカール・マルクスの時代にあり、たとえ近代の皇帝(ナポレオン3世)が統治するような近代的帝国であっても「その自然の結果は、それが何番目の帝国 Empire であろうと、帝政 Imperialism である」という[22]。淡路憲治の学術論文では「マルクスによれば,ルイ・ボナパルトの皇帝制(imperialism)は,『国家権力の最もけがれた形態であると同時に,その終局形態である』」とされている[8][注 4]。一方で、マルクスは、イギリスによるインド支配について「インドがイギリス人に征服されるよりも、トルコ人、ペルシア人、ロシア人に征服されたほうがましかどうか」が問題なのだとし、イギリスはインドに政治統合、近代産業、電信網をもたらすだろう、そして、インドの家父長制が東洋的専制政治の基盤となり、人間を迷信に閉じ込め、カーストや奴隷制を持っていることを忘れてはならないと主張し、イギリスによるインド支配を肯定した[23]。こうしたマルクスの考察は、20世紀の帝国主義論とはほとんど共通点がないものであったと歴史学者スパーバーは指摘する[23]。
ラース・マグヌソン(スウェーデン語版)によれば「帝国主義」の用語が現在の意味で最初に普及したのは1870年代のイギリスで、否定的な意味合いで使用された[24] 。同氏によれば、この用語はナポレオン3世による他国への軍事的干渉を通じた政治的支援を説明するために使用された[24]。 この節には複数の問題があります。改善
辞事典での解説
『OED(オックスフォード英語辞典)』:
.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}インペリアリズム … 1. 政府の帝政的制度、皇帝の統治 … 2. 帝国の原理または精神、帝国の利益と捉えられているものについての擁護[25][注 5]
『研究社 新英和大辞典』:
imperialism … 1 帝政. 2 帝国主義; 領土拡張主義, 侵略主義, 開発途上国[弱小国]支配(政策). 3 帝国主義権益の擁護. 4 ?英? 連邦諸国統轄政策.[7][注 6]Caesarism … 帝王[皇帝]政治主義; 独裁君主制 (autocracy); 帝国主義 (imperialism).[2]
『ジーニアス英和大辞典』:
Caesarism … 帝王政治主義;帝国主義.[3]
『ランダムハウス英和大辞典』:
imperialism … 1 帝国主義, 領土拡張主義; (共産主義から見た)資本主義. 2 帝国の権益擁護. 3 帝政的政府形態. 4 帝政. 5 大英帝国主義.[27][注 7]
『weblio英和辞典・和英辞典』:
imperialismとは … 帝政、帝国主義、領土拡張主義、開発途上国支配(政策)[12]Caesarismとは … 皇帝政治主義、帝国主義、独裁君主制[29]
『ブリタニカ国際大百科事典』:
帝国主義 Imperialism … 語源的には、十九世紀中頃のフランスで、ナポレオン一世と同三世の専制的皇帝政治と、その対外膨脹行動をさして用いられたのが始まり[30]
概要
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『世界大百科事典』によれば、「帝国主義」という概念が現代の政治・経済用語として定着したのは19世紀後半以降だが、現代的な諸現象はこの概念の歴史的意味を鏡として映し出されてきた[31]。「帝国主義の起源は古代ローマのインペリウムにさかのぼる.ここでは共和政ローマから帝政への体制の転換と帝国の形成との関連が,後世の人々に強く意識されている」という[31]。すなわち古代ローマでは「インペリウム」の意味が、かつての共和政の法的命令から、他民族支配や軍事力と富に頼った支配形態へと移り変わった[31]。「このような統治構造の変質が,のちの人々の帝国主義に対するイメージの一つの原型となった」とされている[31]。
帝国主義概念には第二の含意もあり、それは「絶対王政期の重商主義帝国の戦争政策と国内の専制的な統治構造」の歴史から生まれた[31]。「近代の人々が継承した帝国という言葉は,絶対君主制の富と権力を称賛し,その版図を示したものであった」とされる[31]。こうした帝国への批判が、19世紀以降の新現象を扱う枠組みとなっていった[31]。
19世紀から20世紀にかけて、列強と呼ばれる西欧諸国は、特にアジアやアフリカにおいて植民地獲得競争を行った。それらを政体や国号を問わず「帝国」と呼ぶ用語には、スペイン帝国、ポルトガル海上帝国、オランダ海上帝国、デンマーク植民地帝国、スウェーデン植民地帝国、ロシア帝国、イギリス帝国(大英帝国)、フランス植民地帝国、ベルギー植民地帝国、ドイツ植民地帝国、イタリア植民地帝国、アメリカ帝国、大清帝国、大日本帝国、オスマン帝国、更には社会主義国に対する社会帝国主義などがある。