巫女
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巫女に資格は必要ないが、神職の資格を持つ女性が巫女として神社に勤務することもある。なお、巫女は男女雇用機会均等法の適用外なので、女性を指定しての募集が認められている。
本職巫女

資格が不要なため、心身ともに健康な女性ならば巫女になれる。しかし、本職巫女は神職の近親者など、神社に縁がある人が奉仕する縁故採用が多く、財政上の問題などから本職巫女を置けるのは大規模神社に限られるため、求人はあまり多いとは言えない。本職巫女の求人は、新聞・求人広告、ハローワークなどに掲載されることがある。また、神職養成機関には、神職の他に少ないながら本職巫女の求人が寄せられることもある。

女性が本職巫女として奉仕できる年数は短く、高等学校卒業後から勤務し、20代後半で定年を迎える例が多い。短大大学を卒業してからの奉仕であれば、数年間しか在職しないことになり、結婚した場合はそのまま定年となる神社もある。定年以降に神社に勤務する場合は、神社指定の制服や松葉色・紺色などの袴を履くなど服装で区分され、また職掌の上でも神事に奉仕する巫女、それ以外の事務作業などを行う女性職員と区分されることが多い。

なお、神楽を奉仕、指導する巫女については、結婚後も、技術継承などの問題から神社職員として勤務する例もある。
助勤巫女

正月などの繁忙期には、神社の大小にかかわらず臨時のアルバイトを採用している例が多い。一般的にアルバイトは神社では「助勤」「助務」と呼称される。神社独自で雇用を呼びかける、あるいは大学高等学校への求人の呼びかけなどで採用される。また、神職養成機関に所属する女子学生が研修生・実習生として臨時奉仕する例もある。神社によっては、千早の着用の有無などで本職巫女と区別される場合もある。
神事・催事の巫女神楽を舞う巫女/服部住吉神社秋祭例祭)の宮入にあたって斎行されたもの。

大規模な神社においては、前述の神社に勤務する巫女が祭祀の際に浦安の舞や伝統の巫女神楽を奉納するが、主に小規模な神社では、臨時に年少者が巫女として奉仕する例も存在する。その多くは神社の氏子である少女によって奉仕されている。祭礼に併せて行われる稚児行列にも巫女装束の年少者が加わる例もある。神楽を奉納する場合は化粧を施すことが多く、特別な場なので厚化粧となる場合もある。
巫女の装束詳細は「巫女装束」を参照

現在では、巫女装束は白い小袖(白衣)に緋袴を履くのが通常である。元来、袴は襠(まち)ありであったが、明治になって教育者の下田歌子が女学生用の袴として行灯袴を発明し、好評だったため後に巫女の分野にも導入されることとなった。したがって、現代は行灯型の緋袴が一般的であるが、伝統的な襠有りの袴を採用している神社もある。特に神楽を舞う場合は足裁きの都合上、襠有りでないと不都合が生じることがある。また、神社によっては若い女性向けの「濃」(こき、赤紫色)袴を用いるところもある。

神事の奉仕や神楽を舞う場合など、改まった場面では千早を上から羽織る場合もある。髪型については、長い黒髪を後ろで檀紙水引、装飾用の丈長などを組み合わせて(絵元結と呼ばれる)束ねるのが基本だが、髪の長さを足すために髢(かもじ)を付ける場合もある。

巫女装束姿

神楽を舞う巫女(稚児

賀茂御祖神社にて

巫女の服装

巫女、明治神宮

巫女による舞

研究史

神子に関する研究は民俗学歴史学の両面からアプローチされ、民俗学においては1910年代から30年代にかけて、柳田國男中山太郎折口信夫らによって東北地方をフィールドに展開され、1990年代には神田より子による研究が展開された。

歴史学においては、1990年代に義江明子が古代社会における神子を社会・経済的に位置づけ、西田かほるは近世社会における神子の存在を身分的周縁の観点からその多様性を指摘している。
巫女と女性シャーマン

