山田五郎
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2021年(令和3年)1月7日、山田は62歳にしてYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』[18]を開設し、明くる1月8日付で、YouTubeチャンネルにて美術を主なテーマとした動画配信を開始する[8]。同年4月30日には早くもYouTubeチャンネルの登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている[19]。詳しくは下記「YouTubeチャンネル」節を参照のこと。
人物

少年時代の
愛称は「豆腐」であった。色白でフニャフニャしていたからである。

カトリック教徒[20]で、自宅近くの東京カテドラル聖マリア大聖堂[21]に通っている。

定刻に始まる仕事が苦手であり、学生のころはそれが原因でシフト勤務制になっているアルバイト遅刻してクビになっていた[3][22]。そこで、通信教育添削作業や、模擬試験の問題文に使うための例文を探し出す仕事、翻訳下請けなどといった、締切はあるにしても自分都合で好きな時にできるアルバイトをやっていた[3][22]。就職してからはさすがにかなり克服したが、それでもしょっちゅう遅刻していてダメ社員のレッテルを張られていたと、山田は振り返る。指向としては今も昔と変わっておらず、時間を決めて待ち合わせをするなどといったことは億劫に感じてしまうという[22]

自身が認める得意分野は、美術時計、次が男性ファッションと「」。特に機械式時計の歴史に詳しく、専門学校で教えていたこともある。西洋美術に造詣が深い。

趣味は、時計、鉱物髑髏グッズ、鉄瓶などの収集、および、ギターの演奏。

ギタリストとしては、漫画家みうらじゅん喜国雅彦が率いるロックバンドとして1989年(平成元年)6月に結成された「大島渚」が氣志團万博2019年開催回に参加した際に和嶋慎治とともに参加している。

好物は、スジ肉焼売シュークリーム

いわゆる「サブカル系文化人」に属している。

みうらじゅんとは雑誌の対談で知り合い、SMフェチロックなどの共通の趣味を通じ、現在も親友関係にある。

そのヘアスタイルから、和製タンタンとも呼ばれたことがある[23]

東京に生まれるが、9歳(小学校3年生)から高校卒業までの10年間を大阪府(当初は短期間であるが兵庫県西宮市に住む)で過ごしたため、全国ネット(関西ローカル以外のテレビ番組も含む)のテレビ番組では共通語で話すが、関西向けの番組などでは流暢な大阪方言を使う。流暢な英会話もできる。

西宮の小学校に編入した当時は、東京から来た「東京もん」ということで、何をやっても「コイツは東京やから」と否定的に受け止められる。大喧嘩して児童相談所に送られたこともあった[24]が、本人は大阪になじむために、必死に溶け込んだ。高校卒業するころには立派な大阪弁を駆使する「大阪人」となっていた。

灘中学校の受験に失敗して公立中学校(豊中一中)に進んだため「周りがみんなバカに見え」、再度非行に走って警察補導されたが、両親に泣かれて更生。反動で中学2年の頃は引きこもりとなり、誰とも話さず読書ばかりしていたが、「そういうことは東大に入ってからやれ」と父親に叱責されて反発し、映画音楽美術文学の世界に入り込んだという[24]

黒澤明監督の映画『影武者』にエキストラ出演している。山田は撮影時、プライベートで陰部火傷しており撮影は苛烈を極めたが、撮影の合間に黒澤に「(本名が武田であることから)君は武田信玄の末裔かね」と声を掛けられ嬉しかったという(信玄と山田に血縁関係は無い)。また用足しの周期が合うのか、黒澤とはトイレでよく連れションしたという[25]

YouTubeチャンネル

2021年(令和3年)1月7日放送業界も美術業界もコロナ禍による事業縮小に喘ぐ最中、山田五郎(当時62歳)は、美術を主なテーマにした番組形式のYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』[18]とともに開設し、明くる1月8日、初めて動画配信を行った[8]。チャンネルは次第に好評を博し、山田はYouTuberとして存在感を高めていった。

