島尻安伊子
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聖ウルスラ学院高等学校上智大学文学部新聞学科卒業[7]。高校在学中、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハンティングトンビーチハイスクールに留学した[7]。大学卒業後、1988年にシェアソンリーマン証券日本法人(現リーマン・ブラザーズ)に入社。その後、沖縄ビジネス外語専門学校講師やJSL日本アカデミー副理事長を務めた[8]

2004年那覇市議会議員補欠選挙民主党公認で出馬し[9]、初当選した[10]2005年、那覇市議に再選を果たすが、再選後に民主党を離党[9]2007年沖縄県選挙区選出の糸数慶子参議院議員沖縄県知事選挙に立候補するため辞職し、それに伴い、4月22日第16回統一地方選挙後半戦にて実施された補欠選挙に政治団体「アイ・ラブ沖縄!かがやく県民の会」公認(自由民主党公明党推薦)で出馬[11]。参院補選で当選後、自由民主党に入党し[9]平成研究会に入会した[11]

2010年第22回参議院議員通常選挙では、選挙対策本部長に沖縄県知事仲井眞弘多を迎え、自民党公認で沖縄県選挙区から出馬。前年の第45回衆議院議員総選挙では自民党が大敗し、衆議院の4つの小選挙区では全て民主党および民主党と選挙協力を行った社民党国民新党が議席を獲得していたため、島尻は沖縄県選出の唯一の自民党国会議員だった。普天間飛行場名護市辺野古への移設について、総選挙後は容認の立場だったが[12]、2010年の参院選に際しては、民主党が既に事実上断念していた県外移設を主張した[13]。沖縄県選挙区で社会民主党推薦の山城博治らを破り、再選。

2012年第2次安倍内閣内閣府大臣政務官及び復興大臣政務官に任命された。2013年2月、島根県主催の「竹島の日」記念式典に出席した。政府関係者がこの式典に出席したのは初めてである[14]2014年9月、参議院環境委員長に就任[8]

2015年10月7日第3次安倍第1次改造内閣内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策科学技術政策宇宙政策)に任命され、初入閣した[15]。沖縄県選出の閣僚は、島尻で史上4人目だった[8]

2016年第24回参議院議員通常選挙に3選を目指して沖縄県選挙区から自民党公認で出馬したが、元宜野湾市長の伊波洋一に敗れ、落選した[16]。島尻の落選により、沖縄県の選挙区から選出された自民党国会議員はいなくなった[16]。参院議員に落選したものの、選挙後、当面大臣は続投する方針が政府から示され、翌月の内閣改造まで閣僚の職に留まった[17]

2016年8月、後任の鶴保庸介沖縄及び北方対策担当大臣により、沖縄振興及び子どもの貧困対策を担当する大臣補佐官に任命される[18]2017年8月、鶴保の後任の江崎鐡磨大臣の下でも大臣補佐官に再任された[19]

2018年2月27日、自身を任命した江崎鐡磨の大臣辞任に伴い、自らも大臣補佐官を辞任したが[20]、江崎の後任の福井照大臣が同日の記者会見で島尻を続投させる意向を表明し[21]3月2日付で再度、大臣補佐官に任命された[22]10月2日に成立した第4次安倍改造内閣の宮腰光寛大臣の下でも続投[23]2019年1月25日、自民党は4月21日第19回統一地方選挙後半戦にて実施の衆議院沖縄県第3区補欠選挙での島尻の公認を発表。同日、島尻は大臣補佐官を退任[24]。3月2日、衆議院沖縄3区補欠選挙への出馬を正式表明するも[25]屋良朝博に敗れ、国政復帰は叶わなかった[26]

2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に再び沖縄3区から立候補し、前回と同じ立憲民主党公認の屋良との一騎打ちとなった。屋良に7200票以上の差をつけ当選(屋良は比例復活できず議席を失った)[27][28]
政策・主張
憲法改正

日本国憲法改正に賛成[29]
安全保障

日本核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としている[29]
エネルギー政策

原子力発電日本に必要[29]
普天間基地移設

沖縄県宜野湾市普天間飛行場の移設について、1期目は容認の立場を取っていたが[12]2009年に発足した鳩山由紀夫内閣は県外移設もしくは国外移設を表明し、その後事実上断念する。


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