川内康範
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昭和30年代のテレビ番組は外国製人気番組の全盛時代であり、貴重な外貨を費やす外国製番組に替えて国産番組を増やしていくことは時代の要請でもあったが、この依頼に対して日本独自のヒーロー番組を作り上げる上で、コンセプトは仏教で言う『借無上道』?無償の愛こそがこの世で最も尊いという川内の考えであった。ゆえに、月光仮面は善悪区別なく誰にでも降り注ぐ月光を象徴した月光菩薩をモデルとして創造され、また絶対的な力を持つ超人=神仏(如来)ではなくその代行者に過ぎず、悪を懲らしめ善人を助けるが、裁きはしないという性格を与えられた。『借無上道』の精神は川内の手がけるヒーローすべてに共通するテーマとなっている[6]

見た目の発想は忍者をオートバイに乗せて子供受けを狙ったとのこと。

漫画家の永井豪は『月光仮面』の大ファンで、パロディ作品『けっこう仮面』を連載する前に川内に製作許可をもらいに行ったところ、エロ作品であるにもかかわらず快く許可を出してくれたという。

『月光仮面』で祝十郎を演じた大瀬康一の本名大瀬一靉(おおせかずなり)が難しいとのことで、川内の「康」の字をつけて名付け親になった。大瀬は対面した川内を「どくろ仮面みたいな顔だった」と2018年11月8日放送の「少年テレビ映画」のヒーローに迫る BSテレ東武田鉄矢の昭和は輝いていた』で回想している[信頼性要検証]。
森進一との関係

川内と森の付き合いは古く、1968年(昭和43年)に「花と蝶」で川内が作詞を担当したときからの付き合いである。元来、川内は親分肌の人間であるが、森のそれまでの境遇に同情、ひたむきだった人柄を気に入り家族ぐるみの付き合いを始めた。1973年(昭和48年)に森の母が自殺した際には、真っ先に駆けつけ葬儀を取り仕切ったほか、自ら読経も担当した。

1979年(昭和54年)に森が渡辺プロダクション(渡辺プロ)から独立の際、森は渡辺プロからの妨害を受けた。さらに、渡辺プロは独立した森を出演させるなら他の渡辺プロのタレントを引き上げると各TV局に通告。全民放は当時圧倒的な数の人気歌手・タレントが所属する渡辺プロに屈したため、森は民放のテレビ出演ができなくなってしまった。しかし川内らが助け、NHKへの出演だけは取り付け、同年の第30回NHK紅白歌合戦には出場できた。約半年後、川内の奔走によって森サイドが営業活動の窓口の一部を渡辺プロに依頼することで手打ちとなった。その他、森のスキャンダルが発覚した際には常に川内が火消しに暗躍していた。

その後も川内と森との間の関係は良好であると言われたが、実際には森の不手際と人付き合いの下手さに川内は辟易していたと言われており[7]2007年おふくろさん騒動が起こると、川内は森に対して絶縁宣言をし和解することなく他界した。
人物

筋は必ず通す、金は貸しても借りないことなどを信条としており、「喧嘩康範」の異名を取るほど妥協しない性格で知られる。2007年(平成19年)、ラジオ番組誠のサイキック青年団』のイベントにVTR出演する予定であったが、川内の体調不良により中止となった。番組MCの北野誠竹内義和は「体調不良なら仕方ない」と思っていたところ、イベントスタッフ側に川内から丁重に御詫びの連絡があり、北野・竹内も(大御所でありながら)川内のこの対応に「嬉しかった」と番組内でコメントしている。

政治思想的には「民族派」に近いとされていたが、一方で日蓮宗の生まれであり、法華宗の信者である。法華宗の教えは自身の思想の原点であると語っている。マハトマ・ガンディーの非暴力的抵抗を高く評価し、日本国憲法第9条は護持すべきとしていた。

妻からは「スヌーピー」に似ているからという理由で、「スヌー」と呼ばれていた(トリビアの泉より)。
親交

遺骨引揚運動、日本人抑留者の帰国運動の活動を通じて政財界との関わりを持ち、福田赳夫の秘書を務め、鈴木善幸竹下登の指南役でもあった。竹下登と誕生日が同じで、長年竹下邸で合同誕生会が開かれていた。

人脈は右派にとどまらず、アナーキストルポライター竹中労とも親交があった。

青江三奈の芸能界の育て親であり、名付け親でもある(青江は自身の小説のヒロインの名である)。
その他

耳毛が長い。この耳毛は意図的なもの(元々長く、1960年代あたりの写真でも確認できる)で、「長寿の印、達磨大師にあやかって(人に勧められて)伸ばしている」と語っている。ある女性アナウンサーに耳毛を触らせたこともある[8]
家族

