岸田今日子
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麒麟麦酒キリンビール[28]

エスビー食品「フォンドボーディナーカレー」

イオナ インターナショナル(ナレーション)

ネスレ日本クリスピー物語[29]

TDK「磁気ネックレス」

朝日新聞社「週刊百科 世界100都市」

エーザイ「ジャスタット」(ナレーション)

NTTフリーダイヤル紹介(「鉄棒する猫」編・「木に登る犬」編)」(1987年、ナレーション)

DDI(ムーミン役)

JARO(ナレーション)

その他のコンテンツ

高中正義のアルバム「TRAUMATIC 極東探偵団」(東芝EMI WTP-90340)の中でナレーション担当

星の王子さまの朗読CD(東芝EMI)の中でばらの花の声を担当

有頂天のアルバム『カラフルメリィが降った街』の「1990年のカラフルメリィ」冒頭ナレーション

ピチカート・ファイヴのマキシシングル『PORNO 3003 ep』のナレーション

UAのマキシシングル『DOROBON』収録曲「泥棒(独白)」のポエトリーリーディング

新美南吉童話選集1,2,3 (日本音声保存)

岸田今日子朗読CD-BOX「白昼夢」(日本音声保存)

岸田今日子自作選2?棘のある小さな花束?(日本音声保存)

岸田今日子自作選3?悪夢は何色?? (日本音声保存)

東京ディズニーランド

白雪姫と七人のこびと(ウサギ)


音楽
シングル

発売日規格規格品番面タイトル時間作詞作曲編曲
キングレコード
1964年EPBS-77A素足のランデブー3:30横井弘中野忠晴上野正雄
B鳥と乙女の物語3:45岸田衿子寺島尚彦

著作

子供にしてあげたお話 してあげなかったお話(1975年・2001年、大和書房)

ラストシーン(1989年、角川書店)

外国遠足日記帖 (1991年、話の特集刊)

時の記憶(1992年、マガジンハウス)

妄想の森(1997年、文藝春秋) 第46回
日本エッセイスト・クラブ賞受賞

スリはする どこでする 続・外国遠足日記帖(1997年、文藝春秋)

大人にしてあげた小さなお話(2000年、大和書房)

あの季(とき)この季(とき)(2002年、光文社)

こどものとも年少版5月号 パンツのはきかた 佐野洋子 絵(2007年、福音館書店)

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 変わった少女だった、と自身回想している[要出典]。幼稚園にも行かず、空想に浸っていて、小学校では勉強についてゆけなかったと。小学5年生でも、割り算について「数が割れるなんて」と不思議でしょうがなかったと。
^ 『保毛尾田家の人々』、『われら定時制高校野球部』など。詳しくは、とんねるずのみなさんのおかげですのコーナー一覧を参照。
^ 後の雑誌のインタビューで、「私は母の死を境に“人に甘えること”をしなくなった」と語ったという[5]
^ さらに岸田は「私が女優をしたりものを書いたりしていることを“母が知ったら喜んでくれるだろうな”という思いが、いつも心の底にあるのです」とも述べたという[5]
^ 撮影現場では、演者が作品ごとの役名で呼ばれることは一般的とされる。
^ 岸田のある自著には、この時について「本番中に子役から呼ばれるのはいいけど、そうじゃない時に実子である娘以外の人から『お母さん』と呼ばれると、ザラザラの手で触られるような拒否反応が起こる」と記したという[5]
^ 価値観がズレるようになった、とも。
^ 娘に「お父さんとお母さんは仲が悪いの?」と訊かれて、「おしどり夫婦などと世間からは言われて、人様の前に出ているけれど、もうそうやって自分を偽ってゆくのは止めよう」と決意したという。
^ 『ムーミン』の仕事を請けたのはそのためだった、と後にトーク番組で語ってもいる[出典無効]。声を収録するスタジオには、毎回、娘を連れていって見せていた、という。
^ 國士は、岸田が文学座の研究生になる時に「舞台美術の仕事をしたい」と聞いていたため、女優になるとは思っていなかった。
^ つかから「頭悪いんじゃないの?」と言われたが、岸田は「稽古は、恥をかくためにある」と気にも留めなかった[5]
^ 岸田によると「例えば首に包帯を巻いているおばあちゃんの役を演じる場合、その包帯は風邪をひかないためのスカーフ代わりかもしれないし、もしかしたら包帯の下に実は傷が隠されているのかもしれないって想像するの。傷なら自分でつけたのか人がつけたのか、あるいはそのおばあちゃんは既に死んでいて実は幽霊なのかも…と色々と妄想することができる」と語っている[2]
^ 岸田の方が6歳年上で、20歳を過ぎてから文学座に入団した山崎は、岸田から“ヤマ”と呼ばれ、退団後も長年に渡り交流があった[5]
^ その理由について山崎は、「主役は最初からキャラクターがはっきりしていますが、脇役は十分に説明されていないことが多い。説明がないってことは、自分の考えで役柄の細かい所まで作ることができる。だから脇役の方が面白い役が多いのです」としている。
^ 冨士とは、1962年のテレビドラマ『鏡子の家』で親友役として出演して以来、親友に。吉行とは2度続けて清水邦夫の芝居に一緒に出た後、1984年暮れから1985年初にかけて一緒にインド旅行をして以来の仲。そのインド旅行は、案内人の山際素男が著した本『脳みそカレー味』に描かれている[要文献特定詳細情報]。
^ 2006年1月放送の第22作が遺作。
^ 2004年に収録され死後に放送された。
^ 書籍『東宝特撮映画全史』では、ナレーターと記述している[12]

出典^ a b c d e f g h i j k 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.36.
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “復刻超ロングインタビュー【女優・岸田今日子】魅惑の表現者に聞いた、仕事と妄想的恋愛論(1996年のインタビュー記事)”. 読む映画館 轟夕起夫NET (2020年12月3日). 2022年4月15日閲覧。


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