山車
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地車、台尻、壇尻、車楽、段尻[5]

主に近畿地方・中国地方・四国地方などの祭礼で登場し、「曳きだんじり」と「担ぎだんじり」の2種類に大別される。地方によっては、太鼓台ふとん太鼓などをこう呼ぶ場合もある。
山(山車の原型)

山(やま)は自然の山岳を模して造られた依り代で、祭礼などで用いられる。山車の原型。

古来の民間信仰では、神は山岳や山頂の岩や木を依り代として天から降臨するという考えがあり、山上や山麓に斎場を設け祭祀が行われていた。これらは山岳信仰として、或いは山岳を神体とする神社として残っている。代表的な例では大神神社(三輪山)などがあり、小さな神社でも山麓にあるものは山頂に磐座神木を持つことが多い。

村落が発達すると平野部においても祭祀が行われるようになり、臨時の斎場が設けられた。このときにも降臨を仰ぐために依り代を立てており、これが恒久化して現在の神社のような施設ができる。この依り代の1つに、山岳を模して造られた山(やま、造り山・飾り山)がある。恒久的である神殿内部の依り代と並行して、この山は神の降臨を表現する、或いは、再確認する臨時の依り代として祭礼などで用いられるようになる。元来は実際に盛り土(築山)をし、祈願していたが、後に祭壇を築山と見做すようになる。

記録に残っている最初の山は『古事記』の垂仁天皇の条にある「青葉山」で、出雲国造の祖である岐比佐都美が葦原色男(大国主)を祀る庭として青葉で飾った山を造ったとある。

本来の意味の残る希有な例として、栃木県那須烏山市の「烏山の山あげ行事」(通称「山あげ祭」、国の重要無形民俗文化財)がある。この祭では元来、実際に土を盛った築山を街に作り奉納していたが、経済の隆盛とともに地元特産の和紙(程村紙)を使って木材と竹で作った枠に貼付け「山をあげる」ようになった。その大きさは最大で幅は道幅一杯の7m、高さは10m以上に及ぶ。現在は奥行き100mに渡って複数の「山」と舞台装置を組み合わせ、余興(所作狂言、神楽など)が奉納されている。また、これらの「山」は他所の曳山などと同様、町中を巡行する。全て手作りの幅7m、高さ10m以上、奥行き100mの山と舞台装置一式を毎回組み立てて、余興を催し、解体、移動を一日最大6回程度、3日間の祭礼で最大18回程度に渡ってくり返し、移動総延長は20kmにも及ぶ。6町年番制で町ごとに山を含む舞台装置は全て異なるが、全ての「山」には滝が描かれ、全ての町にあまねく山の恵みが行き渡るように、との願いが込められている。昭和初期までは祭りのたびに山を焼き、灰を縁起物として配っていた。

体形的な祭礼の物で記録に残っている最初の山では、『続日本後紀天長10年(833年)11月戊申条、仁明天皇大嘗会に曳きたてられた「標山(しるしのやま・ひょうのやま・しめやま)」がある。標山には移動神座のような役割があり、山車の原型であるといわれている。大嘗会には中断された時期があり、このときに標山は廃止されたようである。

民間の祭礼にも同じようなものが登場し、形態は山との関連と運行形態から一時的に祭壇のような築山を設ける「置き山」、引く形式の「曳き山」、担ぐ形式の「舁き山」などと呼ばれ、また「だし」とも呼ばれるが、その漢字には山車が使われた。現在の祭礼では、巡行されない置き山は数が少なく、巡行される山車がほとんどである。

富山県 射水市放生津八幡宮高岡市二上射水神社では古代信仰の形態である築山行事が現在も行われている。放生津八幡宮祭礼曳山ならびに御車山は、この築山行事の形態を移動できるように発展させたものと考えられており、起源はよくわかっていないが、放生津八幡宮の築山神事は江戸時代初期より行われていたことが、1721年享保6年)の「東八幡宮記録」や「築山古老伝記」に記録されている。

放生津八幡宮では大きな松の木、二上射水神社では大きな3本の杉の木の前に臨時の築山(祭壇)を設置し神様を迎え入れる。どちらの築山も祭壇が2段になっており、下段には共にそれぞれ面をつけた仏門守護の四天王持国天増長天広目天多聞天)を配し、上段中央には共に唐破風屋根の神殿()の上に、放生津八幡宮は鬼女(狂女)の面に白髪を振り乱し、金襴の打掛をはおり、御幣を取付けた長い竹竿を持った姥神(オンババともいわれる)を、二上射水神社は斧を振り上げた天狗の主神を祀り神事を執り行う。なおいずれの築山行事も神事が終わるとそれぞれのが暴れるとされる言い伝えにより、築山は大急ぎで解体される。

