左翼党_(ドイツ)
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2005年の連邦議会選挙後には、ビスキーが副議長候補に指名されたが、シュタージ(東ドイツ国家保安省)との関係が取りざたされて、本人は関係を否定したものの副議長就任を断念した。このように、特に旧PDS出身者に対してはかつての東ドイツ時代の活動に対する疑念が持たれる場合が多く、上記の憲法擁護庁による監視の理由ともなっている。

前身のPDSは2004年6月の欧州議会選挙では、ドイツに割り当てられた99議席中7議席を獲得した。現在の左翼党はこれを引き継ぎ、欧州の左派政党で結成した欧州左翼党及びその院内会派である「欧州左翼党-ノルディック環境左派同盟」内では、最大の議員数となっている。欧州左翼党の議長には、ビスキーが就任している。

メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都・シュヴェリーン市長を務めるアンゲリカ・グラムコウ(de)が、ドイツ国内唯一の左翼党員首長となっている。
旧西ドイツ地域の州議会への進出グレゴール・ギジ連邦議会共同議員団長(2009年以降は単独で議員団長)

左翼党に合同する前の民主社会党は、旧西ドイツ地域においては旧東ドイツの独裁政党ドイツ社会主義統一党のイメージを強く持たれていたため旧東ドイツ地域と比べて支持率が極端に低く、旧西ドイツ地域の州議会では議席獲得に必要な5%の枠を突破できない状況が続いていた。

しかし、WASGと合同し左翼党になってから、旧西ドイツ地域でも支持を伸ばし始め、正式に合流する直前の2007年5月13日に行われたブレーメン州議会選挙では8.4%の得票率で7議席を獲得し、旧西ドイツ地域の州議会では初めて議席を獲得した[12]

2008年1月27日ヘッセン州ニーダーザクセン州における州議会選挙において、5%の壁を突破し(ヘッセン州5.1%、ニーダーザクセン州7.1%)、議席を獲得することに成功した[13]。ヘッセン州とニーダーザクセン州において議席を初めて獲得したことについて、現在は左翼党連邦議会団長を務めるグレゴール・ギジは、「根強い反共主義を破った」、「われわれはもはや旧東ドイツ地域だけの党ではない」と語り、左翼党がドイツ全域に影響を広げていることを強調した[14]

ヘッセン州とニーダーザクセン州に続いて、ハンブルク特別市(州と同格)でも、2月24日の特別市議会選挙において、6.4%の得票率で8議席を獲得して躍進した。ハンブルクでも議席を獲得したことで、同党が議席を持つ州はドイツ全16州(特別市を含む)中10州、議席の総数は175議席となった[15]。左翼党のバルチ幹事長は「ハンブルク選挙の勝利は左翼党の全国的な上昇傾向を確認するものだ。社会的公正、社会保障、教育の平等で我々に期待が寄せられた」と語った[16]。その後も西側地域の州議会選挙で、左翼党は議席を獲得し続けたが、9月のバイエルン州議会選挙では得票4.3%を得て前回選挙より得票は増やしたものの、議席獲得に必要な5%ラインを突破できなかったため、議席は確保できなかった[17]濃赤は2014年12月時点で州首相を選出している州、赤は州政府に連立与党として加わっている州、薄赤は州議会に議席を有している州

2009年欧州議会議員選挙では、7.5%の得票で8議席を獲得した。
2009年連邦議会選挙における躍進

2009年9月27日連邦議会選挙で、左翼党は前回よりも支持を伸ばし、改選前を22議席上回る76議席を獲得して勝利を収めた。第2投票(政党名簿への投票)の投票結果で見た場合、全国平均で前回より3.2%増、16州全てで議席阻止線である得票率5%を上回る得票を得た(前回は3州[18]で5%未満)。また同時に行われたシュレースヴィヒ=ホルシュタインの州議会選挙においても、前回比で5.5%増の6%を獲得し、同州議会において初めて左翼党は議席を獲得(5議席)して勝利を収め、ドイツ全16州の内、12の州議会で議席を有する結果となった[19]。また、この2009年の連邦議会選挙の1ヶ月前に行われたザールラント州の州議会議員選挙では、同州が旧WASG指導者のオスカー・ラフォンテーヌ共同党首が州首相を13年間務めた地盤であるため、旧西ドイツ地域の州としては珍しくドイツキリスト教民主同盟ドイツ社会民主党と三つ巴の接戦を演じた。
2010年以後

2010年5月、ドイツ最大の州であるノルトライン=ヴェストファーレン州で行なわれた州議会(定数181)選挙で、前回選挙に出馬したWASGとPDSの得票合計3.1%より増やし5.6%の得票を得て11議席を獲得、同州で初めてとなる左翼党の議席を獲得した。これにより、ドイツ全16州の内13州の州議会で議席を得ることになった[20]

2011年ハンブルク市議会選挙では現有議席に留まり、3月ラインラント=プファルツ州バーデン=ヴュルテンベルク州議会選挙では、議席阻止線である得票率5%を突破出来ず議席を獲得できなかった[21]5月ブレーメン州議会選挙では前回より得票率を後退させたが、辛うじて議席を確保した。2012年5月15日のノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙では、新興政党であるドイツ海賊党躍進のあおりを受ける形で前回より支持を3ポイント以上減らした結果、2年前の選挙で得た全議席を失う結果となった[22]


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