市民たち=市民党
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政治思想は中道左派、ポスト・ナショナリズム(英語版)であると自己定義しており、その綱領で自由主義社会民主主義を融合させた政策を提示する政党であると示しているが、その思想は中道右派から来ている[16]

2006年の結党時から党首を務めるアルベール・リベラは、党のイデオロギーを「カタルーニャは私の故国であり、スペインは私の祖国であり、欧州連合(EU)は私たちの未来である」と表現している。国家公用語のスペイン語と地域言語のカタルーニャ語の二言語が公用語であるカタルーニャ州において、時として軽視されがちなスペイン語の使用を擁護し[17]、カタルーニャ地方の独立を求めるカタルーニャ・ナショナリズムに反対しており、スペイン一国主義による経済発展を主張している。[18]2011年以後にはスペインで既存政党に対する抗議運動が盛んに行われ、2014年には二大政党に反発する有権者の支持をポデモスが集めたが、シウダダノスはポデモスと比較されて「右(派)のポデモス」とも呼ばれる[16]。シウダダノスは国民党の支持者層を奪っているとされる[12]

批判的な勢力からは左派を取り込んだ新自由主義政党と批判される事もある。また、親EU路線を貫き、比較的立ち位置が近いフランスの共和国前進との関係を強化している。
歴史
結党初代党首を務めたリベラ

劇作家・俳優のアルベール・ボアデーリャ(英語版)、著作家のフェリクス・デ・アスーア(英語版)、ジャーナリストのアルカディ・エスパーダ(スペイン語版)ら、ほぼ全員がバルセロナに在住するカタルーニャ人知識人のグループによって、2005年6月7日に「カタルーニャに新政党を設立するため」の声明が出され、シウタダンス・ダ・カタルーニャ(スペイン語版)(カタルーニャ市民, 略称はCC)と呼ばれる市民運動が組織された。6月21日にはバスク地方の中心都市であるビルバオ、スペインの首都であるマドリードでも同様の声明が出された。これらの声明では、「カタルーニャ州政府によって強制力を持つカタルーニャ・ナショナリズムが広められた」と述べ、カタルーニャ民族主義への反発を示した[19]

彼らは何度か円卓会議や検討会を行い、2006年3月4日、バルセロナのチボリ劇場(スペイン語版)で政党としてのシウダダノス(C's)が設立されたが、6月5日にはメンバーがカタルーニャ独立主義者に攻撃される事件が起こっている。7月8日・9日には初の党大会が行われ、組織構造が決定されて代表機関が選出され、若手法曹のアルベール・リベラが党首に、ジャーナリストで哲学教授でもあるアントニオ・ロブレス(英語版)が事務局長に選出された。
カタルーニャ州での活動バルセロナにある党本部

結党後初の選挙は、2006年11月1日に投開票が行われた2006年カタルーニャ州議会選挙(英語版)である。シウダダノスは全体得票数の約3%となる89,840票を獲得し、リベラ、法曹のホセ・ドミンゴ・ドミンゴ(スペイン語版)、ロブレスの計3人が議席を得た。選挙運動の際には公衆の目を引き付けるために、党首のリベラ(当時26歳)が股間を両手で隠した全裸の状態で選挙ポスターに登場したが[20][21]、男前でセクシーな裸体の写真をばらまく宣伝手法に不快感を示す有権者もいた[22][注 1]

2007年5月27日の地方自治体選挙では、カタルーニャ州の4県以外にバレンシア州アリカンテ県カスティーリャ・イ・レオン州サラマンカ県でも候補者を出した。カタルーニャ州内の自治体で獲得した議席数は予想を下回る13議席にとどまり、他州では議席を獲得できなかった。6月30日と7月1日には第2回党大会を開催した。2008年3月9日のスペイン議会総選挙では連合・進歩・民主主義(UPyD)に対して選挙協力を申し出たが、連合・進歩・民主主義はシウダダノスの申し出を拒否した[25]。全体得票数の0.2%となる46,313票を獲得したが、スペイン国会下院で議席を確保することはできなかった。

