門弟に菱湖四天王(萩原秋巌・中沢雪城・大竹蒋塘・生方鼎斎)や巻鴎洲(おうしゅう)(1814年 - 1869年)、中根半仙などがある。鴎洲は菱湖の子で、優れた才能を持ちながら病弱のため早世した。巻菱潭(りょうたん)(1846年 - 1886年)は鴎洲の門人で、鴎洲没後、養子となり跡をついだ[15]。
菱湖書巻菱湖書の将棋駒
将棋の駒の書体の中に「菱湖書」と呼ばれるものがある。菱湖書の特徴は細身かつ流麗な字形である。将棋の対局中、場合によっては非常に長い時間、駒を見つめ続けることもあるが、見た目にすっきりとして目の負担にならないことが人気の理由だろうとする見解もある。
菱湖書の源流は巻菱湖に求められるが、駒の書体は菱湖自身が確立したわけではない。観戦記者の東公平は阪田三吉について調べる過程で、高濱作蔵という棋士の情報を得た。阪田が右腕として頼んだ人物である。作蔵の弟で棋士の高濱禎(たかはまてい)の覚え書きには、禎自身が菱湖の手本から駒字を作った経緯が記されていた。この駒字をもとに、「近代将棋駒の祖」と謳われた駒師の豊島龍山が駒を作った。以上が菱湖書確立の通説となっている。
菱湖書のほかに「巻菱湖(まきのりょうこ)書」という書体もある。両者は外見はほぼ同一、由来も同様である(以上、日本将棋連盟の記者・松本哲平による)[16]。
脚注^ a b c d “三筆について
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