元妻は宝塚歌劇団34期生宝塚歌劇団卒業生の八代洋子(本名:長谷川洋子)。まんが日本昔ばなしプロデューサーの川内彩友美は娘(先妻の継子)、弁護士の飯沼春樹は長男(実子)、『骨まで愛して』で知られる歌手・城卓矢、作曲家・北原じゅんは甥(元妻の親類なので血縁は無い)。
作品
映画・原作・監督body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper{margin-top:0.3em}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ul,body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper>ol{margin-top:0}body:not(.skin-minerva) .mw-parser-output .columns-list__wrapper--small-font{font-size:90%}

ぽんぽこ物語(1957年):国産初の連続テレビ映画で原作・脚本も手掛ける[9]

ぽんぽこ物語(漫画)(1957年):宮坂栄一

月光仮面(1958年):国産初の本格連続テレビ映画、テレビ特撮ヒーロー番組で原作・脚本も手掛ける

七色仮面(1959年)

南国土佐を後にして(映画)(1959年):小林旭主演

銀座旋風児(映画)(1959年):小林旭主演

太陽仮面(絵物語)(?年):挿絵 石原豪人

太陽仮面(漫画)(1960年):漫画 堀江卓

アラーの使者(1960年)

特命諜報207(1964年)

東京流れ者(映画)(1966年):渡哲也主演

東京ロマン・花と蝶(1969年)

正義を愛する者 月光仮面(テレビアニメ)(1972年)

愛の戦士レインボーマン(テレビ特撮)(1972年)

ダイヤモンド・アイ(テレビ特撮)(1973年)

正義のシンボル コンドールマン(テレビ特撮)(1975年)

まんが日本昔ばなし(テレビアニメ)(1975年、1976年 - 1994年)

愛の戦士レインボーマン(テレビアニメ)(1982年)

ドリモグだァ!!(テレビアニメ)(1986年)

ごぞんじ!月光仮面くん(テレビアニメ)(1999年)

映画脚本

『ラーマーヤナ』(製作年不詳) 東宝
[1]

『花火の舞』(1952年) 第一テレビ

『若旦那の御縁談』(1955年)  新東宝

『森繁の新入社員』(1955年)  新東宝

『のんき裁判』(1955年)  新東宝

『悪魔の囁き』(1955年)  新東宝

『森繁のやりくり社員』(1955年)  新東宝

『若人のうたごえ』(1955年)  新東宝

『若人のうたごえ お母さんの花嫁』(1956年)  新東宝

『若人のうたごえ 明日への招待』(1956年)  新東宝

『森繁の新婚旅行』(1956年)  新東宝

『背広さんスカートさん』(1956年)  新東宝

『大学の武勇伝』(1956年)  新東宝

『忍術武者修業』(1956年)  大映京都

『金語楼の兵隊さん』(1956年)  新東宝

『忍術選手権試合』(1956年)  大映京都

『大学の剣豪 京洛の暴れん坊』(1956年)  新東宝

『金語楼のお巡りさん』(1956年)  新東宝

『金語楼の雷社長』(1956年)  新東宝

『ニコヨン物語』(1956年)  日活

『地下から来た男』(1956年)  日活

『金語楼の天晴運転手物語』(1956年)  新東宝

『坊ちゃんの逆襲』(1956年)  富士映画

『妖雲里見快挙伝』(1956年)  新東宝

『おしゃべり社長』(1957年)  東京映画

『妖雲里見快挙伝 解決篇』(1957年)  新東宝

『人形佐七捕物帖 大江戸の丑満時』(1957年)  新東宝

怪談累が渕』(1957年)  新東宝

『高校四年生』(1957年)  日活

『江戸の花笠』(1958年)  東映京都

『若君漫遊記』 サタン城の魔王(1958年)  新東宝

『絶海の裸女』(1958年)  新東宝

『新日本珍道中西日本の巻』(1958年)  新東宝

『姑娘と五人の突劇兵』(1958年)  新東宝

月光仮面』(1958年)  東映東京

月光仮面 絶海の死斗』(1958年)  東映東京

月光仮面 魔人の爪』(1958年)  東映東京

『金語楼の三等兵』(1959年)  新東宝

『戦場のなでしこ』(1959年)  新東宝

二連銃の鉄』 (1959年) 日活

南国土佐を後にして』(1959年)  日活

銀座旋風児』 (1959年) 日活


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