川柳川柳
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2021年11月17日0時48分、肺炎のため、東京都内の病院で死去[14][15][16][17]。90歳没。故人の遺志により献体され[18]、葬儀やお別れの会はなかった。訃報がマスコミにより公表されたのは19日昼、落語協会サイトに情報が掲載されたのは20日である。
芸歴三遊亭さん生/川柳川柳定紋「三ツ組橘」

1955年8月 - 六代目三遊亭圓生に入門、前座名「さん生[6]

1958年3月 - 二ツ目昇進[7]

1974年3月 - 真打昇進。

1978年 - 五代目柳家小さん門下へ移籍、「川柳川柳」と改名。

師匠との関係

師匠である圓生とさん生は決して相性が悪かったわけではない。さん生は圓生の理想とする噺家像とは異なり、新作落語のみの落語家だっただけである。

川柳の著作によれば、圓生はジャズと義太夫を織り交ぜた、さん生のネタ『
ジャズ息子』を聴き、さん生に義太夫について色々と教え、ジャズにも強い関心はなかったものの、理解してくれたとある[19]

さん生を新作落語へ転向させる原因となった東宝落語勉強会は、評論家の飯島友治が半ば無理強いで圓生に願い出た企画で、落語協会落語芸術協会、双方から選ばれた二ツ目の落語を真打や素人の客にまで評価させるというものだった。メンバーの数人が企画者と意見が対立し除名された際、圓生一門からも誰かを除名させないと折り合いが悪い状態となってしまい、好生は自殺しかねない繊細さを考慮され矛先がさん生へ向いたと、この経緯は圓生の妻である山崎はなが本人に伝えている[8]

圓生がさん生の真打昇進に反対した件については「古典落語ができないにも関わらず人気ばかりを考えている二つ目を真打にさせては落語家の恥だ」と圓生が考えてのことであり、この思想から林家こん平の真打昇進を快く思っていなかったこともさん生本人に真打昇進をさせない理由と共に伝えている[20]

圓生が落語三遊協会を設立した際も当初はついてゆくつもりであり、圓生からも「客受けの戦力」だからと評価を受けている。最終的に残留となったのには、直後のさん生自身の酒の失敗(酔った勢いで3代目古今亭志ん朝に計画を聴かされていなかったと愚痴をこぼし、それを聞いた志ん朝から圓生の元に「師弟一丸となってもらわないと困る」[注 2]と苦情が入った。この一件を圓生から聞かされた圓楽は激怒し、さん生に電話をよこした)、弟弟子圓丈の忠告、好生の同意などが影響している[21]

この師弟間の決別を決定的なものにしたのは、さん生の酒による失敗が他の一門など外部におよんだことが圓生の耳に入ったことと、協会との対立が続いた圓生に精神的な余裕がなくなってしまったことが要因である。

2006年の大銀座落語祭で行われた落語会『六代目圓生トリビュート』には、兄弟弟子[注 3]に混じり川柳も出演している。

演目
得意演目
ガーコン

軍歌やジャズを取り入れた漫談で、川柳の代表作とも言える演目[22]。近代日本の世相や風俗を流行歌という観点から振り返る内容である[23]。紹介される流行歌のうち多くを占めるのが第二次世界大戦期の軍歌で[23]、『大東亜決戦の歌』『英国東洋艦隊潰滅』『空の神兵』『加藤隼戦闘隊』『ラバウル海軍航空隊』『月月火水木金金』『轟沈』『比島決戦の歌』『同期の桜』『若鷲の歌』などを実際に歌ってみせる[23][24]

題名の『ガーコン』は本編中のオチに出て来る足踏式脱穀機の動作音の擬態語に由来する。脱穀機のくだりで、登場人物の母親が父親に声援を送ると『大ガーコン』という演題に変わる[25][26]。ガーコンの長講が大ガーコンとなるわけではなく、上演時間は関係ない。『ガーコン』と命名したのは前座時代の古今亭右朝[26]、それまでこの演目は「歌で綴る太平洋戦記」「昭和歌謡史」「歌は世につれ」などと表記されていた。

1970年頃に作った噺で、その後は寄席に出演する際はこの『ガーコン』ばかりを演じていた[23]。全盛期には年に100回以上演じており、そのため寄席の上演回数の年間ランキングでは、『時そば』、『寿限無』、『金明竹』、『子ほめ』などの前座からベテランまで分け隔てなく演じられる定番ネタと、川柳のみが演じる『ガーコン』とが張り合っていた[27]

『ガーコン』は五代目柳家小せんが若手時代に川柳の許可を得て演じ、その後も引き続き高座にかけている[28][29][30]。また古今亭右朝[31][32]立川談之助[33]も演じたことがある。
ジャズ息子

義太夫息子』や『宗論』を踏まえた川柳作の新作落語。終戦後、ジャズに熱狂する若者たちと、それに苦言を呈する父親のひと騒動。ジャズを根底から否定する父親は、自宅で義太夫の『摂州合邦辻』をうなるが、息子と友人たちは対抗して2階でジャズの『聖者の行進』を大音量で演奏する。義太夫とジャズ、両極端な2種類の口演が見どころである。なお三代目三遊亭金馬に同名の新作落語があるが、内容は別の作品である。

少なくとも2011年ごろからほとんど演じなくなっていた。そのことを古今亭志ん輔に聞かれた際、川柳は「だってさぁ、ジャズと義太夫をカブせていくだろ。どんどんテンション上げてかないとお客さんの張りが緩んじゃうしさ 兎に角 疲れるんだよ」と説明していた[34]

『ジャズ息子』は本人以外に、六代目五街道雲助[31][35][32]春風亭小朝[36]三代目橘家文蔵[37]四代目柳亭市馬[38]がそれぞれ演じたことがある。
ラ・マラゲーニャ

音楽・音声外部リンク
『ラ・マラゲーニャ
(英語版)』を試聴
(※川柳川柳の歌唱ではなく原曲)
La Malaguena - トリオ・ロス・パンチョスの演奏、ロス・パンチョス公式YouTube。

川柳の二ツ目のころの売り出しのきっかけともなり、圓生に「色物」と呼ばれる所以ともなった演芸。高座着の上からソンブレロにサラッペのいでたちでギターを抱えて『ラ・マラゲーニャ(英語版)』を歌いながら艶笑小咄を展開する[39]。寄席で主任の時に大喜利として演じていた。
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