川上麻衣子
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それはスウェーデンのインテリアや小物まで全てに共通していると思います」と述べている[25]。普段の移動は電車などに変えたがその後も車の運転自体は続けており、時々レンタカー屋で色んな車種の車を借りてはドライブを楽しんでいるとのこと[8]

スウェーデンではガラス工芸が盛んで、本人も昔からスウェーデンのガラスを収集していた。1993年頃にこのことを知ったNHKのスタッフからガラスの特集番組に招かれた。その講師である石井康治から彼の工房の見学に誘われ、そこでガラス吹きを体験してすぐにハマったことから本格的にガラス工芸を始めた[3]

2022年現在はラジオ体操にハマっている。毎朝6時半に東京の様々な場所で行われるラジオ体操の場に訪れ、100人程度の一般の人たちに紛れて体操を楽しんでいるとのこと[8]
交友

女優の藤田朋子玉川学園高等部の同級生で、ともにも英語劇クラブに所属して活動していた[26]

沖田浩之とも仲がよかった[27]。また、ドラマ『金八先生』(第2シリーズ)の迫田八重子役は、クラスメイト・松浦悟役の沖田に作中でちょっかいを出す役だった[8]。当時沖田の人気が高かったことから、彼のファンである女子高生などから路上で石を投げられたり、カミソリ入りの手紙が届くこともあったという[注釈 9]

女優の可愛かずみはかつて同じマンションに住んでいた親友で、可愛が飼犬を連れて川上の部屋に遊びに来るなど交流があった[28]。深夜連続ドラマ『トライアングル・ブルー』では可愛と同居する女子大の同級生役だったが、ドラマ(と言っても若かりしとんねるずが盛り上げるバラエティー性が非常に高い進行であるが)の途中で二人でDJを行うコーナーなどあり、この役の上でも私生活でも可愛かずみとは親交が深く、可愛が投身自殺で亡くなった際には大変悲しんだ。可愛の葬儀の際、インタビューを受けながら泣き崩れている。

志村けんとも親しくしており、可愛と同じマンションに住んでいた頃、彼はレギュラー番組以外は出ておらず時間にかなり余裕があった[3]。当時は川上、可愛、志村とも独身でお酒好きで寂しがり屋という共通点もあり、仕事終わりによくマンションの部屋に3人で集まって会話などを楽しんでいたという[3]。また、川上が港区のマンションの22階に引っ越した後、志村も同じマンションに越してきて(別の階に)暮らしていた時期もある[注釈 10]。これらのことから、過去に志村と恋の噂が立ったこともあるが、川上は「仲は良かったですが、志村さんとは本当に何もなくて(笑)」と否定している[3]

山城新伍とは、ドラマで“父子役”で共演した[注釈 11]ことがきっかけで、長年に渡って公私共に可愛がられた[3](ともに好きであること、川上が山城の娘と同い年で一人っ子なのも似ていた)。川上も山城を“芸能界のお父さん”として慕い、時々一緒に食事をするなど交流を深めていった。また、東映の京都撮影所は礼儀などに厳しいことで知られているが、川上の場合は事前に「(元東映スター俳優の)山城さんが可愛がっている子だよ」と伝わったことで、スタッフたちから良くしてもらえたという[3]。山城が晩年老人ホームへ入居し「誰にも会いたくない」と親類及び少数の関係者を除き一切面会を断っていた中、面会出来た数少ないひとりでもある[29][注釈 12]

落語家・三遊亭好楽とは、「月に3度は一緒に飲みに行く」という一番の飲み友達である[3]。好楽からは、「普段の川上さんは、男っぽくポンポン話して、実にカッコいい人」と評されている[注釈 13]

同じスウェーデン出身のLiLiCoとも親しい。2人の出会いはスウェーデン大使館企画の『ABBAナイト』というイベント。LiLiCoはまだブレイク前で長らく川上に会いたかったが叶わず。同イベントで、たまたま声を掛けたノリノリに踊っていた男性が川上の父という運命的な出会いだったという[30][31]
その他

公にはNHKドラマ人間模様『絆』をデビュー作としているが、実際にはそれより前の1980年3月30日放送の単発ドラマ『娘が出ていくとき』(TBS・東芝日曜劇場枠)でワンシーンのみではあるが、主演・杉田かおるの友達役として出演している[3]

3年B組金八先生』第1シリーズ(1979年 - 1980年)には、当初最終回に卒業式で「送辞」を読む在校生代表として出演予定だったが、リハーサル後に時間の関係で撮影中止になった。また、後番組の『1年B組新八先生』(1980年)では、オーディションにて中学1年生に見えないということで落とされた[32]

市川崑監督作品『幸福』の初めて脚本を読んだ際、10代で演じるには難役[注釈 14]だったため悩んだ。しかし共演者の市原悦子の助言により、何とか撮影に臨むことができた[注釈 15]

年齢に独特なこだわりを持っている。若い頃に交際した男性は、27歳の人が多かったという[注釈 16]。“36歳”という年齢については、「20代でもなく40歳になる手前で何事にもちょうどいい年齢」と語っている[8]。また“42歳”については「青年から大人になる感じが中途半端でいいですね。中年に入りそうだけど“まだ、若いぞ”っていう揺らいでる感じがいいです」などと持論を展開している[8]

30歳の頃に結婚した後、子供を望んで夫婦の営みは自然に任せたが結局授からなかった。養子縁組も考えたが、当時は「夫婦のどちらかが仕事を辞めなければならない」などの厳しい条件が色々とあり、夫と話し合いにより断念した。その後離婚したが、本人は「子供ができなかったから離婚したということではないです」と語っている[注釈 17]

2007年4月に出演した『ライオンのごきげんよう』で話した「プードルをネット通販で購入したら、子犬ではなく子羊だった」という詐欺事件がイギリスの「ザ・サン」など[33]のタブロイド紙で海外でも話題になった。5月2日の『ザ・ワイド』のインタビューで、この話は友人の被害としてネイルサロンで話したことが一部変化して「ザ・サン」に伝わってしまった、とコメントした。

週刊ポスト』(小学館)が2012年に著名文化人を対象として男性を魅了している美熟女を調査した「熟女TOP10」では、黒木瞳松坂慶子らに続いて第6位にランクインした[34]
出演
映画

幸福(1981年、東宝市川崑監督) - 車崎みどり 役

地平線(1984年、松竹新藤兼人監督) - 藤木アヤメ 役

蜜月(1984年、ATG橋浦方人監督) - 哲明の妹 役

それから(1985年、東映森田芳光監督) - 小染 役

火まつり(1985年、シネセゾン柳町光男監督) - ミーコ 役

(金)(ビ)の金魂巻(1985年、井筒和幸監督) - 清水さち 役

ブラックボード(1986年、近代映画協会、新藤兼人監督) - 相沢圭子 役

うれしはずかし物語(1988年、にっかつ東陽一監督) - 主演:チャコ 役

その男、凶暴につき(1989年、松竹富士北野武監督) - 我妻灯 役

カレンダー if,just now.(1991年、東映アストロフィルム、小久保利己監督) - 東海林美津子/島本夏江 役


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