畜産においては中国山地沿いを中心に行われ、特に新見市千屋地区で肉牛の「千屋牛」などの和牛が飼育されている。酪農においては蒜山高原(真庭市)ではジャージー牛の放牧が行われ、脂肪分を多く含んだ濃厚な乳を用いた牛乳などを出荷しており、吉備中央町では気候に合わせたブラウンスイス品種の乳を用いて吉田牧場が高品質のチーズを生産している。その他、山田養蜂場を中心として養蜂も行われている。
かつてはイグサやコンニャク、タバコの生産も盛んであったが、戦後の産業構造の転換により次第に生産量を減らしている。北部を中心とする中山間地域では若者の都市部への流出や高齢化による過疎化が進行しており、農業の担い手不足が課題となっている。
おもな品種
ブドウ
マスカット・オブ・アレキサンドリア
シャインマスカット
ニューピオーネ
瀬戸ジャイアンツ(桃太郎ぶどう)
オーロラブラック
紫苑
モモ
清水白桃
川中島白桃
白鳳
梨
愛宕梨(あたご梨)
鴨梨(ヤーリー)
黒大豆
作州黒
林業
国有林は少なく民有林が9割を占める。温暖で乾燥した気候を好む高級木材のヒノキが多いが、湿潤気候を好むスギは少ない。民有林面積の7割弱がヒノキ林とされている[32]。ヒノキ丸太の生産量は高知県、愛媛県、熊本県などと並んで上位の常連で1位の年度も多い。
かつては同じような気候を好むアカマツが多く、現在も県の木にも指定されている。これは調理、製塩、たたら製鉄などでの薪の過剰利用により植生遷移が退行しマツ類が優勢になった結果であり、岡山に限らず古くから人が住んでいた西日本ではしばしば見られた光景と考えられている。このような環境は高温で燃えるアカマツ材で焼き上げる備前焼などの陶磁器文化にも影響した。致死的な伝染病であるマツ材線虫病(松くい虫)の蔓延に伴い、1970年代以降アカマツ林は減少し一部はヒノキ林へと転換された。
かつてはアカマツと共生するマツタケの大産地でもあり年間500t以上を生産していたが、1960年以降生産量が激減した[33]。2010年代以降は2大産地である長野県と岩手県には大きく差を付けられているが、全国生産量は3位に入る年が多い。
水産業
瀬戸内海に面する岡山県では児島湾などで、浅瀬を利用した沿岸漁業が行われており、かつてはサワラやタイの中型魚がおもに獲れていたが、明治から昭和にかけての干拓事業による漁場の縮小と都市化の影響による瀬戸内海の水質汚濁が発生し、以前ほどの豊かな漁場は失われてしまった。
しかしながら、現在でも倉敷市下津井港をはじめとしてメバルやイイダコ、カレイなどの好漁場となっており、瀬戸内市邑久町・牛窓町などでは複雑に入り組んだ海岸を利用した海苔やカキの養殖が盛んに行われている。カキの生産量は全国第2位である。瀬戸内海で獲れる海の幸を用いた郷土料理として、ばら寿司(まつり寿司として駅弁販売)や、たこめし、ままかり(サッパの酢漬け)などがある。
また、備前市日生町などでは蛎をお好み焼きに入れた「カキオコ」を新たな名物として岡山県内や他県にPRしており、水産資源を町おこしの契機につなげる新しい取り組みも見られる。
近年の新たな取り組みとして、岡山理科大学の研究で陸上でのハタなどの海水魚の養殖も行われている[34]。
第二次産業水島コンビナート
第二次大戦以前は農業県であった。大規模な港湾がなかった岡山県の第二次産業は倉敷紡績などの製糸・紡績業などの軽工業がその中心であったが、戦後は県によって、それまで中国・四国地方の他県に後れを取っていた工業化に重点を置いた政策がとられ、水島コンビナート(倉敷市)の埋め立て造成と石油精製所・大手製鉄所・自動車工場などの誘致が行われ、工業的に急速な発展を遂げた。県内にはJFEスチールの倉敷地区、福山地区(笠岡市域を含むため)二つの銑鋼一貫製鉄所が立地する。
総社市などの内陸部にも工業団地が次々と立地し、自動車の関連部品の製造や電子機器の工場が誕生した。そのほか、岡山市では食品や印刷など市場指向型、軽工業系の工場が岡南地区や西大寺地区などに所在し、倉敷市では児島地区にジーンズや学生服など縫製業が立地している。学生服の出荷額は岡山県が全国第1位となっている。
県西部の笠岡市へは広島県のJFEスチール西日本製鉄所福山製鉄所の関連企業など広島県からの企業の進出が多く見られる。JFEスチール福山製鉄所の敷地自体も笠岡市域にまたがっている。
1980年代以降は吉備高原などの内陸地域を新たな産業ゾーンとするために高速道路の整備や岡山空港の郊外移転などの開発が行われ、IT関連企業やICなどの電子デバイス工場の誘致が県によって進められた。しかし、開発から数十年が経過した現在でも立地した工場は多くなく、当初の見込み通りには事業が進んでいない。
こうした県主導の工業化のためのハード面での積極的な整備によって工業県への変貌に成功したものの、反面、これらの事業によって増大した借金が昨今、県の財政を圧迫している。 近年の岡山県の第三次産業は、バイオテクノロジーを活用した医薬品や、IT情報通信などの産業などの特色を持つ。独自の精密加工生産を支える技術企業や、食品・健康・医療・環境・福祉やバイオ関連の企業・研究機関などが産学官連携で新たな雇用産業づくりに取り組み続けている。平成15年度には全国に先駆け、高速大容量の基幹光ファィバ網を県内全域を8の字型に結び、全国ギガビットネットワークとも接続された岡山情報ハイウェイが整備された。サービス業や小売業、金融業などは本社や事業所をおもに岡山市を中心とした県南部に構えている。 1960年代までは伝統的な個人経営の小売店舗が多数を占めていた。1970年代以降、都市化やモータリゼーションの進行、大量消費社会の浸透により、全国や中国・四国地方規模で展開するスーパーマーケットやコンビニ、電器店などのチェーン店舗が郊外の幹線道路沿いに多数開店した。生活するうえでの利便性が増した一方で、中心市街地の空洞化を招いた。バブル経済の崩壊後以降は、都市部の地価の下落が進行。近年は中心市街地への高層マンションの建設が相次いでいる。また、小売店舗の中心市街地への新規出店や再開発事業が活発に展開されている。人口の増加[25][26]も見られており、現在では再び地価が上昇している[35]。 岡山市では、江戸時代の城下町に由来する表町地区と、1972年(昭和47年)の山陽新幹線開業後に発展したJR岡山駅周辺地区が2大商業地区となっている。
第三次産業