川口市
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1970年代オイルショックにより、川口駅周辺の中心市街地にあった鋳物工場は移転や廃業が相次ぎ、都心から近いこともあって東京のベッドタウンとして土地利用の転換が図られた。平坦な広い土地を開発できるため、跡地には、百貨店等の商業施設や中高層のマンション(タワーマンション)が建ち並び、それまでの景観を大きく変えた。1998年に竣工したエルザタワー55は当時日本一高い超高層マンションであり、現在も埼玉県内で最も高い建築物である。東京に通勤通学する「埼玉都民」が多く移り住むことによって、人口が増加している。

中国人を中心に外国人居住者が多い街でもあり、2020年以降は全国の自治体の中で最も多い[2]。特に西川口駅西口(西川口)は取り締まりによって閉店した風俗店の跡地が中華料理店へと変貌し、「西川口チャイナタウン」とも呼ばれているほどである[2][3][4]
地理

埼玉県庁による地域区分では県南東部の中央地域(地区)に属し[5]、その南端に位置する市の一つである。市域の大半は荒川流域の沖積平野にあるが、郊外にあたる北東部は大宮台地の南東部で、戸建てを中心とした宅地開発がされている。

市域の西部をJR京浜東北線が走っているほか、2001年に埼玉高速鉄道線が開業し、それまで鉄道空白地帯だった旧鳩ヶ谷市で初めての鉄道路線となった。

川口市の東部地区(戸塚、神根、安行新郷、鳩ヶ谷など)は大宮台地の鳩ヶ谷支台が南北に走る高台になっている。それ以外の殆どの地域は低地であり(川口低地)、その低地は縄文時代において奥東京湾(鳩ヶ谷支台の西側の水域は「古入間湾」とも呼ばれる[6])の底であった(海面が現在よりも高く、河川による沖積・陸地化も進んでいなかった時代で、一般に縄文海進と呼ばれる)[7]。現在、低地部分は中高層住宅や商業施設などの都市的な機能、台地部分は低層住宅や樹木畑など近郊型農地としての土地利用が多い。また、芝川が市域中央部を縦断するように流れる。芝川は、市中央部で、新芝川に分かれている。
一級河川「一級河川」も参照

荒川水系:芝川(新芝川を含む)、藤右衛門川緑川竪川菖蒲川隅田川新河岸川伝右川

利根川水系:綾瀬川毛長川

用水路

見沼代用水西縁

見沼代用水東縁

隣接している自治体・行政区

括弧内は行政区を示す

埼玉県

さいたま市南区緑区岩槻区)、越谷市草加市戸田市蕨市


東京都

足立区北区


歴史『川口のわたし善光寺』(歌川広重 名所江戸百景

市域は明治以前、武蔵国足立郡に属していた。詳細は『武蔵国郡村誌』及び『旧高旧領取調帳』を参照。以下、川口市域での出来事を記す。

1872年(明治5年)10月1日 - 鳩ヶ谷宿に鳩ヶ谷小学校が開校。


1873年(明治6年)6月1日 - 川口小学校(現:本町小学校)が開校。

1875年(明治8年)4月1日 - 地方行政組織として川口町青木村横曽根村南平柳村、鳩ヶ谷町、新郷村、神根村、芝村、安行村、戸塚村、大門村がそれぞれ発足。

1879年(明治12年) - 足立郡の北部区域をもって行政区画としての北足立郡が発足。郡役所は浦和宿に設置。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い、北足立郡川口町となる。

1905年(明治38年) - 鋳物製品の品質向上を期し、川口鋳物業組合が結成。

1910年(明治43年)9月10日 - 川口町駅(現在の川口駅)が開業。

1920年大正9年)4月1日 - 商工省が燃料研究所を、現在の川口駅西口に設置。後の公害資源研究所

1924年(大正13年)


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