市川森一
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1960-1970年代に『コメットさん』『恐怖劇場アンバランス』『帰ってきたウルトラマン』など多くの作品で組んだ山際永三監督を「僕が唯一人、ドラマの師匠と仰ぐ方」と語っている[20]。
『仮面ライダー』では上原正三、伊上勝らと共に企画段階から参加していたが、『帰ってきたウルトラマン』参加のため市川、上原の2人は共に仮面ライダーからは離脱した[1]。しかし代理として紹介した島田真之の脚本が芳しくなかったため、第4話のみ島田と共作で執筆した[1]。
子供番組で唯一メインライターに任命された『ウルトラマンA』を、1クール消化の時点で降板してしまうが、その理由として「男女の性を超越した神としてのウルトラマン像」、「観念的な悪意の具象化であるヤプール」、「徹底したSF路線の追及」といった、企画段階で市川が提示した要素が全て排除されてしまい、ウルトラシリーズに対する情熱を急速に失ってしまったが故に、と発言している。しかし、同作品の橋本洋二プロデューサーに「メインライターの責任として最終回も書け」と命じられ、番組終了間際に復帰。最終回のラストでエースが発した「最後の願い」は、市川的には方向性の合わない作品へと変貌したウルトラシリーズへの「捨て台詞」のつもりで書いたものだったという。しかし、後年になって周囲から「最後の願い」に纏わる感想を聞く機会が随分増えたと語っている[21]。
『シルバー仮面』第23話「東京を砂漠にしろ!!」に登場するフンドー星人は、あさま山荘事件の生中継を見て警察が使用した鉄球から着想を得た[22]。
子供向け番組から時代劇、青春ドラマなどジャンルを問わず様々な作品を執筆したが、自身が早くに母を亡くしていたことから、家族団欒を描くホームドラマは書けないとしていた[14]。
『親戚たち』は、出身地である諫早市が舞台になっている。主役には当時時代劇俳優であった同郷の役所広司を抜擢、市川はこの後も役所を積極的に起用し、役所が俳優として有名になるきっかけを作っている。市川と役所は同郷というだけでなく、市川と役所の兄が同級生で、旧知の仲であった[23]。
盟友・長坂秀佳が手掛けた1990年(平成2年)版『燃えよ剣』に、長坂の「悪戯心」で俳優としてキャスティングされるが、市川も自作『野望の国』に長坂が出演することを交換条件として提示。さらに、市川は台詞を直す事を要求し、長坂はこれを承諾。市川の役は主役のような台詞に書き直された。同時に市川も「自分の役だけをカッコよくしたのでは」と思い、長坂が出演する『野望の国』で大役を演じさせたとのこと[24]。
ドラマ『私が愛したウルトラセブン』の脚本は、「他人に脚本書かれたら自分がどう書かれるかわからない」という理由から、自ら手掛けた。自身の名前は「石川森一」とし、女にモテない非常に姑息なライターという道化役に設定し、香川照之がかなり剽軽なキャラクターとして演じた。市川本人は実像とかけ離れたキャラクターにしたつもりだったが、上原正三に「さすがに自分のことはよくわかっているね」と言われ、ショックを受けたという[25]。
2011年(平成23年)に『蝶々さん?最後の武士の娘?』の試写会に出席した際、「この年になると、一作一作が遺作のつもりでやっている。作品によっては、これが遺作になるのはイヤだなと思ったりする。今日、この作品を拝見して、こういう作品が生涯の遺作になれば幸運だなと思ったりしました」と語ったが、結果的にこれが最後の脚本テレビドラマ作品となった[26]。
『古事記』の舞台化をライフワークの一つと考えており、生前には実現しなかったが、没後に妻・美保子と妹・愉味子により『ドラマティック古事記』として上演された[3]。
オウム真理教事件について、「彼らが、ウルトラマンから七〇年代後半の宇宙戦艦ヤマトに至る疑似戦争ドラマに大きな影響を受けていることは、紛れもない事実として受けとめざるをえません」と語っている[27]。
作品歴
映画
異人たちとの夏(1988年)原作:山田太一
淀川長治物語・サイナラ(2000年)大林宣彦との共同脚本
長崎ぶらぶら節(2000年)原作:なかにし礼
黄色い涙(2007年)原作:永島慎二[注釈 1]
花影(2007年)
その日のまえに(2008年)原作:重松清
TAJOMARU(2009年)
テレビドラマ
快獣ブースカ(1966年 - 1967年、日本テレビ)
ウルトラセブン(1967年 - 1968年、TBS)
コメットさん(1967年 - 1968年、TBS)
戦え! マイティジャック(1968年、フジテレビ)
怪奇大作戦(1968年 - 1969年、TBS)
胡椒息子(1969年、TBS)原作:獅子文六
オレとシャム猫(1969年、TBS)
プロファイター(1969年、日本テレビ)
マキちゃん日記(1969年、読売テレビ)
ブラザー劇場・千葉周作 剣道まっしぐら(1970年、TBS)
帰ってきたウルトラマン(1971年 - 1972年、TBS)
仮面ライダー(1971年 - 1973年、毎日放送)原作:石ノ森章太郎企画に参加したほか、第4話「人喰いサラセニアン」を島田真之と共作。
シルバー仮面(1971年 - 1972年、TBS)
刑事くん(1971年 - 1976年、TBS)- ※第3部の途中までメインライター
好き! すき!! 魔女先生(1971年、朝日放送)原作:石ノ森章太郎
ウルトラマンA(1972 - 1973年、TBS) - ※メインライター
熱血猿飛佐助(1972年、TBS)
小さな恋のものがたり(1972年、日本テレビ)原作:みつはしちかこ
太陽にほえろ!(1972年 - 1974年、日本テレビ)
新・坊っちゃん(1975年 - 1976年、NHK)
恐怖劇場アンバランス 第4話「仮面の墓場」(1973年、フジテレビ・円谷プロ)制作は1969年から1970年。
火曜日の女シリーズ・殺意を呼ぶ海(1973年、日本テレビ)原作:アンドリュー・ガーヴ
銀河テレビ小説・黄色い涙(1974年、NHK名古屋)原作:永島慎二
土曜劇場・かたぐるま(1974年、フジテレビ)
東芝日曜劇場・林で書いた詩(1974年、北海道放送)
傷だらけの天使(1974年 - 1975年、日本テレビ)
東芝日曜劇場・紙コップのコーヒー(1975年、中部日本放送)
グッドバイ・ママ(1976年、TBS)
五丁目に咲いた恋は、絶対に結ばれないと人々は噂した(1976年、日本テレビ)
東芝日曜劇場・夢のながれ(1976年、中部日本放送)
幻のぶどう園(1976年、NHK)
東芝日曜劇場・みどりもふかき(1976年、RKB毎日放送)
東芝日曜劇場・バースディ・カード(1977年、北海道放送)
大河ドラマ・黄金の日日(1978年、NHK)原作:城山三郎
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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