巡礼
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地中海沿岸からヨーロッパ各地に諸聖人の遺骨(聖遺物または不朽体)または十字架ノアの箱舟の跡などの遺物を祭ったとされる教会、聖堂などが多数あり、そのような地への巡礼が行われた。巡礼は多くの旅人を集めた(『カンタベリー物語』など)。もっとも有名なものには、エレナが発見したとされる十字架の遺物、アルメニア王アブガル(アルメニア語版、英語版)(アウガリ)に贈られ、シリアのエデッサ (古代都市)(英語版)(Edessa)からコンスタンティノポリスにもたらされた自印聖像(マンドリオン、手で描かれたのではない聖像)、コンスタンティノポリスの聖母マリアの衣、洗礼者ヨハネの首などがある。これらの宝物は中世後期に失われた。また、巡礼者を惹きつけるために他の教会から聖遺物を盗んできたり、偽造するということもあったとされる。また西方では、中世中期からミラノのキリストの聖骸布聖杯聖杯伝説騎士道物語を生み出す元になった)などの伝承が生まれた。

古代後期から、殉教者の遺骨によって奇跡がおき、参拝した巡礼者の中に病気が治癒したり歩けなかった足が動くようになったなどの事例が報告されるようになった。こうした奇跡が起こったということから巡礼者が集まるようになったというものも多い。たとえばピレネー山中のルルドや、カトリックの三大巡礼地の1つサンティアゴ・デ・コンポステーラなどである。麦角病(四肢が壊疽したり、精神錯乱を招く)は「巡礼に赴くことで癒える」とされた[注 2]

こうした巡礼の旅で病に倒れた人、宿を求める人を宿泊させた巡礼教会、その小さなものを「hospice ホスピス」と呼んだが、そこでのもてなしから「hospitality ホスピタリティ(歓待)」の語がうまれ、病人の看護などの仕事をする部門が教会の中に作られるようになって今日の英語でいう「hospital ホスピタル」が派生した。ゆえに「hospital ホスピタル」は、「病院」だけではなく、「老人ホーム」「孤児院」の意味も持つ。またhospiceは、現代では終末期の患者が残りの時を過ごす近代的な「ホスピス」の語源となっている。
カトリック(西方教会)の三大巡礼地

カトリックの三大巡礼地は、ローマサンピエトロ大聖堂(=聖ペトロが眠る場所)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(=9世紀に羊飼いが聖ヤコブの墓を見つけとされる場所)、そしてエルサレムともされる。
オルトドクス(正教会東方教会)の巡礼地

正教会の巡礼地としては、アヤ・ソフィア大聖堂(=かつてのビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル、つまり現在のイスタンブールにある大聖堂)、アトス山(=東方正教の一大中心地)、聖カタリナ修道院(=モーセが十戒を授けられたとされるシナイ山にある修道院)、エルサレムなどが挙げられる。またロシア内、ロシア正教会に限ると、至聖三者聖セルギイ大修道院(=ラドネジの聖セルギイの不朽体のある場所)なども挙げられる。
プロテスタントの巡礼に対する態度

宗教改革後、プロテスタントは、巡礼に対して(も)冷淡な態度をとっている[1][注 3]
イスラム教の巡礼ハッジの期間やそうでないウムラの時期にメッカマスジド・ハラームにやってきて、カアバ神殿タワーフ(=周囲を反時計まわりで7周まわること)を行う巡礼者たち。詳細は「ハッジ」、「ウムラ」、および「en:Ziyarat」を参照

メッカ(マッカ)にあるカアバ神殿へ歩いて向かうこと。アラビア語で「ハッジ」。イスラム教の五行のひとつ。行程に若干異なる点があるが、巡礼にはイスラム教各宗派の信徒が共に参加する。

ヒジュラ暦で12番目の月を「ハッジの月(巡礼月)」と呼び、この月にメッカのカアバへ巡礼することは、特に奨励されている。これを大巡礼と言う。対して、これ以外の月に巡礼することは小巡礼(ウムラ)と言う。例年、ハッジの月には数百万人の巡礼者がメッカに集まる。

巡礼は、体力的、経済的に可能な者に、一生に一度は行なうよう義務付けられている行為であるが、巡礼を果たしたムスリム(イスラム教徒)は、「ハーッジー」と呼ばれ、特に尊敬される。

現在ハッジの希望者数は受け入れ可能人数を超えており、ハッジに参加するにはメッカを管理するサウジアラビア政府の発給する特別ビザが必要。ビザ発給枠はムスリム人口を考慮し各国に割り当てられる。サウジアラビア政府は巡礼地での礼拝時の宗教的興奮において起こると危惧される政治的混乱を恐れている。

聖者の廟への参詣はズィヤーラ(アラビア語: ?????‎)と呼ばれてハッジ(巡礼)とは厳格に区別されるが、ズィヤーラの方がむしろ日本でいう巡礼に近い[2]。ズィヤーラははじめシーア派によって体系化され、歴代のイマーム、とくにカルバラーフサイン廟への参詣が奨励された(アルバイーンも参照)。後にイスラーム世界全体に広がり、各地の聖廟を巡歴する形式や、集団参詣も行われるようになったが、近代になって急激に衰退した[2]
バハイ教の巡礼詳細は「バハイ教#巡礼」を参照

バハイ教では本来バグダードバハー・ウッラーの家とシーラーズバーブの家が巡礼地とされていたが、現在ではこの巡礼は実行不可能である。現在バハイ教で巡礼といった場合、イスラエルハイファアッコ、バフジーへの九日間の巡礼を指す。
ヒンドゥー教の巡礼.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}ハリドワールクンブ・メーラ。ガンジス河を訪れて沐浴するケーダールナートの巡礼者たち

ヒンドゥー教で聖地をティールタ(英語版)(????? t?rtha)と呼び、山や川、高名なリシの住居などが巡礼の対象となる。

ヴァーラーナシーのガートはもっとも有名であり、聖なるガンジス河沐浴をする。ヴァーラーナシーはヒンドゥー教徒にとってもっとも重要な7つの聖都(サプタプリー)のひとつである。サプタプリーの他の6つはアヨーディヤーマトゥラーハリドワールカーンチープラムウッジャインドワールカーである。

インドの東西南北4端にある巡礼地をチャールダーム(英語版)と呼んで重視する。伝説によると、8世紀のシャンカラがこの4つの巡礼地をまわって寺院を建設したと伝える。チャールダームは北のバドリーナート、南のラーメーシュワラム、東のプリー、西のドワールカーがある。


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