岡田克也
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2012年(平成24年)1月13日に、野田政権内閣改造野田改造内閣)により入閣し、内閣府特命担当大臣行政刷新少子化対策「新しい公共」男女共同参画)の4ポストを兼任することとなった[35]。また、国務大臣としての所管事項として「行財政の抜本的見直しを推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(行政改革担当大臣)」[35] や「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(社会保障・税一体改革担当大臣)」[35] と「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(公務員制度改革担当大臣)」[35] をそれぞれ担当することになった。また、内閣総理大臣臨時代理への就任順位は、内閣官房長官藤村修を抑えて筆頭となったため[35]、いわゆる副総理となる。

2012年(平成24年)2月10日に、復興庁が発足した事に伴い、復興大臣等の人事が行われ、内閣府特命担当大臣(少子化対策、「新しい公共」、男女共同参画)の3ポストを退任する(後任は、中川正春前文部科学大臣)。

2012年(平成24年)4月16日、「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整(公務員制度改革担当大臣)」及び「独立行政法人制度の抜本改革関連法案」の担当も中川正春に引き継いだが[36]、同年10月1日に発足した野田第3次改造内閣で再び担当となった。

2012年(平成24年)12月26日に、副総理を退任する。

2013年(平成25年)2月6日朝日新聞が夕刊1面で同年1月30日中国海軍レーダー照射事件と同様のレーダー照射が、2012年(平成24年)9月に野田政権尖閣諸島国有化する前にも複数回あったことを政府関係者の話として報道[37] し、日本経済新聞は翌7日付朝刊で『当時の野田佳彦首相や岡田克也副総理らは「日中関係を悪化させたくないとの判断で公表を避けた」と関係者は語る』と報道した[38]。これについて岡田は日本経済新聞に謝罪・訂正文の掲載を求める抗議文を公表し[39]、「事実に反する記事を本人への確認もなく書いたということは、許されないことだと思います」「この時期にこういう「リーク」が出てくるというのは、特定の意図を持って流された可能性が非常に高い」と主張[40]。また小野寺五典防衛大臣が「総理に報告するような事案については、今回のこと(1月19日と30日のレーダー照射)以外には発生していないということであります」と明確に答弁したことを挙げて、「当時の総理や副総理、あるいは、政権が代わったあとの防衛大臣が明確に否定していることについて、たとえ伝聞であったとしても、いかなる根拠を持って、中国を刺激するから公表をしないようにと我々が述べたということを、見出しでも書いたのか。そのメディア(日経新聞)に対して、きちんと説明してもらいたい」[41] と述べている。また、野田前首相も「当時そのような報告を受けた事実はなく、防衛省も事実はなかったことを認めている」との談話を発表し[42]、全面的に否定した。野田、岡田の反論や小野寺の国会答弁を受けて、日本経済新聞は2013年3月8日付朝刊で、「関係者の話を総合すると当時、中国からのレーダー照射とみられる情報は政権内で広く共有されず、野田、岡田両氏は状況を把握していなかったことになる」と報じ、2013年2月7日付朝刊記事を事実上訂正した。
野党移行後2016年1月26日、衆議院本会議での代表質問にて(手前)2016年6月3日、岡崎市イオンモール岡崎での街頭演説にて

2012年12月14日に行われた第46回衆議院議員総選挙で自民党新人の桜井宏を破り再選(桜井は比例復活)。

2013年(平成25年)7月21日に行われた第23回参議院議員通常選挙において三重県選挙区選出の現職高橋千秋の選対本部長を務めるが落選[43]、地元三重県において自身の影響力の退潮を暗示する結果となった[44]

しかし、2014年(平成26年)の党役員人事の刷新により、代表代行国政選挙担当)に就任。その後の第47回衆議院議員総選挙で自民党新人候補を比例復活を許さないほどの得票を得て再選を果たした(前回出馬した桜井は比例単独候補となるが落選)。しかし岡田を代表代行に任命した代表海江田万里が、小選挙区で敗れ比例復活もならず落選し辞意を表明したため、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}新しい代表が決まるまでは党暫定代表に就任する[要出典]。内閣総理大臣指名選挙では枝野幸男幹事長郡司彰参議院議員会長が党代表代行である岡田を首班候補とし[45]、特別国会において投票された。

その後2015年1月民主党代表選挙に出馬。保守系・野党再編派の細野豪志リベラル系の長妻昭との3つ巴となる。1回目の投票では1位の細野と僅差だったが、決選投票では長妻陣営のうち赤松広隆らのグループを中心に取り込みを図り、1位の細野を逆転したことで、9年ぶりに代表に返り咲くこととなった。第18回統一地方選挙三重県議会選挙では民主系会派の新政三重が第1党を維持し(逆に自民党は2議席減らす)、民主党王国の威厳を見せた。一方、知事選では対立候補を擁立できず自民党の現職に不戦敗を喫している[44]
民進党

2016年(平成28年)3月27日、民主党と維新の党の合同[注 3]によって民進党が結成、初代の党代表に就任した。

7月11日、党結成後に初めて行われた国政選挙である第24回参議院議員通常選挙後の7月30日に「新しい人に担ってもらうことが、政権交代可能な政治のために良い」として9月末の任期満了に伴う党代表選挙への不出馬を表明[46]。退任を表明したのが2016年東京都知事選挙の投開票日前日であったことから、松原仁東京都連会長が「極めて理解に苦しむ」と述べるなど、党内外で批判や疑問の声があがった[47]9月15日代表選での蓮舫の2代目代表就任をもって退任。


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