しかし、平成の大合併が行われるなかで、歴史的に共通した項目があるなどの合理的な理由によって既に存在する市側が了承すれば、同一の名称を使用することができるようになり、福島県伊達郡伊達町ほか4町が申請した伊達市が北海道伊達市と同一名称であるにもかかわらず認められた。[注釈 8]。
2017年(平成29年)現在、同一名称の市としては前述の府中市と伊達市の2組が存在するのみとなっている。
また、「守山市」と「八幡市」は、それぞれ愛知県と福岡県にあったが、いずれも合併で消滅した(守山市→名古屋市守山区、八幡市→北九州市八幡区→北九州市八幡西区・八幡東区)ため、消滅後に市制施行した滋賀県守山市や京都府八幡市は支障なく市制施行している[注釈 9]。
なお、字が違うが同じ読みの市は、出水市と和泉市(いずみ)、鹿島市と鹿嶋市(かしま)、江南市と香南市(こうなん)、古河市と古賀市(こが)、堺市と坂井市(さかい)、さくら市と佐倉市、津島市と対馬市(つしま)、北杜市と北斗市(ほくと)、三次市と三好市とみよし市(みよし)、山形市と山県市(やまがた)の10組が存在する。このうち鹿嶋市とみよし市は、市制施行時に既存の市(鹿島市・三好市)と同一表記となることを避けるために別の文字(異体字・平仮名)を用いた例である。 一定以上の規模や地域での役割をもつ市は、政令で指定されることによって、より多くの行政サービスを行う権限を持つ、中核市、政令指定都市に移行できる。 伝統的に中国では町のことを「城市」と呼ぶことはあったが、「市」という行政単位は存在せず、現行の市制は日本にならったものである。1920年、広東省を掌握した陳炯明は同年12月に「広州市暫行条例」を公布し、翌年施行された[2]。これが中国に市が置かれたはじめである。1921年7月には徐世昌によって「市自治制」が公布され、県の下に市と郷が置かれた[3]。 国民革命後には「市組織法」を制定し、直轄市と省の下に置かれる省轄市を置いた[4]。中華人民共和国でも同様だったが(ただし直轄市の数は減らされた)、一部の市が周辺の農村部を合併するなどして巨大化し、また一部の県が都市化して市と変わらなくなってきた。そのため、1983年に省轄市を地級市と県級市に分けた。現在の中国では直轄市、地級市、県級市の3つに「市」が使われる。 中華民国の市は、行政院が管轄する直轄市、省の下に設置される市、省の下の各県に属する県轄市の3種類がある。2015年現在、6つの直轄市 (台北市、新北市、台中市、台南市、高雄市、桃園市) 、3つの市 (基隆市、新竹市、嘉義市)、14の県轄市 (竹北市、苗栗市、頭?市、彰化市、員林市、南投市、斗六市、太保市、朴子市、屏東市、宜蘭市、花蓮市、台東市、馬公市) が存在する。
都市制度
日本以外の国における市
中華人民共和国「中華人民共和国の行政区分」も参照
4つの直轄市(北京市、重慶市、上海市、天津市)は、省に属さず独立して自治を行っている。
地級市(地区級の市)は省の下に置かれる。
県級市はそれより下の行政区分で、ある地級市の中に県級市が存在することもある。
中華民国(台湾)詳細は「直轄市 (中華民国)」、「市 (中華民国)」、および「県轄市」を参照