「帝国主義」(imperialism)という用語が使われたのは19世紀後半以降だが、歴史的現象としては古代中国の帝国、シュメール・バビロニア帝国、エジプト王朝、アレクサンドロス大王の帝国、ローマ帝国などにも帝国主義的傾向がある[17][注 2]。「15?18世紀の西欧諸国によるアジア,インド,アメリカでの領土獲得や,19世紀後半から激化した植民地政策は帝国主義的な支配といえる。しかし理論的には古代から現代にいたるまで多くの学説があり,一致した見解はない」とされている[17]。なお、シーザー主義(Caesarism)という英語は「帝王政治主義」、「皇帝政治主義」、「独裁君主制」、「帝国主義 (imperialism)」を指す[2]。「ローマ皇帝(インペラトル)」、「天帝」、「天子」、「大王」、「スルタン」、「神の帝国(神の王国)」、「第三帝国」、「千年帝国(千年王国)」、「イスラーム帝国主義」、および「新オスマン帝国主義」も参照
中西治の学術論文によれば、インペリアリズム(帝国主義)は19世紀末頃まで「プラスのシンボル」だった[18]。当時の事例としては1871年に帝国憲法を発布したドイツ帝国、1874年に「エンパイア的連邦(imperial federation)」を主張して発展を目指した大英帝国、1889年に「天皇(emperor)」を元首として憲法を発布した大日本帝国などがあった[19]。中西によれば、インペリアリズムという言葉は「きわめて政治的な用語」である[20]。第二次世界大戦でドイツ第三帝国と大日本帝国が敗北し、戦後に植民地が独立したことでインペリアリズムは一旦終わったが、その後は用語・政治の両面で復活しつつある[20]。中西は「エンパイアを帝国と訳すか,広域支配と訳すか,インペリアリズムを帝国主義と訳すか,広域支配主義と訳すかは,当該国の違いと訳者の政治的立場の違いによる」と述べている[9]。
横森正彦の学術論文では「帝政(帝国主義)対共和制(理想的政治思想)」という語句で考察されており[21][注 3]、金静美の学術書では「帝国主義者(imperialist)は、天皇主義者であり、皇帝支持者であり、帝政主義者である」とされている[14]。植村邦彦の学術論文によれば、"Imperialism"を権力分析の用語として用いた著名な例はカール・マルクスの時代にあり、たとえ近代の皇帝(ナポレオン3世)が統治するような近代的帝国であっても「その自然の結果は、それが何番目の帝国 Empire であろうと、帝政 Imperialism である」という[22]。淡路憲治の学術論文では「マルクスによれば,ルイ・ボナパルトの皇帝制(imperialism)は,『国家権力の最もけがれた形態であると同時に,その終局形態である』」とされている[8][注 4]。一方で、マルクスは、イギリスによるインド支配について「インドがイギリス人に征服されるよりも、トルコ人、ペルシア人、ロシア人に征服されたほうがましかどうか」が問題なのだとし、イギリスはインドに政治統合、近代産業、電信網をもたらすだろう、そして、インドの家父長制が東洋的専制政治の基盤となり、人間を迷信に閉じ込め、カーストや奴隷制を持っていることを忘れてはならないと主張し、イギリスによるインド支配を肯定した[23]。