山陰放送
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出典[1]

沿革開局当時のラジオ山陰本社(1954年)。

前身である株式会社ラジオ山陰(ラジオさんいん、略称 RSB:Radio San-in Broadcasting Co., Ltd.)は、戦前から無線を専攻し、戦後に境海上保安部通信所長をしていた野坂一郎と、無線技師で弟の陞三(前米子市野坂康夫の父)が1950年(昭和25年)4月の放送法・電波法の改正を受けてそれまで検討中だったラジオ局開局を本格的に決心したことに始まる。2人の父(すなわち康夫の祖父)で、戦前から米子市会議員を務めるなど地元の有力者であった野坂康久は2人の構想に賛同し、3人で設立申請書を作成、地元財界への働きかけ[7]を行い、康久のよき理解者であった米子信用金庫青砥喜三郎理事長(当時)の協力で、坂口平兵衛 (2代)をはじめ田部長右衛門 (23代)米原章三ら各氏が発起人に参加、三好英之が代表となって1952年(昭和27年)12月に申請書を提出。翌1953年(昭和28年)9月予備免許が下りた。右から野坂康久坂口平兵衛 (2代)青砥喜三郎高松宮宣仁親王青砥昇織田収野坂一郎、伊坂定吉、野坂寛治
1954年(昭和29年)、ラジオ山陰開局)

康夫の回想[7]にもあるように、開局当時の社屋は米子市東倉吉町の小安ビルの2階に入居していたが、そのビルの1階にはパチンコ店が入居していた。入口もパチンコ店との共用で、社員や出演者は営業中のパチンコ台の間を抜けて行く必要があった。スタジオはパチンコの騒音を防ぐための防音工事に苦慮したという。このため開局当時は「パチンコ放送局」と呼ばれていた。また、送信所も電電公社(後のNTT、両県では現在のNTT西日本)の施設を間借りしていた[8]

その後、1959年(昭和34年)12月15日にテレビ放送を始め、1961年(昭和36年)6月1日に社名を株式会社山陰放送(略称 BSS:Broadcasting System of San-in Inc.[注 7])に改める。
年表

1953年昭和28年)12月14日 - 株式会社ラジオ山陰(RSB)を設立。取締役会長坂口平兵衛 (2代)、社長は織田収

1954年(昭和29年)3月1日 - 鳥取県米子市から鳥取県・島根県の両県に向けたラジオ放送(JOHF)を開始。全国33番目。

1955年(昭和30年)11月23日 - 鳥取中継局を開局。

1956年(昭和31年)10月 - 米子局を900kc、鳥取局を1060kcに変更。(kcは現在のkHz)

1957年(昭和32年)10月22日 - 島根県を放送対象エリアとして地上アナログテレビ放送の予備免許交付。

1959年(昭和34年)12月15日 - 島根県松江市でテレビの地上アナログ放送開始(JOHF-TV、10ch / 1kW)。同時にテレビニュースネットワークJNNに加盟。JNNに加入したのはキー局・ラジオ東京(現在のTBSテレビ)とラジオ時代からの繋がりがあったこと、ラジオ東京(現在のTBSホールディングス)初代社長の足立正が鳥取県境港市出身だったためである。しかし、これが本社所在地と放送対象地域を巡るねじれ現象を引き起こす。

1960年(昭和35年)2月11日 - 現在地に本社移転。

1961年(昭和36年)

6月1日 - 株式会社山陰放送(BSS)に社名変更。

10月 - ラジオローカルニュースを、山陰日日新聞(その後旧「日本海新聞」に統合)、日本海新聞(旧社時代)、および島根新聞(現在の山陰中央新報)から、朝日新聞および毎日新聞の交互放送に変更。


1965年(昭和40年)

5月2日 - JRNに、発足と同時に加盟。

5月3日 - NRNに、発足と同時に加盟。


1972年(昭和47年)9月22日 - 電波相互乗り入れにより、鳥取県でテレビの地上アナログ放送開始。約12年9か月続いたねじれ現象が解消。

1978年(昭和53年)11月23日 - 午前5時の放送開始より、米子本局・900kHzを除き、周波数変更が行われる。

1989年平成元年)10月1日 - それまで日本海テレビ(NKT)で放送されていたテレビ朝日系列の番組の大部分がBSSに、一部は山陰中央テレビ(TSK)へ移行。

1990年(平成2年)4月2日 - ラジオ放送の週末を除く24時間放送開始、ならびに局名及び略称の字体を変更。
先代ロゴ(1961年 - 1990年)

1991年(平成3年)10月 - 愛称を「山陰放送」から「BSSテレビ」「BSSラジオ」に変更。

1992年(平成4年)4月1日 - テレビ音声多重放送開始。(同日開始のテレビ高知と共にTBS系では最後)

2006年(平成18年)10月1日 - テレビの地上デジタル放送開始(JOHF-DTV、45ch / 1kW)。

2011年(平成23年)7月24日 - テレビの地上アナログ放送終了、停波

2012年(平成24年)1月30日 - radikoの配信を開始。放送局記号は略称そのまま「BSS」。

2016年(平成28年)11月29日 - FM補完中継局「BSS鳥取FM」(92.2MHz / 500W)の予備免許取得。

2017年(平成29年)3月1日 - BSS鳥取FM本放送開始。

2018年(平成30年)

2月19日 - FM補完中継局「BSS松江FM」(87.1MHz/ 500W)の予備免許取得。[9]

10月1日 - BSS松江FM本放送開始[10]


2020年令和2年)3月31日 - テレビ放送、深夜から早朝にかけてのフィラー時間帯に「TBS NEWS」の放送とお天気フィラーの開始、これらにより終夜放送開始。

ラテ同時放送自社制作番組
放送終了した番組

なまラテ(火曜・水曜 15:50 - 16:50)※放送当時(2020年 - 2021年)、民放では唯一のラジオ・テレビ同時放送だった。

ラジオ
放送時間

平日 毎朝5時を起点に24時間

土曜日 5:00 - 27:00(深夜3:00)

日曜日 5:00 - 24:00(深夜0:00)

2021年2月現在ラジオ放送は、5:00を起点とした24時間放送である。1985年3月までは早朝6時開始?深夜1時までに放送を終了していたが、1985年4月より『オールナイトニッポン(第1部)』のネットを開始したことにより、深夜放送を3時まで延長、さらに1988年4月から『三菱ふそう全国縦断・榎さんのおはようさん?!』のネット開始に伴い、早朝放送を5:30開始に繰り上げる。さらに1990年4月から『いすゞ歌うヘッドライト?コックピットのあなたへ?』のネットを開始したため、月?金曜付けの放送は終日24時間放送の体制となった。

日曜日(土曜深夜)3:00 - 5:00と月曜日(日曜深夜)0:00 - 5:00は放送設備の点検・修繕工事のため放送を休止している。2004年4月4日 - 2013年3月31日までは4:00からだったが、『あなたへモーニングコール』の終了に伴い、同4月7日から9年ぶりに日曜日の朝の放送開始が5時に繰り下げられた。


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