1989年、オートバイ全日本選手権に青木宣篤を擁して参戦する『日清カップヌードル・ホンダレーシングチーム』のレースクイーンとなり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』への出演を機に本格的にタレント活動を始め[5]、「ハイレグ女王」として広く知られるようになった[6][7]。
1990年代になると、飯島愛や杉本彩と並ぶセクシー系のバラエティタレントとして広く活動するようになり、女優としてのドラマ出演なども行った。
1991年に女囚さそりシリーズの東映Vシネマ作品『女囚さそり 殺人予告』に主演して好評を博し、続いて自身の映画初主演となる同作の劇場版の製作も予定されていたが本人の途中降板により製作中止となる[7]。降板の原因は体調不良による休養とも[8]、ヌードになるならないで揉めたとも伝えられた[6]。これを機に芸能活動を一時休止することになり、その間、ノイローゼ説や体重激減が報じられ、所属事務所を移籍[9][10][11]。
その後、テレビのバラエティー番組、『たけし・逸見の平成教育委員会』のレギュラーとなり、天然ボケを交えた珍回答をしばしば披露。色気を売り物とするセクシータレントから、なんでもありのくだけたキャラクターのバラエティータレントに転身した[12]。
1995年6月には、ホテルで警官が出動する騒ぎを起こして話題となる[13][14][15]。その後、立て続けに返品[16]や化粧品店でのトラブルが報じられ[17][18]、岡本夏生芸能界抹殺計画なるものがあると記事にもなった[18][19]。同年にはスタッフの離反も報じられる[20]。
1996年に舞台出演を優先したことから1992年より出演していた『新婚さんいらっしゃい!』を3月末で降ろされ、同時にフジテレビで放送の『たけし・逸見の平成教育委員会』『志村けんのだいじょうぶだぁ』のレギュラーも失い、1996年4月にはレギュラー番組が全てなくなった[5]。仕事のオファーが減少し、当時のことを後に「慢心しちゃったのね」と振り返っている[21]。
2000年代にはテレビ出演は稀となるが、ゴルフのプロアマ大会には頻繁に登場していた。2005年4月には深夜テレビ番組『夜美女』にレギュラー出演。それに先立つ同年2月には、『くりぃむナントカ』で、スケートリンク内にいるお母さん役で出演していた[22]。その後は下記の2010年まで仕事がほとんどなくなっていた。その間は地元の静岡朝日テレビで『とびっきり!しずおか』にレギュラー出演するなどしていた。
2009年9月、テレビ番組での『あの人は今!?』をモチーフにした企画にゲスト出演、レースクイーン時代に着用していた『日清カップヌードル レーシングチーム』の衣装であったハイレグ水着姿での登場を試みたが、ほかの出演者たちによってマントで体を隠された[23]。
ぞろ目時刻である2010年2月2日午前2時22分22秒、初めてとなるブログを開設。40歳代でありながらアメーバブログのグラビアアイドル部門でアクセス数が1位となったことがきっかけとなり再ブレイクし[21]、同年より芸能活動を本格再開した[24]。同時にグラビアアイドルとしての活動も再開したことから、「日本最高齢・40代のグラビアアイドル」と称するようになった[25]。トークショーなどのオファーも多い。挨拶はたいがい「こにゃにゃちわ?お久しブリーフ、岡本夏生です」である[26]。「びっくりマンボーよ」など、語尾に「マンボー」をつけて話すことも多い。「失礼ぶっこきマンボ」は潜伏期間中に考えたフレーズであると述べている。
2011年の東日本大震災発生後、自分にできる事は無いかと考え被災地でのボランティア活動を行うことが多くなり、6月7日付けのブログでは芸能活動休止とも解釈できるような書き込みをする[27]。しかし6月12日の書き込みではそれを否定している[28]。
2013年8月1日には自身が魅力にとりつかれていた富士山への登頂に成功。この模様は、同年8月20日・27日放送分の『5時に夢中!』にて放送された。
2016年3月、2011年10月から出演していた東京のローカルテレビ局・TOKYO MXの生番組『5時に夢中!』の火曜レギュラーを降板[29]。
2017年5月、AbemaTVで放送された『くりぃむナントカ』の特番で約1年ぶりにテレビに復帰。 岡本に関して発表されているプロフィールの内容には、これまでしばしば疑義が呈されており、その内容には「自称」と付記されることも多い。 当初は1967年生まれと実年齢より若くサバ読みしており、1991年2月に実は23歳ではなく25歳ではないかと報じられ[30]、後に1965年生まれとプロフィールが改められた。 1995年には『週刊女性』で35歳という噂があると報じられた[31]。その2年後の1997年の節分2月3日に放送されたテレビのトーク番組『ライオンのごきげんよう』で、年齢と同じ数を食べるとされる節分の豆を37個も食べ、実は37歳だったと明かした[32]。これについては本人が2010年になって、「笑いを取るために、とっさに豆を沢山食べて驚かせようと思った」としている[33]。 年齢詐称疑惑は2000年頃にも再燃したが、岡本本人は疑惑の真相について半ば肯定ともとれるスタンスを取り続け、暗黙の了解として程なく沈静化した。 2010年代には生年月日を証明するため身分証明書を公開しており、『情報ライブ ミヤネ屋』2010年12月17日放送内で「昭和40年9月12日」と記載された運転免許証を実際に公開した。岡本は「なんなら戸籍謄本取りに行ってください」とまで言っており、「保険証を見せても実際の年齢を信じてもらえない」などと、自身でも年齢詐称疑惑をネタにしている。 2010年9月、下着メーカーのキャンペーンイベント出演に際して岡本のスリーサイズを計測したところ、B82、W68、H84であり、それまでの公称「B87/W59/H87」との違いが明らかとなった[1]。また、自身がCカップで70だと思っていたバストサイズは、Eカップ65であった[2]。 これまで公表されているプロフィールのデータは所属事務所がいつの間にか書き換えたもので、それを知った時には自分が一番驚いたという[34]。特にスリーサイズについては岡本自身が、苦笑しながら「私、あんなにスタイル良くありませんよ」と言った程である。
人物
公称プロフィール問題
年齢詐称
スリーサイズ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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