岡山放送
英名Okayama Broadcasting Co., Ltd.
放送対象地域岡山県・香川県
ニュース系列FNN
番組供給系列FNS
略称OHK
愛称OHK
岡山放送
OHKテレビ
OHK岡山放送
呼出符号JOOH-DTV
呼出名称OHKおかやま
デジタルテレビジョン
開局日1969年4月1日
本社〒700-8635
岡山県岡山市北区下石井2丁目10-107
演奏所本社と同じ
リモコンキーID8
デジタル親局岡山 27ch
アナログ親局岡山 35ch
ガイドチャンネル35ch
主なデジタル中継局津山・新見・高梁 16ch
高松・笠岡・小豆島など 27ch
西讃岐 28ch
ほか
主なアナログ中継局高松 31ch・津山 60ch
西讃岐 52ch・小豆島 59ch
ほか
公式サイトhttps://www.ohk.co.jp/
特記事項:
開局当初は、FNNとANNのクロスネットだった。
1979年(昭和54年)に岡山県・香川県のテレビジョン放送の相互乗入れでFNNに一本化。
報道・制作オフィス及びテレビスタジオは岡山市北区下石井1丁目2-1 イオンモール岡山5階・6階。
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岡山放送株式会社(おかやまほうそう、Okayama Broadcasting Co., Ltd.)は、岡山県と香川県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行う特定地上基幹放送事業者である。
略称はOHKで、これはコールサイン「JOOH-DTV」(岡山 27ch)の一部「OH」と、かつての英称であった“Okayama Hoso K.K”の頭文字が由来とされる。1984年(昭和59年)3月までの愛称は「テレビ岡山」であった。ホームページ等では、OHK岡山放送と記載されている。
フジテレビ系列(FNN・FNS)に属している。リモコンキーIDはキー局のフジテレビ・準キー局の関西テレビ(カンテレ)等と同じ「8」。
ステーションキャッチコピーは「OH!ing」(オーイング)(2017年(平成29年)3月から使用)。
会社概要
本社・支社所在地
本社(演奏所)岡山市北区下石井2丁目10-107 杜の街グレース オフィス スクエア8階 - 10階
ミルン(報道・制作オフィス)岡山市北区下石井1丁目2-1 イオンモール岡山6階
OHKまちなかスタジオ ミルン
岡山市北区下石井1丁目2-1 イオンモール岡山5階
四国支社高松市古新町8-1 高松スクエアビル2階
倉敷支社倉敷市笹沖1265 敷島ビル5階
東京支社東京都千代田区有楽町1丁目9-1 日比谷サンケイビル9階
大阪支社大阪市北区梅田2丁目4-9 ブリーゼタワー10階
広島支社広島市中区八丁堀15-6 広島ちゅうぎんビル6階
四国支社
歴史
1967年(昭和42年)11月1日 - アナログテレビ放送の予備免許取得。[注釈 1][3][4]
1968年(昭和43年)
3月26日 - 岡山日日新聞・産経新聞社・関西テレビ放送・毎日新聞社・毎日放送・朝日新聞社の出資で、「岡山放送株式会社」を設立。
12月23日 - アナログテレビ放送の本免許取得。
12月24日 - アナログテレビ放送のサービス放送開始(カラー放送も同時開始)[注釈 2]。本社・演奏所はは岡山市学南町三丁目2番1号に置かれた。
1969年(昭和44年)
4月1日 - 開局(コールサイン:JOOH-TV、35ch、出力 映像:10 kW、音声:2.5 kW、愛称:テレビ岡山、略称:OHK、開局は瀬戸内海放送[注釈 3] と同日)[注釈 4]。当時は金甲山送信所に岡山県内向けの指向性が設定されていた[注釈 3]。
10月1日 - この日発足のFNSに加盟。
1970年(昭和45年)1月1日 - ANN発足と同時に加盟。
1979年(昭和54年)
2月17日 - 1978年(昭和53年)10月の郵政省の岡山・香川地区の民放テレビ4局の放送対象エリア是正(第一次相互乗り入れ)決定を受け、金甲山送信所での香川県内向けのスピルオーバーを抑制する指向性設定を解除し、香川県内向けに送信を開始。
4月1日 - 香川県が放送エリアに加わる(第一次相互乗り入れ)。これに伴い、テレビ朝日系とのクロスネット解消・ANNを脱退し、フジテレビ系のフルネット局になる。
11月30日 - 金甲山送信所の出力を2倍(映像:20 kW、音声:5 kW)に増力。
1980年(昭和55年)12月27日 - アナログ・テレビ放送の音声多重放送を開始。
1982年(昭和57年)10月1日 - CIを導入。それによりロゴマークを先代(2代目)のものに変更。
1984年(昭和59年)
4月1日 - 愛称を社名と同じ岡山放送に統一。ただし香川県もエリアにしている都合上、「OHK」を使用することが増える[注釈 5][注釈 6]。
4月5日 - 高松中継局開局。香川県に設置した最初の中継局(第二次相互乗り入れ)。
1985年(昭和60年)10月1日 - 北京支局を開設[5]。
2001年(平成13年)
4月1日 - CIの更新により、ロゴマークを手書き風のものに変更。
6月 - 会社の経営危機打開とフジテレビとの関係改善等の為、社長に当時フジテレビ常務取締役だった須賀勝彌が就任する。これが、会社にとって大きな転機となる。
2002年(平成14年)5月1日 - 局を挙げての大々的な「『OH!型テレビ』宣言キャンペーン」を実施。それに伴い、局の新しいマスコット・キャラクターとして「OH!くん」がデビューする。これが後に岡山・香川で大ブレイクし、グッズ、コラボCM等も多く生み出し、会社の経営危機打開の大きな契機となる(詳しくは、「OH!くん」の項目を参照のこと)。
2003年(平成15年)5月1日 - OH!くん1周年の日に、「OH!体操」を発表、放送開始。後に、岡山・香川地域のスタンダードな体操の1つへと定着する[注釈 7]。
2005年(平成17年)