崔竜海
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更に翌11日の朝鮮労働党第4回党代表者会で党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長に選任された[6]。そして同月13日に開催された最高人民会議において国防委員会委員に選任され、同日に行われた金日成国家主席と金正日総書記の銅像除幕式で、金正恩の右隣に立ち、李英鎬金正覚より上位の軍ナンバー2に位置づけられたと見られている[7]

2012年10月頃から11月頃にかけて軍に対する大規模な監察が行われ、この際に軍首脳部の10数人が解任された。この際に崔竜海も降格されたと見られており[8]、2012年12月17日に金正日の中央追悼大会で朝鮮人民軍を代表して演説を行った際に、次帥ではなく大将と紹介されていた[9]。しかし、その後、次帥に復帰していたことが2013年2月5日に判明しており[10]、崔竜海と同時期に大将から中将に降格されていた金英哲偵察総局長も同時に大将に復帰していることから、この2者が改めて金正恩の信任を得たと見られている[8]。2013年5月には金正恩の特使として中華人民共和国を訪問して中国の習近平党総書記と会見した[11][12]

崔竜海は、金正日体制下では張成沢の最側近であり、金正恩体制発足に伴い、張成沢の力添えで金正恩の最側近となり最も昇格した人物であるとも見られていたが[13][4]、2013年12月に張成沢が粛清処刑された際には、一部メディアから崔竜海と張成沢の間に権力闘争が発生した可能性や[14][15]、張成沢を失脚させるために、趙延俊と共に張の不正の証拠を収集するなどして暗躍した可能性があると報じられた[16]

2014年2月16日を最後に動静が分からなくなったため、一部から崔竜海も粛清、あるいは軟禁されているのではとの憶測が流れたが[17][18][19]、同年4月9日に開かれた第13期最高人民会議第1回会議で国防委員会副委員長に選出されたことで、「国」では国防委員会副委員長、「党」では政治局常務委員と中央軍事委員会副委員長、「軍」では次帥の称号を保有した総政治局長を兼職し、国家・党・軍の全ての中枢機構で金正恩に次ぐ職位を得たことが確認された[20]。ただし、崔竜海の動静が伝えられる頻度は少ないままで、同年3月に放送された記録映画の中では足を引きずって歩くなどの状態で映っており、同年4月にも持病の糖尿病悪化による健康の悪化、烽火診療所への入院説、失脚説などが流れていた[21][22][23][24]
降格

そして、2014年5月2日に朝鮮中央通信ウェブサイトで、黄炳瑞が軍総政治局長・次帥として紹介されるに至り、同日までに崔竜海が軍総政治局長を退任していたことが判明した[25][26]。翌5月3日には朝鮮中央通信の報道により、キャンプ場の完工式で崔竜海が党書記の肩書きで演説をしたことが確認された。この際、金正恩、黄炳瑞、金己男崔泰福に次いで紹介されたが、党政治局員 兼 党書記である金己男と崔泰福より下位で紹介されたことから、崔竜海の党内の序列が後退し、党政治局常務委員、党中央軍事委員会副委員長、国防委員会副委員長の役職も退任したと推測された[27]

2014年9月24日の朝鮮中央通信の報道で、国家体育指導委員会委員長に就任していたことが判明し、翌25日の第13期最高人民会議第2回会議で国防委員会副委員長を解任された。

2014年10月4日、黄炳瑞と、対南政策を所掌する金養建(党書記、党統一戦線部長)と共に「電撃的」に訪韓し、韓国金寛鎮国家安全保障室長、柳吉在統一相と会談し、今後の南北高官協議の開催に同意した。また仁川で開催されていた2014年アジア競技大会の閉会式にも出席した。この訪韓について、日本の外交筋は北朝鮮最高幹部3名の同時訪韓は「極めて異例」と評価したという[28][29]
ナンバー2への再昇格

2014年10月29日、朝鮮中央通信が、金正恩が改修工事を終えた綾羅島5月1日競技場でサッカー試合を観戦した報道の中で、金正恩の随行者として、崔竜海、黄炳瑞、崔泰福、玄永哲朴道春姜錫柱の順で紹介した。また金正恩が軍人用食堂を視察したことを報じるニュースの中でも朴奉珠首相より上位で紹介された[30]。これにより崔の党内序列の再昇格が確認された。また同日の別の報道では、既に就任が確認されていた党中央委員会書記局書記と国家体育指導委員会委員長の役職名と共に、党中央委員会政治局常務委員としても紹介され、再び崔が同職に就いていることが確認された[31]。同年11月17日から24日にかけて金正恩の特使となってロシアを訪問した。

2015年1月2日、聨合ニュースが、崔竜海の次男の崔ソンが金正恩の実妹の金与正と結婚したという見方を報じたが[32]2016年4月に北朝鮮を訪問した藤本健二によると、金正恩と金与正に面会した際に金与正はまだ独身であると聞かされたという[33]
再降格

2015年2月末、再び崔が黄炳瑞より下位で紹介され、3月9日には労働新聞が「国際女性の日」記念イベントを報じる中で、崔を党中央委員会政治局員兼党中央委員会書記局書記として報道、崔が常務委員から再び降格していたことが判明した[34]

同年9月の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に北朝鮮を代表して出席し[35]、父の所属した東北抗日連軍模範部隊を観閲した[36]

しかし、同年11月、北朝鮮建国まで金日成と抗日パルチザン闘争を展開した「革命第1世代」として知られる李乙雪が94歳で死去した際、崔は葬儀委員会の名簿に名前を連ねておらず、弔問を報じる記事にも登場しなかったため、失脚したとの見方がある[37]。報道では、北朝鮮消息筋の話として、崔が地方の農場で、失敗を犯した幹部らを再教育する「革命化教育」を受けているとの情報が出ている[38]。「革命化教育」は重い罰であるが、崔は、2004年にも不正の疑いで革命化教育を受けた後、復帰しており、今度もいつか復帰する可能性も指摘されている[39]大韓民国国家情報院は2015年11月24日に行った国会での報告の中で、白頭山英雄青年発電所の工事中に土砂崩れや漏水が発生したことの責任を問われたことや、青年政策をめぐって金正恩に異論を唱えたことなどが失脚の要因になったと報告した[40]
再昇格からナンバー2への復帰

同年12月30日、前29日に金養建が交通事故で死去したことを受けて葬儀委員が発表され、委員名簿に崔の名前が金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠金己男に続く第6位という高い序列で記載されていることが確認された。韓国政府関係者は崔が復帰したと推測している[41][42]

2016年5月に開催された朝鮮労働党第7回党大会において、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠と共に同党中央委員会政治局常務委員に選出されたほか[43]、党中央委員会書記に代わって新設された同党中央委員会副委員長にも選出された[44]。これに続いて、2016年6月29日に開催された第13期最高人民会議第4回会議では、組織改編に伴って国防委員会副委員長に代わって国務委員会副委員長に選出された[45]

2016年10月7日、崔は、金正日労働党総書記推戴19年を記念する式典に参加した。この中で、崔は「敬愛なる元帥様(金正恩)を命をかけて決死守護しなければいけない」と述べた[46]

2017年2月、崔は、金正日労働党総書記生誕75周年の錦繍山太陽宮殿への金正恩らの参拝に出席せず、同時期の金正男暗殺事件の釈明のために極秘訪中したと憶測された[47]


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