岸和田市
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気象庁による気象警報・注意報の発表区分(二次細分区域)は市の全域をもって区分されており、大阪府のうち「泉州」に区分する地域の一つとなっている。なお、同庁による天気予報の発表区分(一次細分区域)は、市の全域を含む大阪府全域となっている[1]
人口

2015年(平成27年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、2.2%減の194,911人であり、増減率は府下43市町村中24位、72行政区域中46位。

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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

岸和田市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

市章

1920年(大正9年)に岸和田町の紋章として公募したもので、岸和田城の別称「千亀利城」から「千」の文字を図案化したもの、岸和田の「岸」または「キ」の図案化あるいは、欄干橋の「干」からとったものといわれている。1922年(大正11年)の市制施行の際に正式に市章として制定された。
市歌

岸和田市では戦前に制定された2曲と戦後に制定された1曲の計3曲を制定し、並立させている。現在は主に「岸和田市讃歌」が演奏されるが、戦前の2曲と異なり例規集には掲載されていない。
岸和田市歌
1924年(大正13年)7月15日制定。作詞・佐沢健平、作曲・阿保寛。(旧)岸和田市の時代に制定されたが、新設合併後も引き継がれている
[2]
岸和田市民歌
1942年(昭和17年)8月10日に新設合併を記念して制定。歌詞は岸和田市選定で、作曲は内田元[3]
岸和田市讃歌
1972年(昭和47年)に、市制施行50周年を記念して制定。作詞・寺岡光義(一般公募入選者)、補作・星野哲郎、作曲・新井利昌[4]
市内の地名「岸和田市の地名」を参照
歴史
中近世

1337年延元2年/建武4年) - 「岸和田」という単語の初出。湊川の戦い楠木正成の配下として戦った南朝武将岸和田治氏が記した軍忠状が現存する(『和田文書』所収『岸和田弥五郎治氏軍忠状』延元二年三月日)。

1400年応永7年) - 「岸和田」という地名の初出。足利義満が岸和田荘半分を石清水八幡宮へ寄進(応永7年9月28日『足利義満御判御教書』(『石清水文書』))。

1585年天正13年) - 小出秀政が岸和田城主となり、岸和田藩が立藩。城郭整備と城下建設に取り掛かる。

1619年元和5年) - 松平康重が入封。総構えと城下の整備が進む。

1640年寛永17年) - 岡部宣勝が入封。以降岡部氏の城下町として栄える。

1668年寛文8年) - 南町と沼村に新屋敷が完成する(沼村の新屋敷は後の並松町)。

1703年元禄16年) - 岡部長泰が岸和田城三の丸に伏見稲荷を勧請し、岸和田だんじり祭の起源と言われる稲荷祭を行う。

1871年明治4年) - 廃藩置県により岸和田県が設置され、同年堺県に編入される。

1878年(明治11年) - 岡部長職の依頼で新島襄キリスト教布教に訪れる。

1881年(明治14年) - 大阪府に編入される。

沿革

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、南郡岸和田南町、岸和田本町、岸和田堺町、岸和田魚屋町、岸和田北町、岸和田並松町が合併して、南郡岸和田町が発足。大字岸和田北に町役場を設置。のち大字岸和田本に移転。

1896年(明治29年)4月1日 - の統廃合により、所属郡が泉南郡となる。

1912年(明治45年)1月1日 - 泉南郡岸和田浜町岸和田村沼野村と新設合併し、改めて岸和田町となる。

1913年(大正2年)1月1日 - 大字を改編。発足時の6町は岸和田の冠称を廃し、岸和田浜に7町、岸和田に6町、沼に2町、野に2町、藤井に1町、別所に1町を起立。25町となる。

1922年(大正11年)11月1日 - 大阪府下で3番目に市制を施行。岸和田市となる。

1924年(大正13年)7月15日 - 岸和田市歌を制定。

1938年(昭和13年)3月3日 - 泉南郡土生郷村を編入。

1940年(昭和15年)6月1日 - 泉南郡有真香村東葛城村を編入。

1941年(昭和16年) - 市役所を岸城町の泉南郡役所跡(現在地)に移転。

1942年(昭和17年)4月1日 - 泉南郡春木町山直町南掃守村と新設合併し、改めて岸和田市となる。

ただし、市制施行年数は旧・岸和田市の市制施行時(1922年(大正11年))より数えられている。

だんじり祭などにおいて呼ばれる「旧市」(岸和田旧市地区)は、この時に廃した市域ではなく、旧・岸和田市の市制施行時(1922年(大正11年))の市域を指す。


1942年(昭和17年)8月10日 - 合併を記念して「岸和田市民歌」を制定(1924年制定の市歌も存続)。

1947年(昭和22年)6月8日 - 市内にあった演芸場の屋根が落下する事故が発生。死者70人[5]

1948年(昭和23年)4月1日 - 泉北郡山滝村を編入。

1972年(昭和47年) - 市制50周年を記念して「岸和田市讃歌」を制定。

2002年(平成14年)4月1日 - 特例市に昇格。

2003年(平成15年)7月15日 - 岸和田市・忠岡町合併協議会を設立。

2004年(平成16年) - 忠岡町で行われた合併に関する住民投票の結果、反対多数となったため、忠岡町の申し入れにより、岸和田市・忠岡町合併協議会を解散。

2007年(平成19年)1月1日 - 市内に飛地として存在していた貝塚市清児新町地区を編入。現在の市域となる。

歴代市長

代氏名就任年月日退任年月日備考
初舟木二三二1923年4月30日1927年4月29日
21927年5月2日1930年4月1日
3
井阪豊光1930年5月12日1932年1月25日
41932年2月23日1933年5月30日
5川崎正一1933年7月15日1936年9月5日
6竹崎米吉1937年10月5日1940年4月11日
7寺田利吉1940年4月26日1942年3月31日
8寺田甚吉1942年6月23日1943年9月4日
9福本太郎1943年9月5日1946年3月25日
10小島朝一1946年5月28日1946年12月16日
11毛利一郎1947年4月15日1951年4月14日以後、公選
121951年4月23日1952年3月20日
13-15福本太郎1952年5月2日1961年11月10日
16-18中澤米太郎1961年12月15日1973年12月14日
19-26原f1973年12月15日2005年12月14日
27-28野口聖2005年12月15日2013年12月14日
29-30信貴芳則2013年12月15日2017年12月26日辞職[6][7]
職務代理者[8]2017年12月27日2018年2月4日


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