市川森一
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その受章の際、内閣からの公式発表前にマスコミ各社が事前に行う記者取材が10月27日に予定されていたが、その日に急な発熱を起こして入院し、その際に受けた検査で肺がんが発見され、闘病生活に入っていたという[11]

2011年(平成23年)12月10日、肺がんのため死去[2]。70歳没。戒名は祇承院弘庸森叡居士。14歳の時に日本基督教団諫早教会でキリスト教洗礼を受けていた[12][13]が、本人の生前の希望により一族の菩提寺に埋葬された[14]。死後に故郷・長崎への思いを込めた市川の遺稿が妻により発表された[11]

死後、福地茂雄を理事長として2012年10月25日に一般財団法人市川森一脚本賞財団が設立され、新進脚本家を対象とした「市川森一脚本賞」が2013年より選定された[1][15]。10年にわたる活動で本賞9人、奨励賞2人を選奨したが、経済不況とオリジナル脚本の選奨が難しくなったこと、さらに理事の高齢化により2023年1月31日をもって解散することとなった。登記上の抹消は3月31日に抹消[16]。解散時の理事長は遠藤利男[17]

諫早市立諫早図書館には市川の書籍、資料等を集めた「市川森一シナリオルーム」が存在する。
エピソード

キリスト教の信仰を持つに至ったのは、10歳で亡くした実母の入院先が
長崎市内のカトリック系の病院だったことが契機とされている[18]

プロテスタント信者であり、洗礼を受けたのは日本基督教団諫早教会であった[19]

キリスト教による影響が随所に見受けられ、ウルトラシリーズの脚本では、新約聖書神話に由来する名前を持つ怪獣や設定を多用したことでも知られる(サイモンペテロバラバゴルゴダの丘→ゴルゴダ星、アイスキュロスアイロス星人マナ→フルハシ・マナ、プロメテウスプロテ星人サロメサロメ星人など)[18]

修行時代、はかま満緒主宰「はかまお笑い塾」では、萩本欽一車だん吉ポール牧ら多くの芸人脚本家としのぎを削りあった。後年、日本テレビの開局40周年スペシャルドラマ『ゴールデンボーイズ』で、若かりし頃の萩本(演者は小堺一機)のこれらのエピソードを描いている。

『快獣ブースカ』第4話「ブースカ月へ行く」は円谷英二がかねてから「竹取物語」の映像化を懸案しているのを知った市川が、かぐや姫の物語をイメージソースに仕立てた作品である。

1960-1970年代に『コメットさん』『恐怖劇場アンバランス』『帰ってきたウルトラマン』など多くの作品で組んだ山際永三監督を「僕が唯一人、ドラマの師匠と仰ぐ方」と語っている[20]

仮面ライダー』では上原正三伊上勝らと共に企画段階から参加していたが、『帰ってきたウルトラマン』参加のため市川、上原の2人は共に仮面ライダーからは離脱した[1]。しかし代理として紹介した島田真之の脚本が芳しくなかったため、第4話のみ島田と共作で執筆した[1]

子供番組で唯一メインライターに任命された『ウルトラマンA』を、1クール消化の時点で降板してしまうが、その理由として「男女の性を超越した神としてのウルトラマン像」、「観念的な悪意の具象化であるヤプール」、「徹底したSF路線の追及」といった、企画段階で市川が提示した要素が全て排除されてしまい、ウルトラシリーズに対する情熱を急速に失ってしまったが故に、と発言している。しかし、同作品の橋本洋二プロデューサーに「メインライターの責任として最終回も書け」と命じられ、番組終了間際に復帰。最終回のラストでエースが発した「最後の願い」は、市川的には方向性の合わない作品へと変貌したウルトラシリーズへの「捨て台詞」のつもりで書いたものだったという。しかし、後年になって周囲から「最後の願い」に纏わる感想を聞く機会が随分増えたと語っている[21]

シルバー仮面』第23話「東京を砂漠にしろ!!」に登場するフンドー星人は、あさま山荘事件の生中継を見て警察が使用した鉄球から着想を得た[22]

子供向け番組から時代劇、青春ドラマなどジャンルを問わず様々な作品を執筆したが、自身が早くに母を亡くしていたことから、家族団欒を描くホームドラマは書けないとしていた[14]

親戚たち』は、出身地である諫早市が舞台になっている。主役には当時時代劇俳優であった同郷の役所広司を抜擢、市川はこの後も役所を積極的に起用し、役所が俳優として有名になるきっかけを作っている。市川と役所は同郷というだけでなく、市川と役所の兄が同級生で、旧知の仲であった[23]

盟友・長坂秀佳が手掛けた1990年(平成2年)版『燃えよ剣』に、長坂の「悪戯心」で俳優としてキャスティングされるが、市川も自作『野望の国』に長坂が出演することを交換条件として提示。さらに、市川は台詞を直す事を要求し、長坂はこれを承諾。市川の役は主役のような台詞に書き直された。同時に市川も「自分の役だけをカッコよくしたのでは」と思い、長坂が出演する『野望の国』で大役を演じさせたとのこと[24]

ドラマ『私が愛したウルトラセブン』の脚本は、「他人に脚本書かれたら自分がどう書かれるかわからない」という理由から、自ら手掛けた。自身の名前は「石川森一」とし、女にモテない非常に姑息なライターという道化役に設定し、香川照之がかなり剽軽なキャラクターとして演じた。市川本人は実像とかけ離れたキャラクターにしたつもりだったが、上原正三に「さすがに自分のことはよくわかっているね」と言われ、ショックを受けたという[25]

2011年(平成23年)に『蝶々さん?最後の武士の娘?』の試写会に出席した際、「この年になると、一作一作が遺作のつもりでやっている。作品によっては、これが遺作になるのはイヤだなと思ったりする。今日、この作品を拝見して、こういう作品が生涯の遺作になれば幸運だなと思ったりしました」と語ったが、結果的にこれが最後の脚本テレビドラマ作品となった[26]

古事記』の舞台化をライフワークの一つと考えており、生前には実現しなかったが、没後に妻・美保子と妹・愉味子により『ドラマティック古事記』として上演された[3]

オウム真理教事件について、「彼らが、ウルトラマンから七〇年代後半の宇宙戦艦ヤマトに至る疑似戦争ドラマに大きな影響を受けていることは、紛れもない事実として受けとめざるをえません」と語っている[27]

作品歴
映画

異人たちとの夏(1988年)原作:山田太一

淀川長治物語・サイナラ(2000年)大林宣彦との共同脚本

長崎ぶらぶら節(2000年)原作:なかにし礼

黄色い涙(2007年)原作:永島慎二[注釈 1]

花影(2007年)

その日のまえに(2008年)原作:重松清


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