岡本健一
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ピカソとアインシュタイン?星降る夜の奇跡?(2019年4月25日 - 5月9日、よみうり大手町ホール / 5月12日、森ノ宮ピロティホール) - ROSE公演 主演・ピカソ 役 / BLUE公演 訪問者 役 (三浦翔平とのWキャスト)[14]

風姿花伝プロデュースvol.6「終夜」(2019年9月29日 - 10月27日、シアター風姿花伝

正しいオトナたち(2019年11月28日・29日、IMAホール

リチャード二世(2020年10月2日 - 10月25日、新国立劇場 中劇場) - 主演・リチャード二世 役[15]

カメレオンズ・リップ(2021年4月2日 - 4日、東京:シアター1010 / 4月11日、福島:南相馬市民文化会館 ゆめはっと / 4月14日 - 26日、東京:シアタークリエ / 5月6日、愛知:日本特殊陶業市民会館 ビレッジホール

森 フォレ(2021年7月6日 - 24日、世田谷パブリックシアター)

Le Fils 息子(2021年8月30日 - 10月17日、東京・福岡・高知・石川・新潟・宮崎・長野・兵庫)

建築家とアッシリア皇帝(2022年11・12月、シアタートラム)

「尺には尺を」「終わりよければすべてよし」交互上演(2023年10月18日 - 11月19日、新国立劇場 中劇場)[16]

夜は昼の母(2024年2月2日 - 29日、シアター風姿花伝) - 主演[17]

など
ラジオ

いくぞ!男闘呼組(
文化放送

ニッキと健一のリズム・オブ・ザ・ナイト(文化放送、『ラジオDE ME HER』水曜) - 錦織一清との共演

ニッキと岡本のパニックラジオ(文化放送、『ラジオDE ME HER』水曜) - 錦織一清との共演

Teen'sギャング男闘呼組(文化放送、1987年4月 - 9月)[注 4]

ワイルドKNIGHTS男闘呼組(文化放送、1987年10月 - 1988年3月までは『15はドキドキ ピンクコング』枠内コーナーとして、1988年4月からは再び『お遊びジョーズ』枠内のコーナーとして放送。)

男 DE NIGHT!(ニッポン放送

男 DE NIGHT!ぶっちぎり爆走LIVE(ニッポン放送1990年3月21日放送) - XTOSHITAIJIがLIVEにゲスト参加

ミッドナイト・スペシャル Part1(ABCラジオ[注 5]

終夜(TOKYO FM、2019年10月13日26:00)

眠りにつく前に(TOKYO FM、2019年12月1日・2022年9月18日・2023年5月7日 26:00)

CM

明治製菓 「アーモンドゴールド」(1985年)

明治製菓 チョコスナック「おばけランド」(1985年)

日清シスコ 「シスコーン・Cupフレーク」(1988年)

セイコー 腕時計「AVENUE」(1989年)- 男闘呼組のメンバーとして出演。

江崎グリコ 「アーモンドチョコレート」(1989年)- 同上

キリンビバレッジ 「午後の紅茶」(1992年)

吹き替え

アウトサイダー(ポニーボーイ・カーティス〈C・トーマス・ハウエル〉)※フジテレビ版(ゴールデン洋画劇場

連載

MISS 「岡本健一&未希のフォトエッセイ」(世界文化社)2006年からスタートし、2007年12月号で最終回。

BEST STAGE 「EYES」(音楽と人)Photo連載という形式(1枚の大きな写真と少しのコメント)。2012年10月27日発売の12月号からスタート。

ディスコグラフィ
アルバム

ADDICT OF THE TRIP MINDS(「ADDICT OF THE TRIP MINDS」名義作品、1994年8月25日ポリスター

ゲスト参加

元「
Gastunk」のTatsuのアルバム『ROCK LOVE』 (1992年)このアルバムの中の『NOBODY KNOWS』という曲で、岡本は作詞とボーカルを担当している。

バンド活動
ADDICT OF THE TRIP MINDS

アディクト・オブ・ザ・トリップ・マインズ
概要

1991年4月から岡本の主催&DJにより、“日本で唯一のワンナイト・ロッククラブ「Club・Addict」”と銘打たれたクラブイベントが、東品川・天王洲アイルにある「寺田倉庫」のNo.Fを使い、月1回のペースで行われていた。その後、1992年2月からは場所を西麻布のクラブ「イエロー」へと移行した。1993年10月、この「Club・Addict」の常連メンバーたちが集い、バンド「ADDICT OF THE TRIP MINDS」を結成。バンド名の訳は“精神の中毒者”で、“音楽をプレイしたり聴いたりする瞬間の快楽にハマった人”という意味で付けられた。翌1994年8月25日、寺田倉庫で録音されたアルバムを発表した。その後、「CLUB CITTA'川崎」でD.T.Rとのセッションなども行ったが、メンバー間に方向性の違いが生じ、2ndアルバム完成直後に岡本と福場が脱退。2ndアルバムを発売する事無く活動休止となってしまった。岡本と福場は新バンド「Floor」を結成。残った側はメンバー変成を繰り返し、1996年8月からバンド名が「OBLIVION DUST」へと変わった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef