岡田裕介
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東京都立日比谷高等学校卒業。
1969年
スカウトされ、テレビドラマ『レモンスカッシュ4対4』(NET)でデビュー。
1970年
赤頭巾ちゃん気をつけて』(監督森谷司郎東宝)で、「日比谷高生の庄司薫クン」役を演じるが、岡田も上記の様に同高校を卒業しており、役は一つ下の学年に当たる[11]。以後も、エリート高級官僚の息子役を演じた『初めての旅』(東京映画)まで、森谷司郎監督作品に主に出演。
1973年
慶應義塾大学商学部卒業。前年から同年にかけて岡本喜八監督の二部作『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』『にっぽん三銃士 博多帯しめ一本どっこの巻』で主演トリオの一人を務める。
1974年
岡本喜八の自主製作作品『吶喊』で、演出に専心したい岡本から指名を受けて主演兼任でプロデューサーを任される。喜八プロとATGの超低予算による戦争時代劇という困難な仕事をやりおおせた。この作品を機に徐々に俳優の仕事を減らし、以降は、主にプロデューサー業に転じた。
1988年11月
東映に入社。
1990年
東京撮影所長(のちに取締役、常務取締役)。
2001年
シネコンを運営するティ・ジョイ社長に就任。
2002年6月
東映社長に就任。
2007年
内閣官房「美しい国づくり」企画会議委員を務めた[12](同年9月21日解散)。

他に、テレビ朝日ホールディングス[3]北海道テレビ放送東映アニメーション東映ラボ・テックなどの取締役、シーズ・シネマズの代表取締役会長を務める。また、秋田経済法科大学(現ノースアジア大学)総合研究センター客員教授、政府の海外交流審議会委員等も務めている。
2014年4月
東映グループ会長に就任。
2020年11月18日
22時58分、急性大動脈解離の為東京都内の病院で死去。71歳没。死去は東映が11月20日に公表した[1][2]。死去当日も通常通り午前中は出社。午後に自宅にて自ら発案し、2021年5月21日に公開で吉永小百合が主演を務める[13]映画『いのちの停車場』の打合せ中に急に倒れ、病院に運ばれたがそのまま帰らぬ人となった[3][14]。生涯独身であった[15]
俳優として
1970年
江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』(東京12チャンネル) - 小林芳雄
1972年
『白鳥の歌なんか聞えない』(東宝) - 庄司薫赤ひげ』第5話「三度目の正直」(NHK
1973年
しなの川』(松竹) - 沖島雄介『戦争を知らない子供たち』(東宝)-ノンクレジット
1974年~1975年
鳩子の海』(NHK) - 榊原清久
1974年
しあわせ』(東宝) - 南信隆『女・その愛のシリーズ』「」(NET
1975年
実録三億円事件 時効成立』(東映)『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』 第20話「義兄妹」(ABC / 大映テレビ) - 古賀剛『影同心』 第28話「わたしが愛した殺し節」(MBS / 東映) - 儀平
1976年
グッドバイ・ママ』(TBS) - 敬太『夜明けの旗 松本治一郎伝』(東映)
1976年~1977年
玉ねぎ横丁の花嫁さん』(NET) - 花丸五郎
1977年
『ビューティ・ペア 真赤な青春』(東映)『Gメン'75』第130話「一卵性双生児殺人事件」(TBS)『森村誠一シリーズ・腐蝕の構造』(MBS、東映) - 土器屋貞彦(プロデューサー兼任。)『鳴門秘帖』(NHK) - 竹屋三位卿
1978年
ブルークリスマス』(東宝)『森村誠一シリーズ・人間の証明』(MBS、東映) - プロデューサー兼任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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