川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニー
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カワサキモータース株式会社
Kawasaki Motors, Ltd.
種類株式会社
本社所在地 日本
673-8666
兵庫県明石市川崎町1番1号
設立2021年2月12日
業種輸送用機器
法人番号7140001120470
代表者代表取締役 伊藤浩
資本金10億円
売上高1483億5500万円
(2022年03月31日時点)[1]
営業利益81億9800万円
(2022年03月31日時点)[1]
経常利益104億4300万円
(2022年03月31日時点)[1]
純利益72億円
(2022年03月31日時点)[1]
純資産586億7500万円
(2022年03月31日時点)[1]
総資産1761億7300万円
(2022年03月31日時点)[1]
従業員数単体:2,176名
連結:9,325名(2021年10月1日現在)
支店舗数3拠点(兵庫県明石市、兵庫県加古川市、東京都港区)
主要株主川崎重工業株式会社 100%
主要子会社株式会社カワサキモータースジャパン
株式会社ケイテック
株式会社テカニカ
ユニオン精機株式会社
株式会社オートポリス
新日本ホイール工業株式会社
外部リンクhttps://www.kawasaki-cp.khi.co.jp/corp/
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カワサキモータース株式会社(: Kawasaki Motors, Ltd.)は、兵庫県明石市に本社を置き、オートバイ全地形対応車水上オートバイなどを製造販売する企業である。川崎重工業株式会社の100%子会社。

2021年9月までは川崎重工業の社内カンパニーであり、2010年3月までは、汎用機カンパニー[2]、同年4月以降はモーターサイクル&エンジンカンパニーと称した。川崎重工グループで唯一、一般消費者向け製品を生産する[3]。マザーファクトリー(事業本部)は兵庫県明石市[2]二輪車(オートバイ)全地形対応車(ATV)サイド・バイ・サイド・ビークル(UTILITY VEHICLE)汎用エンジン水上オートバイなどを製造している。

オートバイメーカーとしてのコーポレートカラーライムグリーンとしている。
解説KLX250(自衛隊仕様)Ninja H2R。スーパーチャージャーを搭載。

飛燕などの軍用機を製造していた川崎航空機工業(第1次)は、敗戦後の1946年5月31日に社名を川崎産業と変更。明石工場は明石空襲で被災して壊滅状態にあったが、明石工場の疎開工場として戦時中に設置した播州歯車工場(滝野)と高槻工場が生き残っており、変速機用の歯車を製造・供給し、次いで二輪車向けのエンジンを試作していた。

川崎産業は1950年3月1日に川崎都城製作所を設立し、同年5月1日には川崎機械工業と川崎岐阜製作所を設立して解散。歯車の製造・供給は川崎機械工業によって行われた。なお、川崎都城製作所は1951年3月31日に解散したが、会社清算中の1953年9月21日に社名を川崎航空機工業(第2次)と変更して存続することになった。

1953年に川崎機械工業製のエンジンを搭載した電光号が大日本機械工業から発売されたが、大日本機械工業は同年中に富士自動車傘下となり、電光号の販売を中止して東京瓦斯電気工業製のエンジンを搭載するDNB号に変更することが決まると、電光号の設計者たちが独立して同年12月15日に明発工業が設立された。「明発」は「明石の発動機」を表しているが、播州歯車工場と高槻工場がまだ明石工場に集約される前で、二輪車向けのエンジンの試作や製造もこれら疎開工場が先行する[4]

川崎機械工業は1954年3月15日に川崎岐阜製作所とともに川崎航空機工業に吸収合併された。明発工業も同年7月に社名を川崎明発工業と変更したが、ブランド展開は「明発」だった(1957年から「メイハツ」)。川崎航空機工業(明石)が製造する発動機を川崎明発工業(東京)へ供給する体制から、川崎航空機工業での一貫生産体制へシフトするのは1960年[5]、同年9月19日に明石工場内に二輪車組立工場(第24工場)が完成し、同年11月には250ccや500ccのオートバイを製造していた目黒製作所と業務提携を結んでフルライン体制が整った(メイハツは250cc以下で、125ccが主力だった)。カワサキブランド第1号機は1961年発売のカワサキ・B7とされており[4]、明石での一貫生産体制確立後に東京工場を閉鎖した川崎明発工業は同年5月に社名をカワサキ自動車販売と変更し、「カワサキ」と「メグロ」の販売会社となった。

目黒製作所は1962年に社名をカワサキメグロ製作所と変更し、1964年に川崎航空機工業に吸収された。そして、川崎航空機工業も1969年4月1日に川崎車輛とともに川崎重工業に吸収合併された。

モーターサイクル部門は2007年には川崎重工業の売上高のうち最大の約3割を占めるようになり、大型二輪車の販売台数は第2位[6]となった。二輪車全体におけるカワサキの販売シェアは長らく日本の4大オートバイメーカーのうち4位だったが、軽二輪250cc以下)については2013年2月の月間新車販売台数でシェアが2位となった[7][8]

2008年(平成20年)9月からの平成18・19年国内二輪車排出ガス規制全面施行で、規制への対応を行った車両を除き日本国内向け一般市販車両全車種の生産終了を公表し、大幅に日本向けのラインアップは減少させた[9]が、2010年(平成22年)現在では規制に対応させ発売する車両数を徐々に増やしている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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