本項で取り上げた大和の神道における巫女や琉球神道神人(かみんちゅ)である祝女(ノロ)以外にも、「巫女」を「女性のシャーマン」として広義に解釈するのであれば、民間のユタ台湾における?姨、韓国の巫堂(??;ムーダン)の他、シベリアアメリカ原住民アフリカなどにみられるシャーマンなども巫女の一種であり、日本語訳として「巫女」が当てられる。また、フィクションでは西洋宗教などにおける神職を指すこともある。[要出典]

中山太郎は、口寄せ巫女にユタ、アイヌのツス(トゥス)を入れる[10]

古代ギリシアローマの伝説に現れる女予言者「シビュラ」(Sibyl, sibylla)なども「巫女」と訳される。神懸かりとなり神託を伝えるのはシャーマンの特徴であり、古代ギリシアではデルポイの神託は尊重されていた。神の言葉を介するもの、という意味からメディア(media. 中間にあり媒介するもの)とも称される。またウェスタの処女と呼ばれる巫女が神殿で儀式を行っていた。[要出典]

民間伝承では救世主を待望する異教徒のシンボルであり、キリスト教美術の図像にはアトリビュート(持物)として書物を持つ姿が多く見られる。他に「ペルシアの巫女」は頭にヴェール、「リビアの巫女」は灯りのともった蝋燭、「キンメリアの(イタリアの)巫女」はコルヌコピア(豊穣の角)、「エリュトレイア(リディア)の巫女」は「受胎告知」の預言者として百合、「サモスの巫女」は「キリストの降誕」の預言者として秣桶(まぐさおけ)か揺り籠、「クマエの巫女」も「キリストの降誕」の預言者として貝殻、「ヘレスポントスの巫女」は「キリストの磔刑」の預言者として釘、「アグリッパの(エジプトの)巫女」は浅黒い肌で「キリストの笞打ち」の預言者として笞、「エウロパの巫女」は「エジプトへの逃避」の預言者として「嬰児虐殺」の剣を持つ。「フリュギアの巫女」は「キリストの復活」の預言者として十字架を伴い、「ティブルの巫女」は片手を切り落とされている。巫女の単独像は少なく、多くは群像として表現される。[要出典]

エゼキエル書13章18節に、「手の節に呪縛の組紐をつけ、諸々の頭に合う呪祓の被り物(ミスパホート 散らすを表すサパーフから)を作り被らせる」巫女が罵倒されている。組紐(占い紐 あるいは枕)と訳されるケサトートが、「縛る」を表すカシートの派生語であり、「鳥[注 4]を捕らえるごとく魂をとる」と表現されているので、そのような儀礼を行う者であったらしい。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 巫女の水引(みずひき)は、熨斗と同じ形をしており、巫女はこれを髪留めを隠しつつ髪を飾って神々しさを高めるために用いる。
^ 一応、柳田國男に寄れば、『巫女考』[8]に「モリコ、イタコの別名」としてクグツが紹介されている。
^ 『民俗学辞典』[9]によればマンニチと呼ばれる歩き巫女は、被災地、戦場跡に居を構え、死者の供養をしていたらしい。
^ 13章20節の新共同訳。ただし、岩波委員会訳聖書の『エゼキエル書』[11]では、この原語「ポーレホート」(パーラハ、の女性複数分詞形。ただし、パーラハは「芽吹く」の意であるが、諸翻訳家はこれから出た語説を取らない)の、旧来の「p ーrー h」(飛ぶ、走る)の派生語とし「鳥」とする訳が、後の文と合わない無理訳であるとしてアッカド語の「パラーウ」(切り刻む)からの派生語とし「魂を切り刻む 女の妖怪のような者」を巫女の崇拝するものと想定して訳している。

出典^ a b 朱鷺田(pdf) 2011, 1/3コマ「髪留めと冠」※図解あり。
^ 柳田國男 1962, pp. 223?224.


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