山谷えり子
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新聞記者ラジオパーソナリティ山谷親平[8]幼少期を福井県で過ごし、栄冠幼稚園、福井市順化小学校福井市明道中学校東京都立駒場高等学校聖心女子大学文学部心理学科卒業[1][9]。高校時代は競泳の選手だった。大学時代マスコミ志望で大手新聞社出版社を受けるも失敗し、フリーライター出版社勤務を経て、日本テレビ系『ウィークエンダー』のリポーター、『サンケイリビング新聞編集長政府広報番組ニュースキャスターフジテレビ系『おはよう!ナイスデイ』コメンテーターとして活動した[要出典]なおタレント時代は後述する議員時代と異なりリベラルな信条で知られていた。
政治家として

1989年第15回参議院議員通常選挙民社党公認で立候補するも落選。

2000年6月の第42回衆議院議員総選挙民主党比例東海ブロック単独1位候補として山谷を擁立。同党は同ブロックで7議席を獲得し、初当選した。民主党では「次の内閣」の教育科学技術大臣(第2次鳩山由紀夫「ネクスト・キャビネット」)・文部科学ネクスト大臣(第2次鳩山由紀夫改造「ネクスト・キャビネット」)を担当した[10][11]

2002年12月、民主党を離党し、保守新党に参加[12]

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に東京4区から保守新党公認で立候補するも落選。

2004年第20回参議院議員通常選挙自由民主党から比例区に立候補し、当選した。

2005年10月31日、第3次小泉改造内閣が発足。同年11月2日、内閣府大臣政務官に就任。内閣総理大臣補佐官就任時の記者会見にて

2006年9月に発足した第1次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官教育再生担当)に就任し、第1次安倍改造内閣でも留任、福田康夫内閣でも再任された。

2012年10月、当時野党であった自由民主党のシャドウ・キャビネットでは、国家公安委員会委員長内閣府担当大臣拉致問題領土問題行政改革公務員制度改革男女共同参画地方分権改革沖縄北方対策担当)を“担当”した。

2014年9月3日第2次安倍改造内閣の発足にともない初入閣。国家公安委員会委員長内閣府特命担当大臣(防災担当)の2ポストを兼務することになった[13]。同時に、国務大臣の所管事項として「北朝鮮による拉致問題の早期解決を図るため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[13]「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[13] と「事前防災の観点から国土の強靭化を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[13] をそれぞれ担当することとなった。同年12月の第3次安倍内閣で再任。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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