岡田克也
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7月27日、蓮舫が代表辞任を表明[53]。蓮舫の辞任に伴う代表選挙(9月1日実施)では枝野幸男の推薦人に名を連ねた[54][55]

同年9月28日、衆議院解散。同日、民進党は希望の党への合流を決定[56]。9月29日、希望の党代表の小池百合子は「リベラル派排除」を宣言。記者団に「全員を受け入れるということはさらさらありません」と語る姿、記者会見でにこやかに「排除されない、ということはございませんで、排除いたします」と答える姿が何度もテレビに流れた[57][58]。9月30日、民進党の前職、元職計15人の「排除リスト」が出回る。岡田の名もその中に挙がった[注 4]。10月2日、岡田は「小池代表の希望の党とは基本的に考え方が違う」として、無所属で立候補する意向を表明した[61]

同年10月22日に実施された第48回衆議院議員総選挙無所属で立候補。応援演説のため選挙区を離れることが多かったが、自民党の島田佳和を大差で引き離し、10選を果たした。島田は比例復活もかなわなかった[62]
民進党分裂後

2017年10月26日、民進党系無所属議員12人と共に無所属の会の結成を衆院事務局に届け出た[63]。岡田は会派の代表を務める。10月30日に開催された民進党全国幹事会では「民進党がしっかりと真ん中に立って、立憲民主党希望の党と連携を深めていくことが重要だ」と述べた[64]

11月8日、無所属の会代表のまま、新たに民進党代表に就任した大塚耕平の元で、前原体制に引き続き常任顧問に就任した[65]

2018年4月26日に希望の党と民進党の両党は新党「国民民主党」を5月7日に結成する事で合意[66] したが、岡田は翌27日に新党には加わらず、民進党を離党して無所属で活動する方針を明らかにした[67]。また中川正春ら他の三重選出の民進系議員と共に地域政党「三重新政の会」を結成する事も明らかにしている[68]。5月1日には「三重新政の会」の結成が正式表明された(届出は4月20日)[69]。同会は民進党三重県連を母体に設立され、翌年の参院選には同会を核に連合三重や新政みえ(民進党系の県議会会派)と合同で選対本部を組織し、野党統一候補の擁立を目指すとしている[70]。7月28日には新政の会は三重民主連合に改称し、岡田は顧問に就いた[71]

2019年1月7日には無所属の会から立憲民主党会派に移籍する意向を明らかにし、2019年1月15日には、立憲民主党会派入りが承認された[72]

同年の第25回参議院議員通常選挙では、イオングループ出身の田村麻美国民民主党)へのイオン票の取り纏めに尽力した[73]。一方で自身の地盤である三重県選挙区では擁立した候補者が与党候補に競り負けた。11月24日には中川正春が三重民主連合の会長を辞任し、岡田が会長に就任した[74]
立憲民主党2023年4月22日、大分市での街頭演説にて吉田忠智(左)と

2020年(令和2年)9月4日、立憲・国民両党が合流してできる新党(新・立憲民主党)に参加する意向を表明[75]。9月19日には三重民主連合の常任幹事会を開き、同連合は旧民進系勢力をつなぐネットワーク組織に刷新する方針を決めた[76]

2021年(令和3年)10月31日の第49回衆議院議員総選挙で11選。

2022年8月26日、立憲民主党は両院議員総会を開き、立憲民主党の新執行部が発足し、西村ちなみに代わり幹事長へ就任[77]。また、同日に開かれた記者会見において、自身が過去に世界日報から取材を受けていた問題について「極めて申し訳なく、残念なことだった」と陳謝した上で、「当時、世界日報と旧統一教会の関係は承知していなかった」などと説明した[78]
略歴

1976年

3月 - 東京大学法学部政治学科卒業[1]

4月 - 通商産業省入省。


1990年

2月 - 第39回衆議院議員総選挙で初当選。


1993年

6月 - 自由民主党を離党。

7月 - 第40回衆議院議員総選挙で2選。


1996年

10月 - 第41回衆議院議員総選挙で3選。

11月 - 「明日の内閣」の総務政務次官行政改革政務次官に就任。


1998年

1月 - 国民の声政務調査会長に就任。

1月 - 民政党政策調査会長に就任。


1999年

10月 - 「次の内閣」の財政・金融ネクスト大臣に就任。


2000年

6月 - 第42回衆議院議員総選挙で4選。

7月 - 衆議院安全保障委員長に就任。

9月 - 民主党政策調査会長に就任。

9月 - 「次の内閣」の官房長官、経済財政担当大臣に就任。


2002年

12月 - 民主党幹事長に就任。


2003年

11月 - 第43回衆議院議員総選挙で5選。


2004年

5月 - 民主党代表に就任。


2005年

9月 - 第44回衆議院議員総選挙で6選。


2007年

2月 - 民主党政治改革推進本部長に就任。

9月 - 衆議院予算委員会理事に就任。


2009年

5月 - 民主党幹事長に就任。

8月 - 第45回衆議院議員総選挙で7選。

9月 - 鳩山内閣にて外務大臣に就任。

2009年9月17日、外務省での外務大臣就任会見にて

2010年

6月 - 菅直人内閣外務大臣に再任。

9月 - 民主党幹事長に就任。


2011年

9月 - 衆議院予算委員会理事に就任。


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