岸田森
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実父は1956年(昭和31年)から1957年(昭和32年)まで、火星の土地分譲で名をはせた「日本宇宙旅行会(改称後・日本宇宙飛行協会)」の協会事務局長であったという。劇作家の岸田國士は伯父、女優の岸田今日子や童話作家の岸田衿子(國士の娘)は従姉に当たる。千代田区の麹町中学校に在籍していた当時、山形県から転校してきた(のちに政治家となる)加藤紘一とも友人であった。

六本木でバーを経営し、岸田が学生野球ファンということあり、映画評論家の田山力哉が連れ立って岡田彰布松本匡史など当時の東京六大学野球や、東都大学野球リーグ高木豊など各選手が時折店を訪れ、顔なじみであった。酒を愛し、自宅の洋酒コレクションには、客にせがまれたときのために、どれも半分以上の飲み残しがあったと、山本迪夫監督は『キネマ旬報』の追悼記事で人柄をしのんでいる[要文献特定詳細情報]。

無口で陰湿な役の多い岸田だが、プライベートではさびしがりやで、出演待ち時間にはやかましいくらいのおしゃべりであったという。愛称は「しんちゃん」や「かみそり・しん」。常連の監督たちもそうだが、勝新太郎、水谷豊、松田優作ら俳優仲間、先輩後輩の指名を受けての仕事も多く、演技力と人柄が慕われていた。

円谷プロでは「退屈だったのと、特撮に興味を持ったので、それでしかできないものを作ってみたくなったから」と、朱川 審(あけかわ しん)の名で脚本を発表[注釈 6]。『帰ってきたウルトラマン』第35話「残酷! 光怪獣プリズ魔」は、光をモチーフにしたという岸田のイメージを基にした怪獣「プリズ魔」の造型は、第2期ウルトラ怪獣随一の美しさと名高く、多くの関連本に登場する[注釈 7]。「朱川審」のペンネームの由来としては、「本名では照れくさいのと、生まれたときに名づけられる予定だった審という名を復活させてみた」とコメントしている。

ほかには実名で『ファイヤーマン』第12話「地球はロボットの墓場」の脚本を手がける[2]。岸田の演ずる水島隊員はこの回は全くセリフを話さず、その動作と口の微かな動きだけで感情や意思を表現するなど、実験的な演出がみられる。

映画では岡本喜八監督作品に多数出演。『斬る』での初出演から亡くなるまでの監督作品14本中12本に出演しているが、出ていない2本は『斬る』の時点で準備が進んでいた次作『肉弾』と、前後篇の後篇である『にっぽん三銃士・博多帯しめ一本どっこの巻』のみなので、まさに手放そうとしない気にいりようで、後期「喜八一家」のキーマン的存在であった。『ダイナマイトどんどん』(1978年、大映)のド派手なスーツをまとった敵方ヤクザ幹部役の抱腹絶倒演技、わずかな出番で作品の印象を一変させるような脇役を目指したい、と語っていたモットーを具現化したような『ブルークリスマス』(1978年、東宝)の不気味な政界黒幕秘書役などが代表的なものとして挙げられる。岸田の葬儀の際は、棺の先頭を担ぐ岡本の姿が報道された。『怪奇大作戦』以来の実相寺昭雄とは4本の劇場映画をともにしているが、『歌麿』の主役以外も準主役的な起用が多い。

また、時代劇においては多くの歴史上の人物を演じたが、そのなかでも感情を抑制し知的なイメージが先行した役柄を多く演じた。代表的なものに、『徳川家康』(1964年NET)での若き日の竹中半兵衛役(晩年期は原保美が代わって演じた)、大河ドラマ草燃える』(1979年NHK)では大江広元役のほか、荻生徂徠小栗上野介鳥居耀蔵など、知恵者の役柄を多く演じた。

血を吸う薔薇』(1974年、東宝)で共演した佐々木勝彦は、制作時に楽屋で岸田が髪の毛の薄さを気にしていたと語っている。岸田は同年制作の実相寺昭雄監督作品『あさき夢みし』(ATG)では、役作りで思い切って坊主頭にしていて、その際、普段はカツラを着用。この坊主頭を意図的に『傷だらけの天使』、『探偵物語』(日本テレビ)で活用している。

『傷だらけの天使』第5話において、加藤嘉演じる暴力団の組長に詫びを入れるよう強要されるシーンで、岸田は唐突にカツラを外し土下座した。このシーンについては従前より「演出によるものである」との説と「岸田のアドリブである」とする説があるが、萩原健一の著書『ショーケン』によると(第四章 p80-p81)、これはアドリブではなく映画での岸田の役作りを承知していた萩原らが編集と展開の都合から指を詰めるシーンの代わりとして現場で発案したもので、岸田自身は「(坊主頭は)映画の制作発表のときまで公表しない」と主張して承諾せず、萩原らの懇願に負けて撮影することになっても最後まで乗り気ではなかったとのことである。

怪盗103号役としてゲスト出演した『探偵物語』第13話では、終盤の松田優作とのフェンシングでの格闘シーンにおいて工藤(松田)の攻撃が103号の頭髪を直撃、カツラが取れて坊主頭(しかも頭には「103」と書かれている)をさらすシーンがある。ただし、こちらは岸田は撮影時には自毛を生やしており、坊主頭の方がカツラである。

特技監督の中野昭慶によれば、岸田はよく「宇宙人をやらせろ」と要望していたという[12]
趣味趣向

趣味は蝶の収集・採集、スコッチ・ウイスキー収集、油絵、シナリオ、ゴルフ、野球、植草甚一の影響によりジャズ鑑賞[注釈 8]。特技は剣道(3段)。

大の酒好きとして知られるが、飲んでも人格が変わるようなことはなかったとされる[15]。『ファイヤーマン』では、共演者の睦五朗と組んで助監督を巻き込み飲みに行けるスケジュールにさせていたという[15]。睦は、当時ウイスキーをボトル1本半を飲まなければ収まらなかったが、岸田の酒量はそれを上回るものであったと証言している[12]。岸田は朝から酒を飲んでいることが多く、新幹線の一番列車に乗り込む際も岸田はビールを片手に走ってきていたという[12]

嫌いなものは牛肉で、付き合っていた女性にも自分の前では牛肉を食べないように約束させるほどであった[15][12]。岸田が長期ロケに出ていた際に交際相手はステーキを食していたが、偶然岸田が早く帰宅してそのことに気づくと、岸田は怒り狂って家を飛び出しそのまま帰らなかったこともあったという[12]

『ファイヤーマン』で共演した睦によると、同作の放映時期、趣味の蝶の標本採集が高じ、たびたび東南アジア方面へ採集旅行に出ているが、旅行慣れした睦は岸田にいつもせがまれて同伴させられていたという。採集旅行先は台湾が多かったとのことだが、その際の岸田の服装が「迷彩色の上下にゲートル巻」といった軍装まがいのものだったため、毎回の旅行のたびに行方不明となり、決まって警察に不審者として拘束されているのがオチだったという[15]。「とにかく警察に捕まらなかったときがない」と睦も当時を述懐し、岸田を「奇人でした」と評している[12]。蝶の標本コレクションは、そのまま展示館が開けるほどのものだった。蝶に関連して、蛾の「節操のなさ」を挙げ、岸田は「モスラが好き」ともコメントしている。蝶の色彩とも関連付け、「ウルトラマンの顔も、じっと見てると蝶々に思えてくる」とも語っている。蝶の収集は1974年の時点で、自宅に2000頭の蝶を収集していた[4]。蝶を捕る際の服装に関して、「あまり服装に凝ると仲間にからかわれるので、素直な格好で出かけることにしている[4]」とコメントしている。また、蝶が出没するならばと、どんなロケ地でもいとわず、「(蝶採集に時間が費やせるため)すぐに殺される役の方がありがたい」とさえ語っている[4]
交友関係

草野大悟とは文学座以来、生涯の親友であり、盟友。

特捜最前線』で岸田と兄弟役を演じた藤岡弘、は、岸田について俳優として人間を演じることを追求していたといい、優しく思いやりがあり、俳優としてのヒントをさらっと教えてくれるよい先輩であったと述懐している[16]

テレビドラマプロデューサーの宍倉徳子とは、宍倉がスクリプターを務めていた『曼荼羅』(1971年)で暴れた岸田を宍倉がなだめた縁で親しくなり、宍倉がプロデューサーとなった際には宍倉の作品には全部出ると述べ、実際に多くの作品に出演した[17]。『可愛い悪魔』(1982年)では、ガンにより声が出なくなっていたが、しゃべることのできない役に変更してまでも出演している[17]

『ファイヤーマン』では主演の誠直也(佐賀出身)のなまりがきつかったため、少しでもセリフの言い回しが違うと撮影の段階で芝居をとめて無言の指導を行ったという。岸田は「俺はいつお前(誠)に殴られるかと冷々だった」と語っていたが、逆に誠は「当時はつらかったが、あのときの岸田さんの指導があったからこそ、今の自分がある」と感謝の意を表している[18][注釈 9]

睦は岸田の入院中に同じ病院に入院していたこともあり、回復した睦は病院に要望して面会謝絶の岸田を見舞った[12]。その際の岸田は、枯れ木のようにやせ細った姿で、声も出せないほど弱っており、睦は見ていられない姿であったと語っている[12]。しかし、岸田の体力を気遣って帰ろうとする睦を岸田は力強く握りしめて放そうとせず、睦が去る際にも力を振り絞って声を挙げていたという[12]。睦は、師である三好の戯曲『炎の人』を制作し岸田がゴッホを演じることを約束していたが、見舞いの直後に岸田は死去し、約束が果たされることはなかった[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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