岩波書店
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岩波アクティブ新書[13] - 2002年(平成14年)1月創刊、2004年(平成16年)12月終刊。

岩波現代全書 - 2013年(平成25年)創刊。2018年3月に114冊目を刊行し休止した。

社史・年史

『岩波書店五十年』、1964年

『岩波書店七十年』、1987年

『写真でみる 岩波書店80年』、1993年

『岩波書店八十年』、1996年 - 以上は岩波書店編集部編

『物語岩波書店百年史』全3冊、2013年
順に、
紅野謙介佐藤卓己苅部直が担当

『岩波書店百年』2冊組(限定300部) 、2018年

「岩波ブックセンター」閉店と後継店

神保町にある岩波書店所有のビルには、岩波の書籍を主体とする書店「岩波ブックセンター」があったが、運営していた信山社の倒産に伴い2016年に閉店した。その跡地には2018年4月、小田急グループ企業のUDS社が書店と共用オフィス(コワーキングスペース)などを組み合わせた施設「神保町ブックセンター with Iwanami Books」を開設した[14][15][16]
関連人物

岩波茂雄(創業者、初代店主)

岩波雄二郎(二代目店主、初代社長)

吉野源三郎(常務、編集者で「世界」初代編集長)

小林勇(支配人、のち会長、編集者で岩波文庫創刊に関わる)

長田幹雄(元専務、編集者で岩波新書を名づける)

緑川亨(2代社長)

安江良介(3代社長、元「世界」編集長)

大塚信一(4代社長、編集者で哲学・思想書を担当)

山口昭男(5代社長、元「世界」編集長)

岡本厚 (6代社長、取締役編集局担当、元「世界」編集長)

高野悦子(「岩波ホール」総支配人)

小熊英二(元社員、社会学者

西島麦南(校正者、俳人

備考

2017年4月9日、
Story ?長寿企業の知恵?の#008において、7代目である岡本厚が取り上げられた[17]

夏目漱石に宛てて知人・門下生・読者から送られた絵葉書類312通が、岩波書店に保管されていることが判明した。保管に至る詳しい経緯は不明[18]

吉本隆明は、「朝日新聞や岩波書店は、戦時中は戦争肯定の新書などを出していたのに、戦後、いつでも簡単に変われるといわんばかりにいとも簡単に変わったことを目にして、そういう戦後民主主義者や市民主義者とは思想的に一線を画する、こんなのと一緒にされちゃ困るとずっとやってきた」と述べている[19]

黒田勝弘は岩波書店を朝日新聞と自身がかつて所属していた共同通信と共に日本の左派だけでなく、日本国内で「知識人」ならば「韓国開発独裁批判・北朝鮮独裁賛美」するという風潮を導いた、北朝鮮の拉致が提議された際には「拉致疑惑」は差別による嘘だとする意見を出版していた、など日本の世論を誤った方向に向けていたとし、未だに社として謝罪していないとして批判している[20]

平川祐弘は、戦後に岩波書店がイデオロギーの旗振りを行ったのは、「岩波茂雄の創業の精神に悖ると思う」と述べている[21]

脚注[脚注の使い方]
出典^ a b c 株式会社岩波書店 第74期決算公告
^ a b c 『岩波書店七十年』(1987年3月27日、岩波書店発行)3頁。
^岩波書店創業(1913年8月5日)
^〈種まく人〉マークの使用開始(1933年12月10日)
^ a b 『岩波書店七十年』(1987年3月27日、岩波書店発行)267頁。
^ “岩波書店、別館ビルを小学館に売却 「不動産事業における判断」”. 産経新聞. (2018年1月12日). https://www.sankei.com/economy/news/180112/ecn1801120026-n1.html 
^データを読む 岩波書店、テナントビルを小学館へ売却東京商工リサーチ 2018年1月12日
^ a b 『岩波書店七十年』(1987年3月27日、岩波書店発行)685、687頁。
^ a b “鈴木書店破たん “良書”流通曲がり角 高い卸値・薄い利幅、赤字体質に陥る”. 読売新聞東京朝刊: p. 3. (2001年12月8日) (自己破産した鈴木書店に関する報道。同社は人文系書籍を専門とする出版取次会社で、岩波書店の取次も手掛けていた。


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