水戸中学校、京北中学校を経て1929年旧制東京商科大学(一橋大学の前身)卒業。内池廉吉ゼミ出身。
1929年、のちに頭取となる大学同期の中山素平とともに日本興業銀行(現在のみずほ銀行)入行。大日本帝国陸軍主計幹部候補生、日本興業銀行融資事業部長、同広島支店長等を経て、1947年日産自動車常務取締役就任。同専務を経て1957年同社長。1959年日産ディーゼル会長兼務、1967年日本自動車工業会初代会長、1969年日本自動車研究所理事長[4]。1973年日産自動車会長。1983年から日産自動車相談役。経団連の副会長も務めた。 プリンス自動車との合併を経て、日産自動車を日本第二の自動車メーカーへと成長させた功績を残した一方で、日産自動車社内の厳しい労働運動に対処するために自動車総連会長の塩路一郎との間で癒着とも称される密接な関係を形成する等の禍根を残したとの批判もある。この二名の関係については、川又・塩路をモデルとした小説、高杉良『労働貴族』(新版徳間文庫、2005年)や、NHK特集『自動車』製作放映で1980年代前半に日産を取材したアメリカ人ジャーナリストのデイヴィッド・ハルバースタム『覇者の驕り 自動車・男たちの産業史』上・下(日本放送出版協会のち新潮文庫)に詳しい。 日産の車種で「セドリック」「フェアレディ」「ブルーバード」「ブルーバードU」「バイオレット」の名付け親でもあった。
エピソード
栄典
1962年 - 藍綬褒章
1975年 - 勲一等瑞宝章
出典[脚注の使い方]^ <ゴーン事件の底流>(7)企業体質 「独裁者」繰り返す歴史
^ 川又 克二20世紀日本人名事典
^ 『私の履歴書 経済人7』206頁
^ ⇒一般財団法人日本自動車研究所創立50周年記念誌 協創 一般財団法人日本自動車研究所
参考文献
『私の履歴書 経済人7』 日本経済新聞社 203-269頁
関連項目
茨城県出身の人物一覧
先代
(新設)日産自動車会長
初代:1973年 - 1983年次代
石原俊
先代
(新設)日本自動車工業会会長
初代:1967年 - 1972年次代
豊田英二
先代
(新設)日本自動車研究所理事長
初代:1969年 - 1973年次代
豊田英二
先代
茂木啓三郎如水会理事長
第24・25代:1980年 - 1984年次代
田部文一郎
表
話
編
歴
日産自動車歴代社長
鮎川義介 1933.12-1939.5
村上正輔 1939.5-1942.2
淺原源七 1942.3-1944.9
工藤治人 1944.9-1945.6
村山威士 1945.6-1945.10
山本惣治 1945.10-1947.5
箕浦多一 1947.5-1951.10
淺原源七 1951.10-1957.11
川又克二 1957.11-1973.11
岩越忠恕 1973.11-1977.6
石原俊 1977.6-1985.6
久米豊 1985.6-1992.6
辻義文 1992.6-1996.6
塙義一 1996.6-2000.6
カルロス・ゴーン 2000.6-2017.3
西川廣人 2017.4-2019.9
山内康裕[ノート 1] 2019.9-2019.12
内田誠 2019.12-
^ 社長代行