島田洋七
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広陵は昭広三年時の1967年夏甲子園で、サウスポー宇根洋介、河井らを擁して準優勝(決勝1-7習志野[36]広島カープ初優勝時の主力投手だった佐伯和司は三学年下となる[37]。一方的な昭広のしゃべりは、時にはブレーキが利かなくなり、現実とシャレの境目がわからなくなる[38]。自分の経歴ですらその場の空気によっては、マジとシャレを入り混ぜて話してしまい、それが独り歩きしてしまっていると考えられる[38]

広島工業大学に入学[1][3]。広島市牛田八百屋フジモト商店に1年半住み込みで働くなどした後[6]、19歳の頃に再び佐賀に戻り、当時デパートに勤めていた今の妻と知り合う[39]。20歳の時に二人で東京駆け落ち[40]。東京へ行った目的は歌手になるためだったという[41]。間もなく妻の貯金も尽き高校の先輩に誘われ大阪に移る[40][42]
大阪

1970年、大阪にいた広陵野球部OBに勧められ、なんば花月笑福亭仁鶴落語や、中田カウス・ボタン漫才を観たのがきっかけで芸人になろうと決意[42]中田カウスポルシェ(仁鶴がベンツ[43])で帰るのを見て「15分笑わせるだけでお金が稼げるなんて、こんないい商売があるのか」と、とても簡単そうに見えたのが決意した理由という[29][44][45]。先の先輩が吉本興業の関係者と知り合いで紹介してもらい、うめだ花月の進行係として採用される[46]。当初仁鶴に弟子入りを志願したが言葉の訛りを理由に断られ、次に美人の今喜多代、優しそうな島田洋之介に惚れ弟子入りを願う。しかし同様の理由で弟子入り志願者が多く、毎日師匠の元に通い、1ヶ月と4日目の1971年5月に弟子入りを許された[45]。弟子入り直後には兄弟子の島田一の介とコンビを組んだ事もあったが、互いに訛りが強く程なく解散したという。

弟子入りしてから一年二ヶ月後の1972年桂三枝の紹介で[47]、現在放送作家として活動している団順一萩原芳樹)と初代B&Bを結成、島田洋一名で漫才師としてデビューした[48]

詳細はB&B (お笑いコンビ)を参照。
東京

東京の漫才協団に加入し、戸崎事務所に移籍[49]1980年1月、澤田隆治プロデュースによる『花王名人劇場』(関西テレビ)「激突!漫才新幹線」に大抜擢され出演[50][51]。漫才を変えたといわれるスピードとスタイルで、大きな反響を巻き起す[52][53][54]。同年4月から始まった『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)でも先兵役を務めてケタ違いの実力を見せ、ストレートで10週を勝ち抜き初代グランプリとなり大ブレイクし[55]漫才ブームを引き起こす[3][25][56][57][58][59]。また、同年4月からの『THE MANZAI』でも第一回放送から出演し漫才ブームを牽引した[51][60]。女は常に八角関係、たけしと一千万で銀座のクラブを貸し切ったり[61][62][63]金沢のホテルで、たけしとそのまんま東の三人で150万円飲んだり[64]、現金2000万円持参でベンツを買いに行ったりするなどの豪遊をした[64][65]。ビートたけしは「ショクナイ(業界用語で内職のこと)で洋七と営業に行くと、1時間ぐらいしゃべって700万?800万円もらえたんだよ。折半だからね。ショクナイしまくったね」と話している[61][66]
急降下

1981年5月から始まった『オレたちひょうきん族』では、B&Bは裏の日本テレビ『爆笑ヒット大進撃!!』で、レギュラーを持っており、ひょうきん族への参加は半年遅れ[67]、たけしと明石家さんまがメインで洋七は完全に脇に回る。また、1982年の「笑ってる場合ですよ!」終了と同時に人気が急降下、1983年秋にB&Bを解散[68]。精神的な理由で6年間の休養生活に入り、表舞台から姿を消した[68][69]。その後、国分健二(浮世亭ケンジ)と新コンビ「スティング」を結成したり、間寛平と「洋・寛」という漫才コンビを結成したりするも、いずれも長続きしなかった。間寛平の絡みで萩本欽一欽ちゃんファミリー入りしたこともある。また、かねてより事業欲も旺盛で、最盛期には当時都内の一等地に下北沢など数軒しかなかった広島風お好み焼き店“モミジハウス”を新宿渋谷原宿(パレフランスビル地下1F、1F・オーバカナル(AUX BACCHANALE))他の一等地に6店舗展開[61]。他に高円寺にタコ焼き屋と新橋喫茶店を持っていた。しかし後に母親の要求に応じて全て閉店してしまう[64]1987年には、たけしと共同で埼玉県所沢市ラーメン店「まぼろし軒」を創業(現在は無関係)[15][40][70]


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