この行事は能登にある石動山(せきどうざん又はいするぎやま)の伊須流岐比古(いするぎひこ)神社でも行われていたが明治期に廃絶、富山県内でも放生津八幡宮と、明治期に休止となり1956年昭和31年)より復活した二上射水神社で行われているだけであり、いずれも1982年(昭和57年)1月18日に富山県の無形民俗文化財に指定され、放生津八幡宮の築山は「放生津八幡宮祭の曳山・築山行事」として、2021年令和3年)3月11日に国の重要無形民俗文化財に指定されている全国的にも稀有な行事である。なお3ケ所の主神の見た目から、放生津の「足なし」、二上山の「手なし」、石動山の「口なし」と云われてきた。
山車

山車には、曳き山、舁き山などが含まれ、読みの意味から考えると山(置き山)なども含まれる。最も一般的なものは車輪の付いた曳き山で、その他にはかき棒のついた舁き山などがある。呼称は冒頭であげたようなものがあるが、同じものでも地域によって呼称が異なっていたり、異なったものに同じ呼称が用いられていることもあり、非常に複雑である。

山車は風流として練りだされたものが増え、全国各地で様々なものが存在する。依り代としての役割が薄れたものが多いが、稚児人形が乗っていたり、依り代として用いられるものが装飾に施されているなどの名残がある。
構造

台車の形状は地域や地区によって、車輪が台車の内についているものや外についているもの、車輪が木製のものや金属製のもの、車輪の大きさ、台車本体の木材の組み方などの違いがあり、数多くの種類がある。
車輪

車輪の数としては四輪が一般的であり、外車(大八車)様式の輻車(やぐるま〔スポーク式〕)や板車と、内車様式のものがある。外車様式のものには、車輪に漆や彫金などが施されているものがあり、補助の車輪がついているものもある。滋賀県大津市大津祭での曳山や三重県北部の石取祭に使われる山車が三輪であり、静岡県森町から磐田市にかけての遠州中東部で引き回される二輪屋台浜崎祇園山笠のように六輪あるもの、富山県魚津市たてもん祭りのように車輪はなくそり状になっているものもある。また、それに伴って運行方法、運行形態も異なるものになっている。小城祇園においては、旧来は車輪がついていない山の下に丸太を次々に敷き挽いて運行するという珍しいものだったが、現在は普通に車輪のついた曳き山となっている。
動力・移動手段

多くの場合、山車は人力で運行される。まれにトラックなどで曳かれたり山車そのものに動力を積む地方があるがこれは特殊な例である。
曳き山(ひきやま)
日本最大級の青柏祭のでか山

曳き山の山車の中には非常に凝ったからくりを持つものもあり、また大きさも普通の神輿サイズからその10倍以上の大きさ(重量で数トン程度)のものまで様々である。中でも、石川県七尾市の青柏祭の曳山(でか山)は重量約20トンであり、日本最大とされる。大きな物が生まれた理由として、引くという形式から巨大なものが運行可能であるということ、依り代としてより目立つ背の高いものが用いられた名残、氏子同士の風流としての競い合いの結果などがあげられる。
二輪屋台

曳き山の中でも2つの車輪で引かれる屋台を指す。有名な祭りとしては村上祭り遠州横須賀三熊野神社大祭掛川祭りなどがある。
花車

紙花など花飾りを施された曳き物全般を指す。また、大船渡市の式年大祭では、お花と呼ばれる紙を張り、金〇〇万両 〇〇〇〇殿、金〇〇万両 〇〇汽船殿などで飾り付ける。これらは全て、神社の再建時の資金、公民館の資金に使われる。
舁き山
愛媛県 西条祭りの舁き山車。重量およそ800kg。

全国では珍しい形式であり、重量も数100kgから重くて1、2t前後のものが主流である。神輿と混同されがちだが、あくまで氏子のお供としての性格上、分類上は山車である。代表的な物としては博多祇園山笠などが有名である。
電線との干渉

明治時代に入り、電話電力が使われるようになると、街中に張られる電線が山車と干渉するようになってきた。電線だけであれば浜崎でのように「電線上げ」と言う器具を使って電線の高さを変える、あるいは電線類地中化のような対応策も可能であるが、路面電車などの架線は高さが決まっており、高さを変えることでの解決は困難であった。結果、神田祭のように山車が消滅する、博多祇園山笠のように舁き山と飾り山が分化するなど祭りに変化を及ぼしたところ、渋川山車祭りや弘前ねぷたなどのように山車の高さを可変にするなどの工夫もある一方、秩父夜祭高岡御車山祭のように一時的に架線を外して山車を通す形で旧来の祭りを守っている地域も存在する[6]
重要有形民俗文化財に指定された山車

現在も日本全国で行われている祭礼(行事)のうち、以下の5件の祭礼にて曳き出されている山車計66基が重要有形民俗文化財に指定されている[7]


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