川端康成
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大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である[1][2]

代表作は、『伊豆の踊子』『浅草紅団』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など[3]

ノーベル文学賞をはじめ、多くの文学賞を受賞し、日本ペンクラブ国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した。なお、遺書はなかった[4][5]
概略・作風

大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、的、抒情的作品、浅草物、心霊神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った[6]

その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界幽玄、妖美な世界観を確立させ[6][7]、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も認識した上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に残る作品を描き、近代日本文学の代表者としての地位を築いた[1][2]。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観美意識を世界に紹介した[8]

初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている[9][10][11]

川端は新人発掘の名人と称されたことでも知られ[12][13][14]ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎武田麟太郎藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝豊田正子岡本かの子中里恒子三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる[12][13][14]。また、その鋭い審美眼で数々の茶器陶器仏像埴輪俳画日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い[15]

※以下、川端康成の作品や随筆内からの文章の引用は〈 〉で括っています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
生涯
生い立ち――両親との死別川端康成生誕地(撮影2011年)

1899年明治32年)6月14日大阪府大阪市北区此花町1丁目79番屋敷(現・大阪市北区天神橋1丁目16-12)に、医師の父・川端栄吉(当時30歳)と、母・ゲン(当時34歳)の長男として誕生[16][17][18](川端自身は6月11日生れと最晩年まで信じていた[19][20][21])。7か月の早産だった[22][23]。4歳上には姉・芳子がいた[24]。父・栄吉は、東京の医学校済生学舎(現・日本医科大学の前身)を卒業し、天王寺村桃山(現・大阪市天王寺区筆ケ崎町)の桃山避病院などの勤務医を経た後、自宅で開業医をしていたが、を病んでおり虚弱であった[16][25]。また、栄吉は浪華の儒家寺西易堂で漢学書画を学び、「谷堂」と号して漢詩文や文人画をたしなむ多趣味の人でもあった[26]。蔵書には、ドイツ語の小説や近松西鶴などの本もあった[27][28][29]

しかし栄吉は自宅医院が軌道に乗らず、無理がたたって病状が重くなったため、康成が1歳7か月となる1901年(明治34年)1月に、妻・ゲンの実家近くの大阪府西成郡豊里村大字天王寺庄182番地(現・大阪市東淀川区大道南)に夫婦で転居し(ゲンはすでに感染していたため)、子供たちは実家へ預け、同月17日に結核で死去した(32歳没)[16][18][30]。栄吉は瀕死の床で、「要耐忍 為康成書」というを遺し、芳子のために「貞節」、康成のために「保身」と記した[25][注釈 2]

2人の幼子が預けられたゲンの実家・黒田家は、西成郡豊里村大字三番745番地(現・大阪市東淀川区豊里6丁目2-25)にあり、代々、「黒善」(黒田善右衛門の二字から)と呼ばれる素封家(資産家)で、広壮な家を構える大地主であった[30][31][32]。ところが、ゲンも翌1902年(明治35年)1月10日に同病で亡くなった(37歳没)。幼くして両親を失った康成は、祖父・川端三八郎と祖母・カネに連れられて、原籍地の大阪府三島郡豊川村大字宿久庄小字東村11番屋敷(のちの大阪府茨木市大字宿久庄1540-1。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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