嵐作戦(あらしさくせん、クロアチア語・ボスニア語・セルビア語:Operacija Oluja / Операци?а Олу?а)は、クロアチア共和国軍を主体とし、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍の協力の下、クロアチア領内で事実上独立状態にあったクライナ・セルビア人共和国を奪還するための全面的軍事作戦のコードネームである。クライナ・セルビア人共和国は1991年以降、セルビア人の分離主義者によって事実上の独立国として統治され、クロアチアの支配権が及んでいなかった[2][3]。
作戦は36時間続き、第二次世界大戦後のヨーロッパでは最大の陸上進攻作戦と記された[4]。作戦は、1995年8月4日の未明に始まり、4日後にはクロアチア軍による完全勝利に終わった。
クロアチア軍はアメリカ合衆国に拠点を置く民間軍事会社ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ(Military Professional Resources Incorporated; MPRI)によって訓練を受けていた[5]。この契約はアメリカ合衆国政府によって是認されていた[6]。
当時のアメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは回想録のなかで、地上での大規模な損失を与えることのみによってセルビア人を交渉の席に着けることが出来ると確信していたと述べている[7]。後に交渉はデイトン合意としてまとまり、クロアチア紛争およびボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を終結させた。
当時のアメリカ合衆国の和平交渉者リチャード・ホルブルックは、「クロアチアのクライナに対する攻勢によっていかに劇的にバルカンの戦況を変化させ、それによって外交攻勢も変化したかを思い知った」と話した[8]。退役した将軍でアメリカ統合参謀本部戦略計画・政策部の長官、後のNATO欧州連合軍最高司令部のウェズリー・クラーク(英語版)は、簡潔に「転換点」であったと述べている。