島村美輝
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俳優時代までの本名は、島村 徹(しまむら とおる)[1]。別名義・名倉 良(なくら りょう)[2]

東京都出身[1][3]千代田区立麹町小学校千代田区立麹町中学校慶應義塾志木高等学校[4]慶應義塾大学商学部卒業[1][2]。P&Mに所属していた[1]
人物

新派新国劇が好きだった父の影響で、4歳より劇団若草に所属[3]。のちに東映児童研修所に移り、本名(島村 徹)で子役として劇場作品や雑誌の表紙モデルなどを多数経験[3]。以後、学業を優先しつつ映画に出演を続け、高校3年のとき『戦争を知らない子供たち』(東宝)に主演[3]。また、この時期より芸名を「島村 美輝」とし、俳優活動を本格的に再開する[3]

1976年円谷プロ制作の特撮ドラマ『プロレスの星 アステカイザー』(NET、現・テレビ朝日)のオーディションに合格し、主役に抜擢された[3]。格闘技経験がなかったため、当初はアクションに苦労したという[3]新日本プロレスの稽古場に通い特訓を重ね、佐山聡ジョージ高野とも親交を持った[3]。3ヶ月ほど経った頃にはアクションもこなせるようになり、一方で役作りについては青春ドラマを意識したナイーブな演技を心掛けたとのこと[3]

1977年の大学卒業と同時に名倉 良に改名して火曜劇場『幸福のとき』(日本テレビ)で予備校講師を演じるなど俳優活動の一方[注釈 1][2]、テレビの情報番組リポーターとしても活躍した[3]

その後、父の稼業を継ぐため芸能活動を停止し[3]、現在は教育コンサルタント「麹町慶進会」の塾長を務める。

2017年新潟テレビ21制作・放送の特撮ドラマ『炎の天狐 トチオンガーセブン』で久々のドラマ出演を果たした。
出演
テレビドラマ

子供の眼(1963年、
NET

しろばんば(1964年、12CH

ある日わたしは(1967年、NTV) - 山崎あきら

大河ドラマ/ 元禄太平記(1975年、NHK) - 紀伊綱教

さやえんどう(1975年、NET) - 落合一作

TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿(1975年、ABC) - 司健二

プロレスの星 アステカイザー(1976年 - 1977年、NET) - 主演・アステカイザー / 鷹羽俊

火曜劇場 / 幸福のとき(1977年、NTV) - 大塚

殺人の棋譜(1978年、CX

コメットさん 第20話「乙女座のクラスメート」(1978年、TBS) - 愛田誠

旅がらす事件帖 第19話「道中奉行を殺せ!」(1981年、KTV) - 多市

想い出づくり。(1981年、TBS) - 大沢良一郎

ザ・サスペンス / 陽のあたる場所(1982年、TBS)

炎の天狐 トチオンガーセブン(2017年、UX) - 山古志博士

映画

特ダネ三十時間 笑う誘拐魔 曲り角の女(1960年、
東映

ちいさこべ(1962年、東映)

しろばんば(1962年、日活) - 主演・伊上洪作

無法松の一生(1963年、東映) - 吉岡敏雄


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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