岸惠子
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
2004年:旭日小綬章[34]
2011年:フランス共和国芸術文化勲章コマンドゥール
2017年:第65回菊池寛賞
2019年:ルネサンス・フランセーズ栄誉賞
著書
単著
『巴里の空はあかね雲』(新潮社 1983年 のち新潮文庫)文芸大賞エッセイ賞。自らが朗読したカセットブックも発売された。録音後、「さすがに、自分のことを読むのは恥ずかしかったわ」と語っている
『砂の界(くに)へ』(文藝春秋 1986年 のち文春文庫・朝日文庫)イラン、アフリカ紀行
『ベラルーシの林檎』(朝日新聞社 1993年 のち朝日文芸文庫)日本エッセイストクラブ賞。表紙のデザインは娘のデルフィーヌが担当した
『30年の物語』(講談社 1999年 のち講談社文庫)
『風が見ていた』(新潮社 2003年 のち新潮文庫)各上下 小説 2009年5月7月「新日曜名作座」(NHKラジオ第1)で全8回にわたって放送。出演:西田敏行、竹下景子。
『私の人生ア・ラ・カルト』(講談社 2005年 のち朝日文庫)
『私のパリ 私のフランス』(講談社 2005年)フォトエッセイ集
『わりなき恋』(幻冬舎 2013年 のち幻冬舎文庫)小説
『女優 岸惠子』(キネマ旬報社 2014年)監修書き下ろしエッセイ、ロング・インタビュー、自身が選んだ自薦映画16作品、代表作グラビアを収録
『愛のかたち』(文藝春秋 2017年/文春文庫 2021年)小説
『孤独という道づれ』(幻冬舎 2019年/幻冬舎文庫 2022年)
『岸惠子自伝―卵を割らなければ、オムレツは食べられない』(岩波書店 2021年/岩波現代文庫 2024年5月)
『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』(幻冬舎 2024年5月)
共著
秦早穂子共著「パリ・東京井戸端会議」(読売新聞社 1973年 のち新潮文庫)
吉永小百合との対談集「歩いて行く二人」(世界文化社 2014年)
翻訳
スージー・モルゲンステルヌ、セルジュ・ブロック「パリのおばあさんの物語」(千倉書房 2008年)
関連書籍
水野晴郎と銀幕の花々(水野晴郎著、近代文芸社) - 水野による岸を含む女優達のインタビュー集
麗しの銀幕スタア(秋山庄太郎著、小学館)
人は大切なことも忘れてしまうから 松竹大船撮影所物語(山田太一・斉藤正夫・田中康義・宮川昭司・吉田剛・渡辺浩/編著、マガジンハウス) - 岸を含む松竹ゆかりの人たちへのインタビュー集
別冊太陽 監督 市川崑(平凡社)
小津安二郎新発見 松竹編(講談社)ISBN 4-06-206681-5
日本映画スチール集 大映女優篇 昭和10・20年代(石割平・円尾敏郎/著、ワイズ出版)
香港・日本映画交流史 アジア映画ネットワークのルーツを探る(邱淑?/著、東京大学出版会)
『銀幕の名花』20世紀のビッグスタア3 平凡特別編集(マガジンハウス)ISBN 4-8387-1210-3
父・鶴田浩二(カーロン愛弓/著、新潮社)
関連項目
有馬稲子
久我美子
文芸プロダクションにんじんくらぶ
イヴ・シャンピ
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 『風は知らない』は結局、谷洋子を主演に据え1958年に制作された。
^ 『歩いて行く二人』によれば、『忘れえぬ慕情』のヒットでどこへ行っても「ノリコ!」と呼ばれるのが嫌だったし、シャンピとも英語で話していたので一日8時間くらいフランス語の勉強をしたという。下層の人々からも学んでいて首相官邸に招かれた時にそのまま使って夫を赤面させたという。
^ 『歩いて行く二人』では仕事をしすぎて不在が多かったことが原因だという。
^ 『歩いて行く二人』の中で一番好きだった役は『おとうと』のげんだったと語っている。
^ 共演はマリオ・アドルフ
^ 共演はアラン・キュニー(Alain Cuny)
^ 清原果耶とのリレー。
出典^ a b c d e f g h 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.14.
^ 岸惠子「かつて在りし我が師」神奈川県立横浜平沼高等学校創立百周年記念実行委員会・歴史編纂部会編『創立百周年記念誌 同窓会編 (真澄会編) 花たちばな―卒業生一世紀の証言』神奈川県立横浜平沼高等学校、2000年10月28日 発行、238?239頁。
^ 『週刊AERA』1994年10月10日号 P.55
^ a b 岸惠子 2021, pp. 95?97.
^ “岸惠子自伝―卵を割らなければ、オムレツは食べられない(特設サイト)”. 岩波書店. 2022年3月15日閲覧。
^ 『映連時報』1955年6月号、日本映画連合会事務局。
^ 『朝日新聞』1955年5月22日付朝刊、11頁、「岸恵子に女優主演賞 東南アジア映画祭」。
^ 『朝日新聞』1955年6月19日付朝刊、11頁、「岸恵子に白羽の矢 日英合作映画の主演女優 デヴィッドリーン監督『風は知らない』」。
^ a b 岸惠子 2021, pp. 98?103.
^ “ ⇒BFI”. 2013年8月3日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2013年8月3日閲覧。
^ 『朝日新聞』1956年1月17日付朝刊、7頁、「岸恵子の起用決る ダリュー、マレーと共演 日仏初の合作映画」。
^ 岸惠子 2021, p. 108.
^ 秦早穂子・江藤文夫「岸惠子論」 『映画評論』1962年1月号、25-31頁。
^ “岸惠子「ギャラをウクライナの難民に寄付したい」8月「私の最後の舞台になる」トークショー”. 日刊スポーツ (2022年5月18日). 2022年5月18日閲覧。
^ 『映画情報』1959年2月号、国際情報社。
^ 岸惠子 2021, pp. 162?167.
^ https://www.allcinema.net/cinema/143925
^ “ ⇒オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
^ 『サンケイグラフ』1955年2月27日号、産業経済新聞社。
^ a b ⇒http://anincline.com/kishi-keiko/
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:164 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef