平安時代中期(『拾遺和歌集』頃とされる)には名声の高まりに合わせて、私家集の『赤人集』(三十六人集のひとつ)も編まれているが、これは万葉集の巻11の歌などを集めたもので、『人麻呂集』や『家持集』とおなじく万葉の赤人の作はほとんど含んでいない。『後撰和歌集』まではあまり採られることのなかった人麻呂ら万葉歌人の作品が、『拾遺和歌集』になって急増するので、関連が考えられている。
作品山部赤人(百人一首より)
万葉集
田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける[注釈 3]
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る
み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだもさわく 鳥の声かも
春の野の すみれ摘みにと こしわれそ 野を懐かしみ 一夜寝にける
吾兄子(わがせこ)に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪のふれれば
ストラヴィンスキーが曲をつけていることで知られる。
新古今和歌集
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
新古今和歌集に収録された当歌は、後に『百人一首』に採録されている。 赤人の墓と伝わる五輪塔が奈良県宇陀市の額井岳の麓に存在する。 千葉県東金市には、赤人塚がある。赤人が上総国山辺郡の出身と伝わっており、江戸時代の神代学者・山口志道は、「田子の浦」は現在の千葉県鋸南町であるとの説を発表している。 赤人を祭神として祀る神社がいくつか存在する。
旧跡
墓所
赤人塚
神社
山部神社 - 滋賀県東近江市下麻生町に所在する。赤人の創建で終焉の地とも伝わる赤人寺(しゃくにんじ、あかひとでら)に隣接している[5]。
和歌宮神社 - 静岡県静岡市清水区蒲原に所在する。
山辺神社 - 島根県出雲市大社町杵築西にある。天照大御神、大国主命、少名彦名命とともに山辺赤人之命を祭神とする。
[1]
山部神社
山部神社に隣接する赤人寺
和歌宮神社
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この一文では人麻呂より赤人の方を評価しているように読めるが、全文を通じて最も評価されている歌人は人麻呂である。
^ ただし、この「山柿」については、「山」を山上憶良とする説もある。
^ 大井川マラソンコース(静岡県島田市)の、蓬莱橋付近に歌碑がある。ただし「真白にそ」の部分が「まし楼にそ」となっている。
出典^ 鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰
^ 『日本書紀』天武天皇13年条
^ 原田貞義「万葉集における「山部赤人集」
^ 『勅撰作者部類』
^ - 山部神社・赤人寺 。滋賀県観光情報[公式観光サイト]2018年10月08日 閲覧
外部リンク
万葉集|山部赤人作
参考文献
田口尚幸『万葉赤人歌の表現方法 批判力と発想力で拓く国文学』鼎書房、2010年
宝賀寿男『古代氏族系譜集成』中巻、古代氏族研究会、1986年
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキクォートに山部赤人に関する引用句集があります。