青年座に入団してから一番最初に、初井言榮の付き人を経験[15]。初舞台は、PARCO劇場の舞台のヒロイン役[17]。活動初期は『花神』、『マー姉ちゃん』等のテレビドラマに出演していた。
その頃、声の仕事をしていた先輩に「遊びに来ないか」と誘われて、現場で「一声出してみないか」と言われて、声を出していたところ「今度オーディションあるから受けてみる?」というような流れで声優としての活動を始める[18]。
1979年2月17日放送の『ゼンダマン』第3話、「エデンの園だよ!ゼンダマン」のゲストキャラクターのイブ役で声優デビューを果たす[8][9]。同年4月スタートの『ザ☆ウルトラマン』ではヒロインの星川ムツミを演じて初レギュラーとなった[8][9]。多くの文献や本人プロフィールなどでは、この作品がデビュー作とされており、実際にオーディションに合格して声優デビューが決まったのもこちらが先だった[9][18]。『ゼンダマン』のゲストは『ザ☆ウルトラマン』の演出家から出るように言われたものである[9]。
初めてのアフレコの時は舞台的な発声だと声が通り過ぎてしまうなど、その距離感の問題が大変だった[18]。台本と画面を同時に見て、台詞をいうことにも苦労しており、失敗を引きずったりはできず、一言だけの台詞の場合なども、待っている間のプレッシャーがかなりあったという[18]。周囲は先輩ばかりで、現場のルールもわからず、超本気で大きな声でセリフの稽古をしていた[15]。
新人だった頃、劇団にマネージメント料を払わなければならず、レギュラー1本では、アルバイトをしなければ無理で、『風の谷のナウシカ』の頃もアルバイトはしていた[15]。当時はパーティーコンパニオンのアルバイトをしていた[15]。
当時の青年座は、西田敏行が売りだしており、声の仕事には力を入れておらず、声の仕事専門のマネージャーもいないため、『ザ☆ウルトラマン』の収録終わりで次の現場に移動しなくてはいけなかった[15]。その時、声優事務所のマネージャーが「須美ちゃん、そろそろ(時間だから)出たほうがいいよ」と言ってくれており、それくらい、ほったらかしだったという[15]。
これを機に声優業が増えていき、同年12月公開の劇場用アニメ『ルパン三世 カリオストロの城』でゲストヒロインのクラリスを演じた[18][19]。
『ザ☆ウルトラマン』終了後は、収録日を絶対動かすことがなく、旅公演のある舞台公演ができなくなり、舞台の仕事を優先するためレギュラーの声優の仕事は断り、1980年から1982年にかけて日本全国の地方の中学校をまわる学校公演ミュージカル『ブンナよ木からおりてこい』『ある馬の物語』に参加した[9][18]。
1983年4月から『スプーンおばさん』のルウリィ役で再びレギュラーの声優の仕事を受けるようになり、1984年の『風の谷のナウシカ』、1985年の『小公女セーラ』、1986年の『めぞん一刻』、『オズの魔法使い』、『Oh!ファミリー』でそれぞれヒロインもしくは主人公を演じ、人気を博す。
私生活では、1984年に青年座の後輩で7歳下の、お笑いコンビ・ちびっこギャングの越川大介と結婚[20]、長女で声優の越川詩織との三人家族である[21]。
1986年には『めぞん一刻』で演じたヒロイン・音無響子名義でシングル「予感」をリリースし、翌1987年には2枚目のシングル「メロディー」と、アルバム「恋するKI・MO・CHI」をリリースした。
アニメ雑誌『アニメージュ』主催のアニメグランプリでは、1984年の第7回と1987年の第10回、1988年の第11回で、女性声優部門1位を獲得。また1985年と1986年、1989年でも2位に輝いた。
1980年代後半以降は『キテレツ大百科』のキテレツのママ、『それいけ!アンパンマン』のしょくぱんまんなど、ヒロイン以外の役柄での出演が多くなり、役の幅を広げていく。しょくぱんまん役のオーディションの話が来た時は驚いていた[8]。『キテレツ大百科』は前述の通り、島本が母親になった途端に母親役がまわってきたという感じであったという[8]。