川崎市
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1942年(昭和17年)2月1日 - 味噌と醤油の配給制度が始まる(横浜市、横須賀市、藤沢市、平塚市、鎌倉市、小田原市も同日から開始)[14]。同時に衣料品にも点数切符制が導入された。
1944年(昭和19年)10月14日 - 川崎市電が開業。
1945年(昭和20年)4月15日 - 川崎大空襲。川崎駅周辺の市街地や臨海部の工業地帯、寺社仏閣の川崎大師などに大きな被害が出る。
現代大師橋
1946年(昭和21年) - 初の民選市長として金刺不二太郎が当選。
1947年(昭和22年) - 戦後第1回市議会招集。
1948年(昭和23年) - 現多摩区に日本女子大付属中学・高校[注釈 3]が開校
1948年(昭和23年)8月2日 - 市内で竜巻が発生。戦災跡地に建てられていたバラック住宅が被害に遭い、死者3人、重軽傷者106人[15]。
1951年(昭和26年) - 現多摩区に明治大学生田校舎が開設。
1952年(昭和27年) - 現川崎区の富士見公園内に川崎球場(当時は川崎スタジアム)が開場。
1952年(昭和27年) - 向ヶ丘遊園が遊具施設を充実し有料化。
1957年(昭和32年) - 現多摩区に専修大学生田校舎開設。
1957年(昭和32年) - 人口が50万人を突破。この頃から市北西部が首都圏住民の良好な住宅地として人気を博すようになり、政令市に指定されるまでに人口が急増する主因となった。このため、東京都心部へ向かう通勤・通学電車のラッシュは、全国有数の混雑となる。
1960年(昭和35年) - プロ野球・大洋ホエールズが日本シリーズで優勝し、市内でパレードを行う。
1964年(昭和39年) - 多摩区によみうりランドが開業。西生田駅が読売ランド前駅に、東生田駅が生田駅に改称。
1966年(昭和41年) - 東急田園都市線溝の口駅 - 長津田駅が開業。
1967年(昭和42年) - 現多摩区に日本民家園が開園。公営施設としては北部地域初の大規模文化施設。
1967年(昭和42年) - 多摩区(現在の麻生区)東百合丘に調布学園女子短期大学が開設。
1968年(昭和43年)4月25日 - 東名高速道路が開通し、東名川崎IC(現宮前区)開設。
1968年(昭和43年) - 市営鷺沼プールがオープン。
1969年(昭和44年)4月1日 - 市電が全廃。
1971年(昭和46年) - 第2代の民選市長に伊藤三郎が当選し、革新自治体の一員となる。
1971年(昭和46年) - かわさきおやこ劇場設立
1971年(昭和46年) - 生田緑地に川崎市青少年科学館開設。
1971年(昭和46年) - 現宮前区菅生に聖マリアンナ医科大学開設。
1972年(昭和47年)4月1日 - 政令都市に指定され、川崎、幸、中原、高津、多摩の5区が設けられる[注釈 4]。
1972年(昭和47年) - 川崎市公害防止条例を施行する。夢見ヶ崎動物公園が開園。
1974年(昭和49年) - 人口が100万人を突破。
1976年(昭和51年) - 全国に先駆けて「川崎市環境影響評価に関する条例」を制定し環境アセスメントを開始した。
1978年(昭和53年) - 大洋ホエールズの横浜移転により、ロッテオリオンズが川崎球場をフランチャイズとする。
1978年(昭和53年) - 第1回かわさき市民祭りを開催。
1979年(昭和54年) - 政令指定都市移行を記念して高津区に川崎市民プラザ開設。
1980年(昭和55年) - 国鉄横須賀線の新川崎駅が開業、川崎駅を経由しなくなる。自動車の川崎ナンバーが誕生。
1982年(昭和57年) - 人口増加に伴い、高津区から宮前区を、多摩区から麻生区を分区し、7区制になる。
1982年(昭和57年) - 第1次川崎公害訴訟が提訴され、大気汚染について国や首都高速道路公団、各企業の責任が追及される。
1984年(昭和59年) - 「川崎市民の歌」を制作・発表。
1985年(昭和60年) - 川崎市男女共同社会をめざす計画を発表。
1986年(昭和61年) - 川崎駅東口に地下街川崎アゼリアが開業。
1986年(昭和61年) - 新百合ヶ丘駅前に日本映画学校が開校。
1987年(昭和62年) - 日本初のシネマコンプレックスと称するチネチッタが開業。
1988年(昭和63年) - 川崎駅西口の再開発を巡ってリクルート事件が発覚[注釈 5]。
1988年(昭和63年) - 川崎市市民ミュージアム・ふれあい館・産業振興会館を開館。
1989年(平成元年) - かながわサイエンスパーク(KSP)が高津区に設置される。
1989年(平成元年) - 4月11日に高津区のある竹林で1億円の札束が発見される(竹やぶ騒動)。
1990年(平成2年) - 市民オンブズマン制度が発足。
1991年(平成3年) - ロッテオリオンズが千葉に移転し、川崎球場を本拠とするプロ野球チームが消滅する。
1991年(平成3年) - 毎月1日を「ノーカーデー」と定める。
1992年(平成4年) - 新百合ヶ丘駅南口にエルミロード[注釈 6]がオープンする。
1993年(平成5年) - Jリーグが開幕、ヴェルディ川崎が等々力陸上競技場を本拠地にする。後期優勝しJリーグ初代年間王者に。
1994年(平成6年) - 市のシンボルマークが決まる。
1995年(平成7年) - とどろきアリーナがオープン。ポイ捨て禁止条例がスタート。
1996年(平成8年) - 市職員採用試験の国籍条項を撤廃。かわさき市民放送開局。外国人市民代表者会議を設置。
1997年(平成9年) - 富士通川崎サッカー部がプロ化し川崎フロンターレが誕生。
1997年(平成9年) - 東京湾アクアラインが開通。これにより千葉県とも隣接するようになった。
1998年(平成10年) - 麻生区の新百合ヶ丘駅周辺地区が、建設省の都市景観大賞を受賞する。
1999年(平成11年) - 川崎公害訴訟が和解により決着する。岡本太郎美術館がオープン。
2000年(平成12年) - 川崎球場スタンド撤去工事。翌年改修工事終了。
2001年(平成13年) - 川崎市子どもの権利に関する条例を施行。
2002年(平成14年) - 川崎市行財政改革プランを発表。
2002年(平成14年) - シネマコンプレックスのチネチッタがラ チッタデッラとしてリニューアル。この頃から川崎駅周辺再開発が加速。
2002年(平成14年) - 向ヶ丘遊園が閉園。
2003年(平成15年) - 高津区に「川崎市 子ども夢パーク」がオープン。
2004年(平成16年) - 麻生区に小田急多摩線はるひ野駅が開設。
2004年(平成16年) - 川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度制定。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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