2009年5月、シウダダノスは1か月後の欧州議会選挙でデクラン・ガンリー(英語版)の政党リベルタス(英語版)と選挙連合を組むことを発表した。シウダダノスのメンバーによれば、この選挙協定前の交渉はリベラ自身が直々に内密に行ったという。リベラ以外の欧州議会議員2人と党の重要な役職はリベラの指導力の及ばない位置にある[26]国家主義者超国家主義者によって設立された汎ヨーロッパ的な組織との選挙協力は懸念を巻き起こした[27][28][29]。6月7日の欧州議会議員選挙では0.1%となる22,903票を獲得したが、議席を獲得することはできなかった。

2010年11月28日のカタルーニャ州議会選挙(英語版)では3.4%の得票を獲得し、前回と同じく3議席を得た。カタルーニャ独立主義者の増加の結果として、その反対者であるシウダダノスも成長を続けている。2012年11月25日のカタルーニャ州議会選挙(英語版)では、得票率を2年前の2倍以上の7.6%に増やして9議席を得たが、このうち8議席はバルセロナ県選挙区で得たものだった。集中と統一(CiU)、カタルーニャ社会主義者党(英語版)(PSC)、カタルーニャ共和主義左翼(ERC)、カタルーニャ国民党(英語版)(PPC)、カタルーニャ緑のイニシアティヴ(英語版)-カタルーニャ統一左翼・アルテルナティーバ(英語版)(ICV-EUiA)に次ぐ第6党となった。
全国政党化2015年カタルーニャ州議選で筆頭候補となったアリマーダス

2013年10月、シウダダノスはマドリードのゴヤ劇場で「ゴヤの誓い」と呼ばれる声明を行い、カタルーニャ州以外の地方でも活動を開始した。2014年1月、カタルーニャ最高裁判所(スペイン語版)(TSJC)は、シウダダノスのカタルーニャ州議会議員であるジョルディ・カーニャス(スペイン語版)を429,203ユーロの詐欺行為の疑いで調査した[30]。これによってカーニャスは党のスポークスマンとしての地位を放棄し[31]、正式に起訴された場合には州議会議員の座を辞任すると発表した[32]。2014年5月25日の欧州議会議員選挙では3.16%となる495,114票を得て、2議席を獲得した[33]。ハビエル・ナルト(スペイン語版)が筆頭候補者であり、シウダダノスは欧州議会欧州自由民主同盟(ALDE)に属している。

Twitterによる政治活動力を図るウェブサイトのT-craciaによると、2014年5月からは常にポデモスがフォロワー数の増加数でトップに立っていたが、2015年2月にはシウダダノスの増加数がポデモスを上回ってトップに立った[15]。2015年3月初頭時点で、シウダダノスはTwitterで123,000人のフォロワーを持ち、Facebookで140,000人のフォロワーを持つ[15]。2015年3月22日には年末の総選挙の前哨戦と位置づけられたアンダルシア州議会議員選挙が行われ、9議席を獲得したシウダダノスは社会労働党などに次ぐ第4党となった[13]。9月27日には2015年カタルーニャ自治州議会選挙が行われ、イネス・アリマーダスが筆頭候補を務めたシウダダノスは[34]16議席増の25議席を獲得して第2党となった。

2015年12月20日の2015年スペイン議会総選挙では約350万票を得て40議席を獲得し、国民党、社会労働党、ポデモスに次ぐ第4党となった。この総選挙では過半数の議席を得た政党がおらず、リベラは国民党と社会労働党のいずれも支持しないとしたものの、首相指名選挙では棄権することも厭わない(国民党政権を積極的に賛成することはないが、棄権することで結果的に国民党の政権成立を許す)と述べた[35]


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