岩木山
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岩木山から遠い五所川原市市浦地区には、関東で見られる富士講のように、近隣の三角錐型の小さな山である靄山(標高152m)を岩木山に見立てて参詣する習俗があった。市浦地区の靄山には岩木山神社があり、別名「脇本岩木山」と呼ばれている。
お山参詣

岩木山神社で毎年旧暦8月1日に行われる例大祭「お山参詣」(ヤマカゲともいう)は津軽地方最大の農作祈願祭で、国の重要無形民俗文化財に指定されている[6]。多くの人々が五穀豊穣や家内安全を祈願して、深夜に山頂を集団登拝し御来光を拝む[6]。参詣時に唱える言葉は、修験系のものである。お山参詣がいつから始まったかについては、鎌倉時代の初期からという説もあるが、はっきりしない[6]。現在のような形式となったのは江戸時代中期(1719年)のころとされる[6]。当時は、8月1日に山に入れたのは藩主のみであった[6]。現在のように一般の人々による参詣が主となったのは、明治に入ってからであるとされる[6]

お山参詣は向山(むかいやま)、宵山(よいやま)、朔日山(ついたちやま)の全3日の行程で行われる[6]。初日の「向山」では、多くの人々が岩木山神社の参道を上って参詣を行う[6]。2日目の「宵山」では、参拝者たちが白装束に身を包み、登山囃子にあわせて「サイギ、サイギ」と叫びながら、黄金色の御幣や多彩な幟を掲げて岩木山神社を目指す[6]。3日目の「朔日山」は旧暦8月1日にあたり、参拝者たちは未明からいっせいに登り始め、山頂付近で御来光を拝む[6]。岩木山神社に登拝の報告をし、バダラ踊りを踊りながら帰宅する[6]。バダラ踊りは、登拝を終えた喜びと、岩木山の神霊の力により、登拝者たちに神通力が宿ったことを表しているとされる[6]

登山時の唱文

懺悔懺悔(サイギサイギ) - 過去に犯した罪を悔い改める[6]

六根懺悔(ドッコイサイギ) - 目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てる[6]

御山八大(オヤマサハツダイ) - 観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王を指す[6]

金剛道者(コウゴウドウサ) - 金剛石のように堅く不動である信仰を指す[6]

一々礼拝(イーツニナノハイ) - 八大柱の神仏を礼拝する[6]

南無帰命頂礼(ナムキンミョウチョウライ) - 神仏に帰依しその意に従う[6]


下山時の唱文

跋折羅(バダラ、バサラ) - 極端にはしゃぐこと[6]。「いい山かげた朔日山かげた。バダラ、バダラ、バダラヨー」といいながらバダラ踊りを踊る[6]


岩木山百沢寺旧記[15]

岩木山神社は廃仏毀釈運動以前は、百沢寺という寺院であった。百沢寺には『岩木山百沢寺旧記』という書が残されており、岩木山の各所のいわれが記録されている。

左の峰 - 岩鬼山 、 中央の峰 - 岩木山 、 右の峰 - 鳥海山

岩木山は白刃剣に似た峰で、この山の沢に一の滝、二の滝、三の滝がある。

三つの峰の総称は岩城山という。いつも雪が見える。形は富士山に似ているので、俗称は奥小芙蓉という。

昔、この山は外ヶ浜から一夜にして湧出したという。

嶽神園 - 岩鬼山の山頂にある。奇妙な樹木や草、綺麗な岩石がある。めでたい靄が発生し生気に満ちて天女が常に降りてくことを、多くの人が見ている。実に神仙が静養する所で、俗に嶽神園という。

赤倉 - 岩嶽の背に畳の壁のような赤い岩がそびえている。土地の者は古嶽の仙人がいる所としている。その神は喧嘩を忌み嫌うので、参拝者はそこでは黙っている。その昔騒がしくしたものがいて、暴風雨が起き人を害したという。また、ある言い伝えでは昔90歳の老鬼女がここに住もうとした。嶽の神はこれを最初許さなかったが、老女が眷属になってこの山を守るというので、嶽の神はこれを許した、その時の誓文が石の箱に収められ百沢寺にあるという。

鳴沢 - 赤倉山からの沢。流れる水が手を打つような音がすることから、この名がついている。

岩木山の西 - 二神石 2つの奇妙な石が相対するように立っている、胎内潜り 土地の者は、罪がことごとく消滅するので、多くの人がこの穴を潜るという、龍馬場 参詣する者が木の枝に絵をかける所。また龍馬が時に馳せるので名付けられた。

姥石 - 山麓にある。土地の者は大昔、嶽神の花若の慈母が化身したものだという。女子がこの石に祈ると必ず良い事が起きた。そのため、多くの土地の者がこの石に参詣した。

風穴 - 嶽の峰の方にある。(種薪苗代から鳳鳴ヒュッテの間にある)四角く穴の深さは測る事ができない。穴の口からは常に生風ににた風が吹いている。土地の者は若く汗をかいている人が嶽を参詣するので、怒って風を起こしている風の穴だという。諸人がここに至りつつしんだ気持ちになるという。またこの穴は男鹿半島に繋がっているとも言う。

嶽神庫 - 風穴の西にあり、岩が数千尺にわたってそびえている場所。その下は雨露を避け、蔵のようになっている。

鳥海山 - 右峰。古くはこの山頂に湖水があった。湖水の中に大きな鳥の形をした石があった。そのために名付けられた。慶長5年正月。土砂が湧き湖水は枯れた。今ではただ大きな石がある。

種蒔苗代 - 岩嶽の上部にある湖水。土地の者は、昔嶽の神が種を蒔いた所だという。嶽に参詣するものは必ずこの湖で祈念をした。神の助けがあるものは浮き、無いものは沈んだという。霊験ありあがめるべし。

錫杖清水 - 嶽の中央にある。(百沢コース、焼止り避難小屋を過ぎて種薪苗代の間にある)嶽の2仙の満字と錫杖がこの清水の傍らにいるという、そのために名付けられた。または、泉源が御室の下にあり、その形が錫杖に似ているために付けられたとも言う。正しいことを知っているものは誰もいない。参詣する者はここで渇きをいやす最も有益な清水である。

観光

独立峰のため山頂からは360度の展望が得られる。山麓には嶽温泉湯段温泉百沢温泉といった温泉地があり、温泉郷に挟まれて存在する沼や湿地帯は、ミズバショウの大群生地として知られる[8]。岩木山では1985年(昭和60年)からオオヤマザクラの植樹による桜並木づくりが始まり、現在、約6500本が4月下旬から5月上旬にかけて開花し、約20kmに及ぶ並木道を彩っている[8]


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