嶺南
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朝鮮の地方」とは異なります。

この項目では、日本の嶺南について説明しています。その他の用法については「嶺南 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

嶺南
三方上中郡若狭町三方五湖レインボーライン山頂公園から見た若狭湾
嶺南の自治体
1. 敦賀市 / 2. 小浜市 / 3. 美浜町 / 4. 高浜町 / 5. おおい町 / 6. 若狭町
日本
県 滋賀県(旧制)
 福井県
最大都市敦賀市
面積
 ? 合計1,099.91 km2
人口(2024年4月1日)
 ? 合計128,444人
 ? 密度120人/km2

嶺南(れいなん)は、福井県山中峠木ノ芽峠栃ノ木峠以南の地域名。令制国若狭国全域と越前国敦賀郡(現・敦賀市)に相当する。若狭地方(通称「若狭路」)と呼ばれることもあるが、若狭国とは範囲が異なる。
概要

呼称は、北陸道(北国街道)の難所である木ノ芽峠(木嶺)より南側を『木嶺以南』(もくれいいなん)と呼び始めた事に由来する。

木ノ芽峠(木嶺)は1876年敦賀県廃止による石川県滋賀県への編入時に両県の県境となり、1881年の福井県再設置以降も地域区分の境界となっている。

嶺北との境界は山中峠木ノ芽峠栃ノ木峠稜線である。地域名としては天気予報などで日常的に用いられる。

嶺南には若狭湾岸、江戸時代小浜藩領および支藩の敦賀藩領といった共通項が見られる(後節も参照)。

観光ガイドなどで北近畿に含まれることもある。京都までの距離が短く、道中では琵琶湖水運も利用できるため、若狭湾岸の港は歴史的に京都の「日本海側の外港」という側面を持っており、近江国とのつながりも強い。その影響もあって、嶺南地方で話されている方言(嶺南方言)は近畿方言に分類され、舞鶴弁近江弁などに近い。

また、嶺南には原子力発電所が多く立ち並ぶため「原発銀座」としても知られる。敦賀市以外の嶺南地域は中日本エリアでは三重県の熊野市地域とともに関西電力送配電の営業地域となっている。
自治体

以下の2市3郡4町からなる。

敦賀市(福井県嶺南振興局所在地)

小浜市(福井県嶺南振興局所在地)

三方郡

美浜町


大飯郡

高浜町 - おおい町


三方上中郡

若狭町


地域名称

この地域を表す名称として、嶺南のほかに若狭という名称が用いられることもある。敦賀市は、令制国では北陸道の入口として越前国に属しているが、若狭湾に面する地理的な位置や、江戸時代には若狭酒井家の統治する小浜藩(若狭藩)の領地(越前敦賀郡の大部分は小浜藩領(若狭藩領)・残りが小浜藩(若狭藩)の支藩である敦賀藩の領地)であった歴史的背景から、便宜的に嶺南を「若狭」という名称で扱われることがままある[1]。一方で、1942年の地方官官制改正による地方事務所の区分でも見られる、敦賀市と三方郡の嶺南東部を「二州」[2]、遠敷郡(小浜市など)と大飯郡の嶺南西部を「若狭」と表示される例もある。ただし、若狭(旧国名)に比べて、二州(「二」は越前国と若狭国の2国、あるいは敦賀郡と三方郡の2郡を指す)の名称はあまり一般的ではない。
市町村合併

いわゆる「平成の大合併」において、8市町村を一つにする「嶺南一市構想」が持ち上がったが、意見が集約できず、結局は、若狭町おおい町の発足に留まっている。
沿革

市町村制施行以降の沿革(概略)

明治22年以前明治22年4月1日明治22年 - 昭和20年昭和20年 - 昭和30年昭和31年 - 昭和63年平成元年 - 現在現在
越前国二州敦賀郡
敦賀町昭和12年4月1日
敦賀市敦賀市敦賀市敦賀市敦賀市
敦賀郡
松原村
敦賀郡
東浦村敦賀郡
東浦村敦賀郡
東浦村昭和30年1月15日
敦賀市に編入
敦賀郡
東郷村敦賀郡
東郷村敦賀郡
東郷村
敦賀郡
愛発村敦賀郡
愛発村敦賀郡
愛発村
敦賀郡
中郷村敦賀郡
中郷村敦賀郡
中郷村
敦賀郡


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