川北紘一
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超合金のCMは1975年『UFOロボ グレンダイザー』の「DX超合金グレンダイザー」のCMから[86]1980年代前半辺りまで担当していた模様[87]。特に1980年の『宇宙大帝ゴッドシグマ』のDX超合金のCMは、IBA(国際放送広告賞)を受賞した[88]。1981年の「ジオン脅威のメカニズム」のナレーションで知られる『機動戦士ガンダム[36]、1994年の『機動武闘伝Gガンダム』などのプラモデルのCMや、1983年のソフビ人形『ウルトラ怪獣シリーズ』のCMも、川北の演出によるものである[注釈 17]

2014年 - 千葉工業大学・東京スカイツリータウンキャンパス(東京ソラマチ・8F)「AreaII 惑星探査ゾーン」常設の300インチ3D宇宙シアターで上映される『宇宙138億年の旅 地球そして生命』。5.1chサラウンド・3D作品。

出演作品
カメオ出演

ゴジラ対ヘドラ(1971年) - アングラバーの客[89]

日本沈没 第23話「海に消えた鎌倉」(1973年) - 首相演説を聴く男

ゴジラvsキングギドラ(1991年) - 地下街の客[出典 20]

ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年) - 防衛軍将校[89]

超星神グランセイザー 第49話「宇宙連合軍進撃開始!」(2004年) - 国防省長官

幻星神ジャスティライザー 第1話「出現! 幻星獣ライゼロス」(2004年) - ビルの中の会社員

映像特典など

地球防衛軍 DVD特典音声オーディオコメンタリー(2001年)[注釈 18]

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ DVD特典映像「東宝小道具大図鑑」(2002年)[注釈 19]

ゴジラvsビオランテ DVD特典音声オーディオコメンタリー(2002年)[注釈 20]

ゴジラvsデストロイア DVD特典音声オーディオコメンタリー(2002年)

ゴジラ FINAL WARS DVD特典映像(2005年)

舞台

Teacher(2004年、
ACファクトリー) - 川北校長役[91]

受賞歴

1991年 -
日本アカデミー賞特殊技術賞。

1992年 - アジア太平洋映画祭特殊効果賞。

著書

『特撮魂 東宝特撮奮戦記』(2010年、
洋泉社) .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-86248-515-1

東宝特撮監督としての半生を語る、自伝的エッセイ。


インタビュー

『マイナビニュース』川北紘一特技監督 インタビュー
[92]

『俺とゴジラ』「第二回 特技監督 川北紘一氏」(2014年12月7日・前編)[93]

『俺とゴジラ』「第二回 特技監督 川北紘一氏」(2014年12月11日・後編)[94]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 資料によっては、正社員になったのは1963年としている[18]
^ 書籍『ゴジラ1954-1999超全集』のインタビューでは「(昭和)41年」に移ったと述べているが[23]、書籍『ゴジラ大全集』のインタビューでは「『太平洋奇跡の作戦 キスカ』の時に合成部に回された[25]」、書籍『東宝特撮メカニック大全』のインタビューでは「『怪獣大戦争』のころには光学撮影に移っていた[19]」と述べている。書籍『ゴジラ大百科 [スペースゴジラ編]』では、「65年の『勇者のみ』を最後に光学合成のセクションに移る」と記述している[26]
^ 当時は合成のできる助監督として重宝されていたという[25]
^ 書籍『ゴジラ大全集』では、スクリーンプロセスによる空戦描写は、『スター・ウォーズ』のイメージに先駆けていたと評している[29]
^ 特撮班のクランクインが1989年8月、クランクアップは同年11月2日[30]
^ その後、特技監督・特撮監督の役職は『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015年)や『シン・ゴジラ』(2016年)などで設けられている。
^ 特撮班のスタッフは、顔や髪に金ラメがついて電車で帰りづらかったり、自宅でもカーペットや布団などについたものが取れず、口に入ると便の中に混じっていたなど、金粉の撮影で苦労した旨を語っている[44]。東宝スチールカメラマンの中尾孝は、川北の現場では金粉対策として雨合羽を前後逆に着て撮影に臨んでいたという[45]
^ 川北の下で助監督を務めていた神谷誠は、後年に自身が手掛けた『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)でのゴジラが蹴りを入れるシーンを川北が好きではないと言っていたことを証言している[50]
^ 大森一樹によれば、操演のワイヤーを隠す意図もあったという[52]
^ 後年の報道では、ウルトラマン以外の円谷作品の巨大ヒーローにおけるそれも含め、「ぐんぐんカット」という通称が用いられている[出典 19]
^ a b c d e f g h i ノンクレジット

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