岡田 克也(おかだ かつや、1953年〈昭和28年〉7月14日 - )は、日本の政治家、通産官僚。立憲民主党所属の衆議院議員(11期)、立憲民主党幹事長(第3代)[9]、立憲民主党三重県連顧問[10]。
外務大臣(第137代・第138代)、副総理・内閣府特命担当大臣(行政刷新)(野田改造内閣)、民主党代表(第4代・第11代)、同幹事長(第4代・第8代・第11代)、同代表代行、同政策調査会長(第4代)、民進党代表(初代)、同常任顧問、立憲民主党常任顧問を歴任した。
ジャスコ創業者の岡田卓也は父。イオン取締役兼代表執行役会長の岡田元也は実兄[11][12][13]。2010年より東京新聞政治部部長を務め、現在は編集局次長を務めている高田昌也は実弟。 三重県四日市市の岡田屋呉服店を前身とする四日市岡田家(本籍地は四日市市中部地区の諏訪栄町商店街で結婚後は近鉄名古屋線の西側の四日市市堀木に自宅を購入した)の7代目当主でスーパー「岡田屋(後のイオン)」を経営していた岡田卓也の次男(2歳上の兄と4歳下の弟がいる)として生まれる。男3人兄弟であった。4歳年下の弟(中日新聞政治部長の高田昌也)は母方である高田家の養子となった。小さい頃はおばあちゃん子であったと自身のブログで述べている。おばあちゃんとは母方(高田家)の祖母のことであり、麻雀が好きだったという(ブログによると2009年(平成21年)1月31日に100歳という長寿で老衰により死去したとのこと)。 公立小学校と公立中学校に通い[14]、四日市市立中部西小学校と四日市市立中部中学校を卒業した[15]。小学校時代は児童会会長を務めて[16]、中学校ではテニス部に所属していた[17][18]。平成13年(2001年)8月1日に朝日新聞社の取材を受けて、「育った町の四日市市についてどう思うか」との質問に「公害の町」であると回答した。
来歴
生い立ち、官僚時代