工部大学校
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1878年
(明治11年) - 第一期卒業生を送り出すにあたり、7月15日に
明治天皇
親臨のもと「開業式」を執行(いわゆる開校式ではない)
[11]
。
1885年
(明治18年) - 工部省廃止に伴い
文部省
に移管。
1886年
(明治19年) -
帝国大学令
により
東京大学
工芸学部と合併、'帝国大学工科大学'となった。
以降の歴史については
東京大学#沿革
も参照のこと。
工部大学校の教授
<外国人教員>
ヘンリー・ダイアー
(Henry Dyer
)
チャールズ・ディキンソン・ウェスト
(Charles Dickinson West)
[12]
ジョン・ミルン
(John Milne)
[13]
ウィリアム・エドワード・エアトン
(William Edward Ayrton)
ジョン・ペリー
(John Perry (engineer))
[14]
ジョサイア・コンドル
(Josiah Conder)
ウィリアム・グレイ・ディキソン (William Gray Dixon)
エドマンド・モンディ(Edmund F. Mondy)
ディヴィッド・ヘンリー・マーシャル
(David Henry Marshall)
エドワード・ダイヴァース
(Edward Divers)
リチャード・ライマー=ジョンズ (Richard Rymer Jones)
ジョージ・コーレイ (George Cawley)
主な卒業生
土木
石橋絢彦
- 土木科第1期生。1880年(明治13年)イギリスに留学し、海上工事(灯台建設など)を学ぶ。帰国後、
工部省
や神奈川県で灯台建設などに従事。1910年(明治43年)当校の校長(第4代)に就任。横浜市の吉田橋を改修。1911年に日本最初のカーン式鉄筋コンクリート橋を完成させた
[15]
。
南清
- 土木科第1期生で、主に
鉄道
分野で活躍。技術のほか
鉄道会社
経営にも参画。
杉山輯吉 - 土木科第1期生で、
台湾
で建設事業に従事。
日本工学会
[16]
設立者。
田辺朔郎
- 土木科第5期生。
琵琶湖疏水
工事を担当、京都蹴上(けあげ。京都東部の山麓部)に日本最初の
水力発電所
を併設し事業化。東大教授・
京都帝大
教授となり、「京都市の3大事業」と呼ばれた琵琶湖第2疏水・水道・市電設置という事業に参画。
関門海底トンネル
の踏測にも従事。東大工科大学長にも。また
北海道で鉄道建設
にもあたった。
渡邊嘉一
- 土木科第5期生。スコットランドの
フォース橋
の建設監督をし、
帰国後は鉄道建設
にあたる。
久米民之助
- 土木科第6期生。
皇居二重橋
の
構造設計
のほか
鉄道トンネル
開削など。また実業家として外地台湾や
朝鮮半島
で建設事業にあたる。さらに
衆議院議員
に。
造家(建築)
辰野金吾
- 造家学科第1期生。日本人として最初期の
建築家
。1873年に工部省工学寮第一回生として再試験で末席入学。最初は造船を学んでいたが、2年終了後、造船から造家(建築)に転じ、
ジョサイア・コンドル
に師事し、
1879年
に工部大学校造家学科第1期生として卒業。イギリスに留学し、コンドルの師、ウィリアム・バージェズの事務所で修業。1883年帰国後はコンドルの後任として当校の教授を務め、東京帝国大学工科大学教授、同学長として建築教育に専念。1886年造家学会 (現
日本建築学会
) 創立に参加。のちに同学会会長。 1902年退職後は建築事務所を設立、多くの建築設計に従事
[17]
。
曽禰達蔵
- 造家学科第1期生。辰野金吾と同郷で同級生。建築家として活躍。
片山東熊
- 造家学科第1期生。宮内省で
赤坂離宮
など宮廷建築に多く関わり、職務として県庁や
博物館
、宮内省の諸施設など36件の設計に関わった。また公務の合間に貴族の私邸を中心に14件の設計を行った。代表作は
迎賓館
など。
佐立七次郎
- 造家学科第1期生。建築家として活躍。代表作は旧日本郵船小樽支店、
日本水準原点標庫
など。
藤本寿吉
(壽吉) - 造家学科第2期生。建築家として活躍。
福沢諭吉
の甥で、代表作に慶應義塾演説場、箱根離宮、旧文部省庁舎など。
渡辺譲
- 造家学科第2期生。建築家として活躍。代表作は初代帝国ホテル、海軍資料館など。
坂本復経
- 造家学科第3期生。建築家として活躍。代表作は旧鍋島公爵邸など。
小原益知
- 造家学科第3期生。滋賀県の嘱託建築家として、琵琶湖疏水諸施設のデザインに協力する。
久留正道
- 造家学科第3期生。建築家として活躍。代表作は旧帝国図書館(現・
国際子ども図書館
)、旧第四高等中学校本館(現・
四高記念文化交流館
)、旧第五高等中学校本館(現・
熊本大学
五高記念館)など。
中村達太郎
- 造家学科第4期生。建築学者として活躍。旧穂積公爵邸、演芸館など。
河合浩蔵
- 造家学科第4期生。建築家として活躍。代表作は神戸地方裁判所庁舎、
海岸ビルヂング
など。
新家孝正
- 造家学科第4期生。建築家として活躍。代表作は逓信大臣官邸、華族女学校、旧川崎銀行水戸支店など。
滝大吉
- 造家学科第5期生。建築家として活躍。作曲家滝廉太郎のいとこ。現・
中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館
など。
森川範一 - 造家学科第5期生。海軍建築家として
桜井小太郎
と旧舞鶴海軍兵器倉庫(現・赤れんが博物館)の建設に従事。
吉井茂則
- 造家学科第5期生。
逓信省
建築家として活躍。代表作は京都郵便局など。
造船
三好晋六郎
- 日本
造船学
の礎を築く。当校の助教授として母校の教壇に立つかたわら、工手学校(現・
工学院大学
)の設立にかかわり、明治20年から校長を兼ねた。
近藤基樹
- 1884年(明治17年)に造船学科を卒業。
海軍省
主船局出仕などの後、 1886年?1890年にイギリスの
グリニッチ海軍大学校
に留学。1890年に
文官
から
武官
に転じ、海軍大技士(大尉相当官)となり、横須賀鎮守府造船部日本海軍の造船中将。後に工学博士。その功績により、爵位を授爵し華族となった。
松尾鶴太郎 - 造船学を専攻。工手学校(現・工学院大学)教授。
機械
高山直質
- 機械学のうち鉄鋼技術研究を主な専門とした。
安永義章 - 機械科第2期生。明治16年(1883年)陸軍省技師となり、1885年から
兵器
製造技術研究のためドイツとフランスに留学。のち
八幡製鉄所
の技師をへて明治37年(1904年)以降 大阪高等工業学校(阪大工学部の前身)の校長を歴任
[18]
。
ダイハツ
設立者。
真野文二
- 機械科第3期生。明治15年(1882年)当校の助教授。明治19年(1886年)英国
グラスゴー大学
に留学。東京帝大教授、
九州帝大
総長などを歴任。
日本機械学会
創設者。
内藤正共 - 機械科第3期生。1881年に当校を卒業し、同年イギリスに私費留学、
グラスゴー大学
で海事工学を研究。帰国後、1885年に
海軍省
御用掛に就任。以後、海軍大学の技士、海軍造船大の技士を歴任。その他、
小野浜造船所
製造科主幹、
川崎造船所
嘱託なども務めた。
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