撮影から配信まで山田の文京区音羽に所在する事務所、Cabinotierの一室で行っている[26][9]。山田は事務所内にある書斎にて、仕事に加え後述するこのチャンネルのための下調べをしており、近辺に山田の自宅もある。スタッフは、山田が2010年(平成22年)から出演しているBS日テレの番組『ぶらぶら美術・博物館』を担当する制作プロダクションである株式会社東阪企画の社員であり[9]、当初は常勤2名[注 4]で制作していた[9][注 5]。当チャンネルでは、美術に興味があるもののほとんどあるいは断片的にしか知らない緩い雰囲気の20代前半の女性AD[9]「ワダ」の疑問に山田が応えて解説し始める形を、当初から執っている。実際の制作過程も、ワダの疑問をベースにしてスタッフが山田への質問内容を決め、それを受けた山田が解説に広がりを持たせられるとなれば準備に入る、そうでなければ却下するという形になっている[9]。なお、ワダは当チャンネルのおおもとの企画発案者である[注 6]。また、チャンネルのロゴタイプである山田の似顔絵や動画内に登場するさまざまな緩い絵はワダの手になるペン画であり、これもまた極めて緩い空気を醸し出しているBGMともども、当チャンネルのイメージを決定づける重要な要素になっている。右のテンプレートで示したとおり、取り扱うジャンルは山田の得意分野である「美術、ファッション時計グルメなど」[注 7]ということで始まったチャンネルであったが、はやばやと美術に特化した。また、当初の予定では、動画視聴時間は10分前後から長くて20分程度、配信頻度は1か月に4回といったところであった[注 8]。しかし、回を重ねるごとに視聴時間は長くなり、30分超えが珍しくないチャンネルになっていった。また、配信頻度も1か月に6回が普通という、情報の量と質に比してかなりのボリュームになっていった。動画の制作にあたって念入りな下調べを欠かさない山田としては、デジタルデータ化が進捗しない日本社会の前時代性を痛感すると言う。1つの動画を作るのに段ボール箱1個分の書籍を資料として集めるのが普通とのことで、重いし嵩張ってしようがないとぼやき、また、美術書が絶版になるのが早すぎることにも嘆く。

美術をテーマにしている当チャンネルは、美術系の著作権使用料(印税)の支払いが常に課題となっており、ピカソダリ藤田嗣治など、現代に近い時代の著作権者に関する良質な画像資料を配信動画に録り込むのには、視聴者からのカンパに頼って実現するという形を執っている[27]。具体的には、YouTubeのスーパーチャット・システムを利用してネット投銭を貯蓄し、各著作権者から1年ごとに請求される総計十数万円ないし数十万円の使用料(更新料)に充てている(※例えばピカソは10万3,000円)[27]。この方法を採用した結果、資金は潤沢となり、数十万単位の繰越金が生まれてきた(※出典に使った動画の時点で56万3,796円也[27])のを受け、どのアーティストの画像に資金を使ってほしいかについて視聴者から意見を募るようになった[27]

同2021年の4月30日には早くもチャンネル登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている[19]。6月22日、チャンネル登録者数10万人達成者に授与される「シルバー クリエイターアワード(通称:銀の盾)」の獲得記念動画が配信される[28]。7月2日、チャンネル登録者数20万人突破記念ライブ配信が行われた[29]

2022年(令和4年)1月7日、チャンネル開設1周年記念のライブ配信を行う[30]。このライブ配信中に行われた視聴者投票で当チャンネルのファンダムネームが「ゴロワーズ (Goroises)」に決定する[30][注 9]。4月1日、当チャンネルの「切り抜き動画」(編集した二次制作動画)の制作・配信の承認申請が増えてきたのに伴い、ガイドラインを更新する[31]。5月27日、40万人突破記念のライブ配信を行う[32]。同年、7月9日にチャンネル登録者数が50万人を超える。「ゴロワーズ」初のグッズ展開もこの時のライブ配信の中で発表された[33]。8月31日には、当チャンネルを基にした書籍『「山田五郎 オトナの教養講座」世界一やばい西洋絵画の見方入門』[34]宝島社から刊行した[35]
エピソード

「山田五郎」という
芸名は、山田が在籍していた雑誌編集部の落とし物コーナーに置かれていたモンブランの「PIX #75」という名の当時20万から30万円もした高級シャープペンシルに由来する[29]
このシャープペンシルを万年筆と間違って記憶している人が多く、これまでに「万年筆」を前提にした質問を何度もされている[29]。万年筆メーカーからの取材まで来てしまうに到り、山田は間違いを正す必要を強く感じていた[29]。ウィキペディアの記事(つまり本項)も「万年筆」としていたため、他者を通じて改訂してもらったというのも、本人の言である[29]。当時、その高級シャープペンシルをずっと狙っていた山田は、年末の大掃除で落とし物が処分されることになった際に晴れてもらえることになったが、よく見るとそのシャープペンシルに「M. Yamada」と名前が彫られていることに気付いた[29]。編集部内の全員に確認しても持ち主は見つからず[29]、どうしようかと考えた結果、「俺が山田になればいいんだ」と思いついた[29]。ちょうどその頃、知人のライターは、初めての単行本を刊行するにあたり、その出版社の社長が名付けてくれたタイトルが内心では気に入らず、さりとて断っては角が立つということで、穏便に断る方法はないものかと考えあぐねており、山田に相談を持ちかけた[29]。そこで、「同じタイトルの出版物を出している人がいるということにすればいいんじゃないか」と山田は思い付き、そのタイトルで連載を始めることにした[29]。連載には筆者が必要ということで、「大阪で名の知れた中華料理店店主・山田五郎[36]」という架空キャラクター設定する。相談の場にナンシー関も居合わしていたことから、「山田五郎」の実在感を出すべくナンシー関のラジオ番組に架空の「山田五郎」名義でゲスト出演した[29]という。


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