元正朝の霊亀2年(716年)出羽国において官人や人民が少なく狄徒(出羽国の蝦夷)も未だ十分に従っていない一方で、土地が肥沃で田野が広大であることから、近国の人民を出羽に移住させて凶暴な狄徒を教え諭すと共に、土地の利益を確保すべき旨を建言する。これに基づき朝廷では、陸奥国の置賜・最上の2郡と、信濃・上野・越前・越後の4国の百姓それぞれ100戸を出羽国に移した[3]。
霊亀3年(717年)1月18日薨去。最終官位は中納言従三位。 『六国史』による。
官歴
持統天皇7年(693年) 6月4日:直広肆
時期不詳:従四位下
慶雲2年(705年) 4月22日:民部卿
時期不詳:従四位上
和銅元年(708年) 3月13日:左大弁。7月15日:正四位下
和銅2年(709年) 3月5日:陸奥鎮東将軍
和銅4年(711年) 4月7日:正四位上
和銅6年(713年) 正月23日:従三位
霊亀元年(715年) 5月22日:中納言
霊亀3年(717年) 正月18日:薨去
脚注[脚注の使い方]^ 『続日本紀』和銅元年7月15日条
^ 『続日本紀』和銅2年3月5日条
^ 『続日本紀』霊亀2年9月23日条
参考文献
宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年
宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年