崩御
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貴人でない一般人の死に対する尊敬語・謙譲語である「死去」[注釈 4]や、単に死の概念のみを表す「死亡」は使われない。
薨御

皇太子大臣の死については、「薨御(こうぎょ)」の語を用いた。

日本政府では、海外の王太子など、皇太子相当の身位の場合は、後述の「薨去(こうきょ)」が用いられる場合がある。
薨去

律令制下、皇族のうちの皇太子妃親王内親王、或いは、位階が三位(正三位従三位)以上の者の死については、「薨去(こうきょ)」の語を用いた。外国の皇太子等元首に近い者の死についても同様の表記を用いる場合がある。明治の皇室典範制定以降は、三后を除いたすべての皇族の死に「薨去」を用いている(それ以前は親王宣下のない皇族の死は天皇の子といえども「御逝去」と表現された[12])。

また明治時代以降、現職の首相が死亡した際にも薨去が使われることがある[13][14]。1945年(昭和20年)の朝日新聞では、アドルフ・ヒトラーの訃報に「ヒ総統薨去」の見出しを用いた。

「薨去」は公文書においても皇族や外国の王族に対して使用される正式な表現であり、2011年(平成23年)10月22日の玄葉光一郎外務大臣による声明「スルタン・サウジアラビア王国皇太子[注釈 5]薨去に際しての弔意メッセージ[15]」や、2021年(令和3年)4月9日の「エディンバラ公フィリップ殿下薨去に際しての総理大臣及び茂木外務大臣による弔意書簡の発出[16]」において薨去の語を用いている。しかし、日本マスコミ上では皇族が死去された場合でも「ご逝去」などの表現が用いられることが多い。

また、外国君主であっても王より下の称号に対しては「薨去」が使われる。2020年(令和2年)9月30日の「サバーハ・アル・アハマド・アル・ジャービル・アル・サバーハクウェート国首長殿下の御薨去に関する内閣総理大臣の談話[17]」や、2022年(令和4年)5月19日の「ハリーファアラブ首長国連邦大統領[注釈 6]薨去を受けた岸田内閣総理大臣による弔意の記帳[18]」は、首長(アミール)号を持つ君主に対して「薨去」の語を用いている。
卒去

皇族の内の女王、或いは、位階が四位(正四位従四位)・五位(正五位従五位)以上の者の死については、「卒去(そっきょ、しゅっきょ)」の語を用いた。(律令制下)
現代以降の皇室の崩御・薨去一覧

名日没年齢続柄陵墓土葬・火葬の別
貞明皇后1951年昭和26年)5月17日満066歳11か月1/大正天皇多摩東陵土葬
秩父宮雍仁親王1953年(昭和28年)1月4日満050歳1/大正天皇第2皇男子豊島岡墓地火葬
高松宮宣仁親王1987年(昭和62年)2月3日満082歳1/大正天皇第3皇男子豊島岡墓地火葬
昭和天皇1989年(昭和64年)1月7日満087歳1/大正天皇第1皇男子武蔵野陵土葬
雍仁親王妃勢津子1995年平成7年)8月25日満085歳秩父宮雍仁親王妃豊島岡墓地火葬
香淳皇后2000年(平成12年)6月16日満097歳2/昭和天皇后武蔵野東陵土葬
高円宮憲仁親王2002年(平成14年)11月21日満047歳010か月三笠宮崇仁親王第3男子豊島岡墓地火葬
宣仁親王妃喜久子2004年(平成16年)12月18日満092歳011か月高松宮宣仁親王妃豊島岡墓地火葬
ェ仁親王2012年(平成24年)6月6日満066歳05か月三笠宮崇仁親王第1男子豊島岡墓地火葬
桂宮宜仁親王2014年(平成26年)6月8日満066歳04か月三笠宮崇仁親王第2男子豊島岡墓地火葬
三笠宮崇仁親王2016年(平成28年)10月27日満100歳010か月1/大正天皇第4皇男子豊島岡墓地火葬

その他

日本書紀斉明天皇5年条(是歳)には、「が死人の腕をくわえて言屋(いふや)の社(島根県八束郡揖屋神社)に置いた。天子が崩御する前兆である」と記述され、付近には伊賦夜(いふや)坂があり、『古事記』にはこの坂を黄泉国とこの世をつなぐ「黄泉ツ比良坂」のことと説明される[19]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ これは新聞各社の取り決めによるものと思われる。例えば、日本新聞協会の新聞懇話会で取り決めた用字規則を元とする、共同通信社の用字規則『皇室報道について』(記者ハンドブック所収)では、「皇室だけに用いられる特別な用語や敬語は、やさしい言葉に置き換える」としている。共同通信社編『記者ハンドブック』第9版、2002
^ 資治通鑑魏紀二。 「漢主(劉備)?於永安、諡曰昭烈」、同じ巻に「帝(文帝曹丕)?。」が見え、魏紀七に「呉主(孫権)?。」が見える。胡三省の注釈では「通鑑の書法、天子にして四海を奄有する者は「崩」と書し、分治する者は「?」と書す。惟れ東晉の諸帝,先に嘗て混一するを以って「崩」と書す。説文(解字)に曰く、?とは、往き死ぬ也。」(司馬光は皇帝で全土を統一した正統王朝のものは「崩」とし、三国の君主のように一部を統治したものは「?」としている。東晋のように、正統王朝を引き継いだものは「崩」とする。「?」とは往き死ぬということだと説文解字に書いてある)とし、「崩」「?」の使い分けを厳密に行っている。
^ 「?」の元々の出典は『孟子』や『書経』舜典などがあげられる(段玉裁『説文解字注』の説)。明治期には「?」は他国の皇帝・元首の死の尊敬語として用いられた。例えば森鴎外の「うたかたの記」には「バヮリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺れて?せられしに」と見える。これは司馬光の用例を踏襲したものか。
^ 前述の共同通信社用語規則では皇族以外の著名人の死は、全て記事見本で「死去」とする。これは皇族以外の著名人には全て「さん」の敬称を付けるのと同じことである。
^ 正確には王太子である。
^ 連邦大統領は慣例としてアブダビ首長が就任する。

出典^ 司馬光、「資治通鑑」晋紀第83卷(晋紀五)「己亥,相国倫矯詔遣尚書劉弘齎金屑酒賜賈后死于金?城。」
^ “アブドッラー・サウジアラビア王国国王崩御に際しての皇太子殿下及び福田政府特派大使の弔問”. 外務省. 2015年2月8日閲覧。
^ “エリザベス二世女王陛下の崩御に関する岸田内閣総理大臣の談話”. 首相官邸 (2022年9月9日). 2022年11月4日閲覧。
^ “シハヌーク前国王の崩御に関する野田内閣総理大臣の談話”. 外務省. 2015年2月8日閲覧。
^ “マルグレーテ2世女王陛下略歴”. 外務省. 2015年2月8日閲覧。「なお、(デンマーク女王マルグレーテ2世の)父君フレデリック9世国王は1972年に、母君イングリッド皇太后(元スウェーデン王女)は2000年に崩御あそばされている。


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